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鬼影  作者: 森風 しゅん
16/16

16.傷ついた瞳。

夜勤は疲れる……眠いぞい。


 身体が重い。


 土曜日曜と、久々に高い熱を出して、姉には「風邪」とひと言で切り捨てられ、大人しく横になっていたが、熱が引いても動けなかった。


 まるで、自分の影に引っ張られているような、そんな感覚だった。


 兄はおっとりと「疲れたんだね」のひと言で済ませた。

 ついでに妹には「休めば」とつっけんどんにやはりひと言、告げられた。


 思い返してみると我が兄妹ながら、やはりクラスの面々と比べるとズレているように思う。久人はやることもないまま、布団の中で思考を続けた。


 土曜の深夜、公園で会った『あれ』は、あれきり声を発することもなかった。

 帰り道になにかが聞こえる、ということも特になかったことを考えると、久人の空耳だった可能性も高い。


 何故なら久人は、これまで『そんなもの』と関わったことがないからだ。


「久人、お友達が来てくれたよ。起きれるかい? 入ってもらう?」


 突然の兄の声が、久人の思考を妨げる。襖の向こうに兄の平均的な体型の影が写っていた。

 友達。あの友人だろうか。


「……誰」

「佐原くんと御明さんだって。帰ってもらう?」


 あくまでおっとりとそんなことを言ってしまう兄は、やはりどこかズレているのだろう。ちなみに悪意はまるでない。


 久人は重い身体を無理矢理起こした。

 友人と、姫。

 並んでいるところを想像するだけで、少し笑える。


(……たぶん、怒ってるんだろうな)


 幸い、熱が下がって朝にシャワーは浴びたばかりだ。ひと前には一応出られる。


「起きて、行く。たぶん、殴りに来たんだと、思うし」

「喧嘩?」

「一方的に」

「面白い子達だね」


 兄はそのひと言で話を切り上げると、じゃあ広間で待ってるからね、と言い残して立ち去った。


(……まぁ、)


 相手の目的が予想できるからといって、それがイコールで達成させてあげるというわけではないが。


 苦笑しながら重い身体を引きずり、広間の襖を開いた途端、射るように向けられた彼女の視線に、久人は違和感を覚える。

 てっきり、向けられるのは『怒り』──『憤り』だと思っていた。


 だが今、久人に向けられているそれは間違いなく、『戸惑い』や『困惑』だった。


「久人っ! もう起きて大丈夫なのかっ?」


 友人が律儀な正座から膝立ちになって、勢い込む。椿の表情からなんとなく目を離せないまま、「ん」と応じると、友人はあからさまに安堵して脱力した。


「良かった……3日も休むなんて、相当悪いのかと思ったけど……。……で、でも、やっぱまだ顔色、悪くねぇ……?」

「ん。そう?」

「大丈夫かよ、無理すんなって、寝てろよ」

「んー……ま、じゃあ、用事が済んだら」


 久人がそう告げると、どうやらなにかの地雷だったらしい。途端に友人の顔から快活さが消えた。

 椿は、じっと久人を見たまま、黙ってなにも言わない。


「あ……あの、さ、久人……」

「ん」

「き……き、」


 言い淀んだ友人が、何故かちらちらと椿を見る。だが椿は一切友人に視線を遣ることはなく、友人はどんどん泣きそうな顔になった。

 何度も何度もどもって、やっとつっかえていた言葉を吐き出す。


「金曜ッ! お前置いて逃げちゃってごめんな!」

「? ……あぁ、うん」


 一瞬なんの話だか判らなかった。あの場で誰かに助けてもらおうなんて、思うはずがなかったから。

 むしろ久人としては怪我もなく逃げてくれて良かったと思うくらいだ。


 こくんと頷いた久人に、けれど友人は遂にひと筋涙を零して、「あっ!」椿の存在を思い出したかのように肩を跳ね上げてはぐしぐしと腕で目尻を擦った。


「……怒ってる、よな……?」

「なんで?」

「だ、だって久人、寒い夜に置いてけぼりくらって3日も体調崩して……」

「いや、あれは結構自業自得だし」


 久人が言葉を重ねれば重ねるほど、友人の目に涙が盛り上がる。

 だがだからと言ってここで黙るのも良くないだろうことは、久人にも判った。


「えーと……大丈夫大丈夫。気にしてない」


 本気で。

 これっぽっちも。


 そこまで言うとまた違う意味で泣きそうなので黙っておいたが。


 友人は、ようやく納得してくれたようで、「ごめんな」と頭を下げると、上げた顔は既に晴れ晴れとしていた。

 良かった、と久人も口角を上げたとき、命令は突然に下った。



「佐原、廊下に出なさい」



「……へ?」

「あんたの用事は済んだでしょ。あたしはこいつに真剣な話があるの。──できたの。だから廊下に出るかひとりで帰りなさい」


 高圧的な物言いは、当然のように椿のもので。

 普段なら言い返すだの茶化すだのするだろう友人も、椿のまとう鋭い気配に、「は、は……はい、姫」と小さく呟いて、こそこそと久人の横を過ぎ、廊下へと避難した。


「仲良くなったんだな」


 久人が若干的外れな意見を言うと、椿はしなやかな、けれど驚くほど迅い所作で、久人の胸倉を掴んだ。


「『それ』はなによ?」

「え?」


 意味が判らない。

 相変わらず、首は苦しくもない。


 久人が椿を丸い目で見下ろすと、彼女はぎりっ、と歯を食い縛り、その隙間から呻くようにして静かに言った。


「あんた、なにしたのよ」

「姫? ごめん、なにが──」


 紡ぎ掛けた言葉は、彼女の揺れる瞳に吸い込まれた。

 その、何故か傷付いたような、それ。



「あんた、一体なんなのよ……ッ」



 押し殺した、悲鳴。

 そう、それは確かに、悲鳴だった。


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