その一.戻ってきた夕子
吹雪が紅梅社中に入社し、一週間が過ぎた。
「吹雪ちゃん、まだー?」
「今行きます」
細い裸身を晒した状態で、吹雪は白髪を結い上げた。そして洗面用具を入れた桶を取ると、浴場の入り口で待っているサチの元に急ぐ。
吹雪が来るのを見て、サチはガラス戸を開けた。
むっと押し寄せてくる湯気の先に、白とピンクのタイル張りの女子浴場がある。
浴場に入り、サチは嬉しそうに声を上げた。
「あ、夕子さん!」
「おぉ、ワンコにブキちゃんじゃないか。いらっしゃい」
浴槽でくつろいでいた夕子が軽く手を挙げる。その手には白い杯、浴槽の縁に置かれた桶の中にはとっくりがある。どうやら一杯やっていたようだ。
「夕子さんったらお酒飲んでる!」
「ふふ、いいでしょ。あげないよぉ」
「いいんですか? 規則とか……」
吹雪がおずおずとたずねると、夕子はひらひらと手を振る。
「大丈夫。皆やってる」
「えぇー……」
吹雪は言葉に悩みつつ、桶で湯をすくって体にかけた。サチは何故か冷水を浴びているようで、洗い場の方から「冷た! 無理! キツイ!」と悲鳴が響いてきている。
湯に入りつつ、吹雪は洗い場の方をちらっと見た。
「……何故冷水なんでしょう」
「アレも一応修行なんだって。霊気を高めるとかなんとか」
「効果あるんでしょうか……」
「さぁ……」
「もー、二人ともひどい!」
悲鳴のような声とともに、洗い場から青ざめた顔のサチが現れた。大急ぎといった様子で浴槽に入り、そろそろと体を湯に沈める。
「こういうのは気持ちの問題なの。夕子さんも滝行とかしたことあるでしょう?」
「いや、まぁ、やったことあるけど……うーん、そんなものかねぇ」
言葉を濁し、夕子は杯に口を付けた。
「それにしてもブキちゃんは肌白いねぇ。きれいだ」
「え、あ、ありがとうございます」
いきなり水を向けられ、戸惑いつつも吹雪は自分の手を見る。たしかに遠峰家の人間は、普通よりも肌の色が白い。
白磁のような肌を湯に浸し、吹雪は肩をすくめる。
「……でも色素が薄いのも困りものですよ。太陽とかにはちょっと」
「えーでもきれいだよ。それに足長いし! いいなぁ、わたし幼児体型だからなー」
サチは不満げに湯に口を付け、ぶくぶくと泡をふく。
その頭を夕子が軽くはたいた。
「こら、ぶくぶくしない。それにワンコにだって良い点あるじゃないか」
「きゃん!」
一瞬のことだった。
浴槽の縁に盃を置いた夕子が流れるような所作でサチの背後に回り込み、その胸を掴む。
「ちょ、ちょっと夕子さ――きゃああ!」
「ほら、このぷにぷに感とかなかなかのものだよ」
「きゃあああ吹雪ちゃん! ちょっと助け――」
「ふふ……ワンコさん羨ましいですね。私ね、愚兄から胸部大雪原とか言われたりしたんですよ。……ふふ、なんにも言えなくて」
死んだ目で微笑みつつ、吹雪はへたくそな水鉄砲をして遊ぶ。
「お、落ち込まないで吹雪ちゃん! ――っとと」
「ったく、ひどい話だねぇ」
夕子が吐き捨てるように言って、サチから手を離した。サチはその隙に大急ぎで夕子から離れ、ほっと一息吐く。
夕子は盃を一息に煽り、ふーっと息を吐いた。
「誰かの体をやれ小さいだの貧しいだの言う奴はね、心が小さくて貧しいのさ。どこかが足りないから人の特徴を悪し様に言うんだよ」
「さすが夕子さん! 良いこと言うなぁ……酔ってるのに」
サチが大まじめな顔でうなずく。
夕子はちっちと人差し指を左右に振ってみせた。
「アタシを侮っちゃいけないよ。――ともかくさ、気にしちゃいけないよブキちゃん」
「夕子さん……」
吹雪の眼にうっすら涙が浮かぶ。
夕子はふっと笑い、杯を置き――一瞬で吹雪の背後に回り込んだ。
「なっ、ちょっ、夕子さ――ひぁあ!?」
「大体雪原というほどじゃないよこれは。少なくともかまくらくらいはある」
「へ、変なとこ触らないくださ――うぅぅう!」
数分後。
風呂の縁に吹雪は突っ伏し、しくしくと泣いていた。
「あんな、あんな…… 信じられない……」
「しっかりして吹雪ちゃん! ほら、夕子さんも謝って!」
「あらら、うぶな子には刺激が強すぎたね。ごめんよ、ブキちゃん」
洗い場で長い赤髪を洗いながら、夕子が涼しげな表情で謝る。
吹雪は頭を抱え込んだ。
「もうお嫁に行けません……」
「そんなことないよ吹雪ちゃん!」
「逆転の発想だよ、そこは。行かなくても良いと考えな」
「夕子さんったら! どうしてそう極端になっちゃうんですか!」
ふくれっ面になるサチに対し、夕子は振り返って人差し指を立てた。
「いや、これは間違いない。第一男とつるんでもね、ロクな事ないから。男に一回殺されたアタシが言うんだから間違いない」
「うぅ――ん? え、なんですって?」
奇妙な言葉が聞こえた気がして、吹雪が顔を上げる。
「んー? あぁ、ブキちゃんは知らなかったか」
髪から泡を洗い流し、夕子が振り返った。
顔にかかった赤髪をざっと掻き上げ、飛沫を散らして背中に流す。その様がどうしてかとても色っぽく、吹雪は少しどきりとしてしまう。
だからその次に夕子が言った言葉の意味が、一瞬理解できなかった。
「アタシね、一回死んでるのさ。折檻されて殺された」




