その十一.獣を操るサチ
蛍光灯の明かりが石の床を冷ややかに照らしている。天井は低く、無数の廃線や大蛇のようなダクトがむき出しだ。
「……静かですね」
サチとともに地下街を進みつつ、吹雪は辺りを見回す。
通りには居酒屋や古い書店、怪しげな煙草屋などがごちゃごちゃと軒を連ねている。しかしどの店にも明かりはなく、地下街はしんと静まりかえっていた。
「うん。窮鼠が出るから今はどこの店も閉じてるみたい。このままだと地下街閉鎖の危機らしいから、早めに決着を付けたいね」
「えぇ。窮鼠封じをそろそろ使いますか?」
吹雪の問いかけに、サチは首を振った。
「もう少し進んでから。この先に広場が一つあるから、そこで使おうと思う。そうすれば全体に効果が行き渡ると思うから――」
背後でがさっと異音が響いた。
吹雪が振り返ると、背後のごみ箱が倒れている。
その影から小さな生物が二、三匹現れた。ドブネズミに似ているが、よく見ると眼が赤く、そして口が二重についていた。
「窮鼠ッ――!」
吹雪がその名を呟くと同時に、それは吹雪達に向かって甲高い声を上げた。
すると、一気に周囲の物陰から十匹ほどの鼠が現れる。それは盛んにキィキィと鳴き交わしながら、吹雪達めがけて押し寄せてくる。
吹雪はとっさに絶句兼若を抜いたものの、窮鼠はたやすく懐に飛び込んできた。
「くっ……!」
腕に飛びついてきた窮鼠をとっさにはらう。
「任せて、吹雪ちゃん!」
腰の鞭を引き抜きつつサチが前に出た。その手が素早く動き、鞭が鋭く地面を打つ。
「柘榴! 蜜柑!」
その瞬間、サチの背後から二つの黒い影が飛びだした。
ぴんと立った耳。シャープでありつつ頑強そうな体と、ススキを思わせる尾。漆黒に塗り潰されたその姿は犬に似ていた。
「勅――吼えて!」
眼窩を爛々と光らせつつ、影の獣達は大きく頭を振り上げた。
途端、高い咆哮がびりびりと空気を震わせる。
化物の群れが一気に硬直した。その隙を突き、獣の影は情け容赦なく窮鼠達に躍りかかった。逃げ遅れた鼠を鋭い爪をもって捕らえ、強靱な顎によって噛み砕く。
怯えたような鼠の鳴き声が立て続けに響いた。
直後窮鼠の群れがさっと動き、まるで黒い潮が引くように後退していく。
「深追いしないで! 追っ払えたらそれでいいから!」
窮鼠を追おうとするそぶりを見せた影達に、サチは鋭く命じる。獣の影は不服そうな唸り声を上げた後、ぺたんと地面に尻を下ろした。
吹雪は呆然と窮鼠の群れと、獣の影とを交互に見る。
「すごい、ですね……一気に窮鼠を退けてしまいました」
「そ、そうかな?」
やや緊張した様子のサチに吹雪はうなずき、また獣の影を見る。
「……犬神、ですか? 噂には聞いた事がありますか、北陸では見たことがなくて」
それは四国を中心に語られる、犬に似た化物のことだ。その化物は普段は実体を持たないが、素質のある人間を依代とすることで力を発揮するらしい。
その依代となる素質を持つ異能者は【犬神使い】と呼ぶ。
「似たようなもの……かな」
「え? これ犬神じゃないんですか?」
言葉を濁すサチに対し、吹雪はしげしげと獣の影を見る。
獣の影はいまいち判別が尽きづらいが、おおむね犬に似た形をしている。吹雪の視線に対し、獣達は無言で目を光らせていた。
「あぁ違うよ! 犬だよ! もう間違いなく犬! ほら、鳴いてみて! わんわん!」
――ごぉお
――がう
どこか必死なサチに、獣達は野太い声で答えた。なんだか不服そうに見える。
「ね! しっかり犬でしょ!?」
「え、えぇ……そこまで強調しなくとも」
迫るサチに、吹雪は後ずさりつつこくこくとうなずく。
サチはほうと息を吐き、吹雪から離れた。
「……でもちょっと良かった」
「ん?」
首をかしげる吹雪に対し、サチは手元の鞭を弄びながらつたなく言葉を続ける。
「なんというか……吹雪ちゃんに引かれたらどうしようかな、って。その……犬神使いって、結構嫌われたりもするから」
「別に犬神使いであろうとなかろうと、私がワンコさんを嫌うことはありませんよ」
「……うん。まぁ……そうね」
どこか微妙そうな表情でサチはうなずいた。




