止まったままではいられない
夜が明け、待合所が混み始めた頃、俺はやっと重たい腰を上げた。
暖かそうな毛布にくるまれた生まれたての赤ちゃんから、長年生きてきた苦労を顔に刻み込んだ老人まで、幅広い人間がここにはいた。
生きるためにここへ来ている者もあれば、死なないために来ている者もいる。
希望を持っている者もいれば、絶望に直面している者もいる。
病院とはそう言うところだ。
こちらで新しい命が生まれれば、こちらでまだ生きれたはずの命が途切れる。
奇跡で人が生きることもあれば、うっかりミスや偶然で死ぬこともある。
そんな、生と死が混ざり合った混沌こそが病院という場所の本質なのだとおもう。
……いや、違うな。
これは何も、病院だけに言えることではない。
俺たちが生きている世界は全てがそう言う仕組みで動いている。
あちらで殺し合いが起きれば、こちらでは平和的なスポーツの祭典が開かれる。
人助けもあれば、人殺しも蔓延る。
子供を愛する親もいれば、憎む親もいる。
この世界はどこに行っても光と闇、表と裏が共存し、だけどお互いに目を合わせることなく知らん顔して居座っている。
光は闇を嫌悪し、闇は光を妬む。
そんな構図がどこに行っても展開されている。
そしてその構図は、今俺が向かっているボロアパートにも適応されるのだろう。
今の俺の我が家であり、宮野さんが命を絶とうとした場所。
それ以前にも、少なくとも四人は自殺をした事のある町中の自殺の名所。
〖天獄荘〗
天国と地獄の狭間の混沌。
生きているものと死んだ者がともに暮らす場所。
光か闇かと問われれば、間違いなく闇と答えるその場所は、俺や宮野さんと同じに見えた。
光を羨み、自分が闇である事に絶望し闇から逃れようとした。
黒から逃げ出す事なんてできないないはずなのに、俺や宮野さんは逃げ出そうとした。
その罰が今の状況なのだとしたら、納得できるような気もするけど、それでもやはり重すぎる罰な気がする。
宮野さんがどういう気持ちで死のうとしたのか、それは俺に分かるわけがない。
だけど、多分あの公園で首を吊ろうとしていたほんの少し前の俺とそう変わらない思いを抱いていたのではないだろうか。
そんな絶望の中、体から流れ出る血と傷口の痛みを感じながら目を閉じた宮野さんはどれほど悲しかったのだろうか。
俺は、そのことを思うと胸が痛くなった。
こんな、実体の伴わない痛みなんて宮野さんの感じた痛みの数千分の位置にも満たないのだろうけど、それでも俺はほんの少しだけ宮野さんの痛みを一緒に負っているような気がした。
♦♦♦♦♦
誰もいない部屋はとても静かで暗かった。
まるでここは、死後の世界へと続く長く寂しい真っ暗なトンネルの中なのではないかという錯覚を覚える。
あながち間違ってもいないことがさらに俺の気持ちを沈ませた。
「おい、叶!どうだったんだ千尋ちゃんは」
誰もいなかった部屋に突然アロハシャツの男とバスタオルを巻いた女性、詰め襟の学生と赤ん坊が現れたが、俺はもうその程度のことでは驚けない。
アロハ男のビッツはその強面に似合わない不安げな目で俺を見ていた。
声は出していないが、ビッツの後ろにいる後の四人もそれぞれ不安そうだ。
もう死んでいるはずなのに妙に人間味のあるその目は、俺とはまた違う場所を見つめている気がした。
「一命は取り留めたってさ。だけどまだ意識が戻ってない。
今は病院のベッドの上で眠ってる。宮野さんの両親が隣にいたから俺はそこには行ってないけど」
すると、四人がそれぞれ違った反応を見せた。
ビッツは照れ隠しのように顔を逸らし「ま、別に心配なんてしてなかったけどな」とうそぶいた。それでも、その顔には安堵の色が見て取れる。
それとは対照的にリッシーは「よかった!やった、やった!」とその小さな体を飛び跳ねさせて喜んでいた。
その後ろではホッとした顔をしたキリーがバスタオルで目元の涙を拭っている。だから、いろいろポロリしそうで危ないんだよその体勢!
四人のなかで一番複雑な表情をしていたのはトビーだった。
トビーは安心したように強ばっていた顔を少し弛めたが、またすぐに険しい顔に戻ってしまった。その反応に引っかかった俺は、トビーに訊ねた。
「何か悪いことでもあるのか?」
「いえ、そう言うわけではないのですが……」
トビーの歯切れは悪い。
なにか思うところがあるようなのだが、上手く言葉にできないようだ。
まあ、それに似た感情を俺も持っていたので、それについて訊ねるのはまた今度でも良いだろう。
宮野さんの意識が戻っていない今、手放しで喜べる状態でないのもまた、事実だった。
「そうだ、皆にはお礼を言わなきゃいけないよな。
宮野さんが死のうとしたとき……手首を切ったすぐ後に金縛りをかけてくれたんだよな?
そのおかげで宮野さんは助かったんだ。ほんと、ありがとう」
「いや、だからそれは咄嗟やったからで。ワイは別にそんなつもりは……」
焦って首を振ったのはビッツだった。どうやら、また宮野さんを救ったようだ。
何だかんだ言いながらも、ビッツは正義感が強い。俺なんか到底及ばない。
それでも俺は、ほんの少しでも良いからビッツに近づきたいと思った。
そうすれば、何かが変わる気がしたから。




