後には引けない
指定した公園のブランコに座って、俺は宮野さんの両親が来るのを待っていた。
予定の時間にはまだだいぶ余裕があったが、一人で考えたいことがあったので俺は部屋を抜け出した。
まだ春が遠い冷たい北風が、熱暴走を起こしそうな脳に気持ちよかった。
いろんな事が起こりすぎて、俺は何をしたらいいのか分からなくなっていた。
ここ最近の出来事はどれも現実離れした突拍子のない事だらけだったけど、どれも紛れもない現実なのだ。
宮野さんはまだ目を覚ましていない。
いつ目を覚ますか分からない。
俺にできるのは、宮野さんが目を覚ますのを信じて行動することだけだ。
もしそれが、ただの自己満足だとしても俺にできることはこれしかな。
三十分ほど待っただろうか。公園の入り口に一組の夫婦が現れた。
右側に立つ男性は俺を見つけるとこちらに歩き出した。
その後ろを不審そうな顔をして付いてきているのが宮野さんのお母さん、春美さんなのだろう。
高そうな毛皮のコートに身を包み、ブランドもののバックを下げている。
顔は宮野さんと似ている感じがしないでもないが、厚く塗られた化粧のせいでよく分からない。
俺はブランコから立ち上がって二人を待った。
二人は俺から二、三歩離れたところで止まった。俺は黙ったまま一度頭を下げた。
「急にお呼びしてすいません。
できるだけ早くお二人とお話がしたかったもので」
「いいですよ、今更改まらなくても。
それより早く本題に入ってくれませんかね?私たちも暇ではないので。
それに、ここは少し冷えますし」
「その事なんですが、これから俺の部屋に来てもらいます。
そこなら落ち着いて話せるし、何よりお二人も現場を確認したいでしょ?
みや……千尋さんが命を絶とうとした場所を」
春美さんがひっと怯えたような声を出して一歩後ろに下がった。
信雄氏は顔色を変えず俺の目をじっと見てふぅとため息を付いた。
「分かりました。実を言うと私たちも君にお願いしたいことがあってね。どこでもいい、連れて行ってくれるかな?」
俺に弱みを握られているはずなのに、信雄氏の態度は至って普通だった。
弁護士としてのキャリアがそうさせるのか、もしくはもっと別に何かあるのかは分からないけど、俺の部屋に来てくれるのならそれでいい。
俺は二人を後ろに従えて、天獄荘へ歩き出した。
♦♦♦♦♦
「千尋はアパートの浴室で倒れていたと聞いたが、そのアパートというのはこの先にあるのか?」
後ろを歩いていた信雄氏がキョロキョロと辺りを見回しながら訊ねてきた。
そのさらに後ろでは、やはり春美さんがキョロキョロと忙しなく首を動かしている。
「そうですよ。アパートというほど立派なものじゃないですけど」
俺がそう答えると、信雄氏は黙ってしまった。
一体なにが気になっているのだろうか?考えてみてもそれらしいものは思い浮かばない。
ただ単にこの辺に来るのが初めてだったのだろう。誰でも、見知らぬ土地は心細くなるものだ。
と、そんな事を考えていると天獄荘が見えてきた。
「着きました。ここです」
後ろを振り返って天獄荘を指さすと、二人の顔が青ざめた。
二人はゆっくりと目を合わせアイコンタクトをとると、もう一度天獄荘を見た。
「どうしました?」
たまりかねて訊ねると、二人は慌てたように首を振った。
「何でもない。何でもないよ。気にしないでくれ」
明らかに何かある。俺はそう確信した。
二人の態度は、どう見ても何もないように見えなかった。
しかし、何に対してそんな反応をしているのか分からない以上、「何んでもない」と言っている人にこれ以上聞くことはない。
俺は「こっちです」と手招きして天獄荘の敷地に入った。
二人は数秒ためらった後、意を決したように一歩踏み出して天獄荘の敷地に入った。
それと同じ事を、202号室の前でも繰り返した。
♦♦♦♦♦
「どうぞ」
そう言って出したお茶に手を付けようとせず、信雄氏と春美さんは居心地が悪そうに方を小さくしてこたつに入っていた。
さっきまで余裕を見せていた信雄氏は、そわそわと落ち着かない態度をとっている。
元から黙っていた春美さんは、目線を落としたまま動かないでいた。
この二人は何を隠しているのだろう。
興味は湧いたが、それよりも重要な用件があったので、俺は好奇心を心の隅に追いやった。
「それじゃあ、さっそく用件を話そうと思うんですが、先に浴室の方を見ますか?」
「いえ、それは後で構いません。
それより、早く本題を」
信雄氏は何かにせき立てられるように、焦っていた。
「そうですか。
それじゃあ、単刀直入に言いますね。
宮野信雄さん宮野春美さんあなた方が千尋さんの両親であり続ける以上、千尋さんが自由になることはありません。
千尋さんは、あなた方の存在に苦しめられています。
だから」
俺はそこで言葉を切り、自分の心を奮い立たせた。
言うぞ。俺は言ってやるんだ。
独り善がりでも、自分勝手な自己満足でも良い、俺は俺の思うことをやるんだ。
「お二人にお願いします。
千尋さんの親権を放棄して下さい」
その瞬間、俺の目には二人が笑ったように見えた。




