その九.喫茶店のひととき
「……ここまで来れば大丈夫そうだな」
「え、えぇ……」
霖哉の言葉を聞き、吹雪は足を止める。
そこは怪しげな繁華街からやや離れた位置にある公園だった。昼のけだるげな雰囲気の中、噴水やベンチの側で人々が思い思いに過ごしている。
霖哉は吹雪の手をようやく離し、近くのベンチに腰を下ろした。
「コホッ――まったく。昼間とは言え、あんな場所にいくなんて……」
「あの、涅さんですよね?」
吹雪は恐る恐るたずねた。
すると、軽く咳き込んでいた霖哉は口元を押さえたまま吹雪を見上げる。その紅茶色の瞳が丸く見開かれ、陽光にきらきらと光って見えた。
「……覚えていてくれたのか」
「えぇ。あの後大丈夫だったのか心配で。えっと――涅、霖哉さん?」
吹雪が確認すると、霖哉は何度も深くうなずいた。
「……そういうおまえは、遠峰吹雪だったな」
「はい。あぁ、私の名前も覚えていてくださったのですね」
「あぁ……髪が白くて、珍しかったからな。それに、おれを助けてくれた」
「あの、あの後大丈夫でした?」
吹雪は心配そうに瞳を揺らし、霖哉の姿を見下ろす。初めて会ったとき彼は本当に顔色が悪く、今にも血を吐きそうな勢いで咳き込んでいた。
今の霖哉は顔色こそあの日よりはマシなものの、時折小さく咳き込んでいる。
「問題ない」
「でも……」
吹雪が言葉を続けようとすると、霖哉は首を横に振った。
そして口元から手を離し、やや言い辛そうにゆっくりと言葉を続ける。
「気管支というか……呼吸器が少し敏感なんだ。それだけ」
「そうですか……呼吸器が……」
そういえば、霖哉はあの日注射器に入った薬を使っていた。あれは呼吸器の過敏な反応を抑えるためのものだったのだろうか。
そこまで考えたところで、吹雪は先ほど自分が彼に助けられた事をはっと思い出した。
「あの、さっきはありがとうございました」
「別に……」
霖哉は視線をそらし、首のマフラーを口元にまで引きあげた。
もしや寒いのだろうか。ここで急激に体調を崩されたらとハラハラする吹雪の耳に、呆れた様子の霖哉の言葉が届く。
「おまえはなんというか……危ないところを出歩く趣味があるのか? この前も人が殺された場所で、あんな夜中に」
「そ、そんなことは無いです! 今日はなんというか、迷ってしまって」
「迷った? どこに行こうとしてた?」
マフラーを引き下ろし、霖哉が眉をひそめる。
吹雪はいたたまれない思いで、手をぎゅっと握り合わせた。
「その……ご飯を食べるところを探してたんですよ。ただちょっと、色々考え事をして歩いてたら、あんな感じになってしまって」
「飯屋か……」
霖哉は顎に手を当て、なにやらじっと考えた。
ポケットから古びた懐中時計を取り出し、時間を確認する。そして小さくうなずくと立ち上がり、霖哉は吹雪を見下ろした。
「来い」
「え?」
あまりにも短い言葉に吹雪は戸惑う。
さすがの霖哉もあまりにも言葉が足りなかったと思ったのか、言い辛そうに頭をかいた。
「……そこそこ食える場所があるから、奢ってやる」
「え、それは悪いですよ。そんな――」
「この前の礼だ」
霖哉は素っ気なく言い放ち、背を向けて歩きだした。
ついてこい、という事だろうか。
吹雪は一瞬ためらった。
「……早く来い」
霖哉が振り返り、前方を軽く顎でしゃくる。
「は、はい!」
このまま霖哉の好意をむげにするのも良くないだろう。
吹雪は仕方なく、そろそろと霖哉の後ろについて歩き出した。
霖哉が連れていったのは、古い喫茶店だった。飴色の木材で作られた空間は静かで、レコードから流れる微かな音楽と食器の触れあう音だけが響いている。
二人は窓際の奥のテーブルに着き、メニューを開いた。
「よく、ここにいらっしゃるんですか?」
吹雪がたずねると、霖哉はメニューを見ながら「あぁ」とうなずいた。
「仕事がないときは、ここで時間を潰したりしてる」
「そうなんですか……お仕事はなにを?」
「掃除。――メニュー、決まったか?」
「あ、ええと」
慌てて吹雪はメニューを見下ろす。喫茶店ではあるが、食事の種類が多い。霖哉の言うとおり『そこそこ食える』ようだ。
「それ、ハヤシライスあるだろ」
「あ、おすすめですか?」
「この店だと一番いける。セットにすればコーヒーと小さいケーキも付く」
「じゃあそれで――って、このセットは少しお値段が」
「いちいち気にするな。おれが奢ると言ってる」
あたふたする吹雪をよそに霖哉は軽く手をあげて店員を呼び、自分のサンドイッチと吹雪のハヤシライスとを注文した。
ほどなくして食事が運ばれてきた。
湯気を立てるハヤシライスをスプーンで掬い、吹雪はそろそろと口に運ぶ。
「……どうだ?」
ハムサンドを手に持ったまま、神妙な面持ちで霖哉がたずねてくる。
吹雪はすぐには答えられなかった。口の中でとろとろの牛肉と濃厚なソースが絡まり合い、その舌は完全に魅了されてしまっていた。
「美味しいです……! お肉が本当に柔らかくて、お野菜にもしっかり味がしみてて」
「そうか。よかった」
霖哉は素っ気なく答え、ようやく自分のハムサンドに口を付けた。どことなくその表情には安堵の色が見えるような気がする。
それからしばらく二人はぽつぽつと会話をしながら食事を続けた。
「……東京に、つてはいないのか?」
「いえ、そんなことはないです。これでも一応会社勤めなんですよ」
「会社?」
「えぇ。その、退治屋を」
首をかしげる霖哉に、吹雪はうなずいた。
すると霖哉は食べかけのサンドイッチを置き、心底驚いたような顔で吹雪を見つめた。
「……おまえが、退治屋? 化物を殺す、あの?」
「は、はい」
「……ふぅん」
霖哉は小さく鼻を鳴らし、グラスに口を付けた。
ごくりと水を飲み、さして興味がなさそうな様子で吹雪にたずねる。
「退治屋って楽しいのか?」




