7 [逢]
[逢]
薄暗い部屋をしばらく進むと突然、鋼鉄の壁が行く手を阻んだ。
大きく書かれた〝部外者立入り禁止〟の赤い文字。けれどサリュウさんは、慣れた調子で壁面の一部に手を触れた。
コォン…と音をたてて、壁がZ型の切れ込みを入れて開いていく。
その先に現われたのは――。
「水槽……?」
四角いガラス張りのアレではない。強いて言うなら、その印象は〝卵〟だ。
両端が尖ったつるんとした楕円形の巨大なそれは、うす碧い不思議な水を湛えて天井から吊り下げられている。
いや下がっているのか、下から持ち上げられているのか不明だ。卵に絡みつく何本ものネット状の管は、離れるにしたがって太い金属の枝になり柱になって支えている。
こぽり、と水の中で泡がたち昇る。
浮かぶように巨大な卵の中に立つ、白い人影。よく見ると、中にも入り込んだ細い管が、いくつもその体に巻きついているのが分かる。
ゆらりと揺れる色のない髪。細い枝のような手足。
痩せた小さな顔の中で、閉じられていた瞼がゆっくりと開いていく。
《――やあ、サリュウ。なんだか騒がしいけど、どうしたの?》
耳ではなく脳裏に響くその声は、まぎれもなく――レインの声、だった。
水槽の中にいることを除けばいたって自然に、レインはやんわりと首を傾げてあたしを見た。
《サリュウがお客さんを連れてくるなんて、めずらしいね》
「おまえの客だ」
《僕の……?》
「話せば長いが、聞く気はあるか?」
《そうやって訊くってことは、話す気ないんでしょう?》
「まあな」
肩をすくめ、サリュウさんは心底嫌そうにため息をつくと、卵型の水槽に近寄った。
丸いガラス面に右手を当て、軽くうなだれて目を閉じる。同じようにレインが瞼を伏せ、指先を軽く持ち上げた。
刹那。
接触の悪い電源のように、あたしの意識がぱちりと途切れて戻った。時間にして1秒もないそれは、寝落ちしたわけでは到底ない。
はっと目を上げた先で、二対の瞳があたしを見ていた。
「ひょっとして今の……」
「おまえの下手くそな説明を二度も聞く気はないからな」
「……うわ。マレビトずっる」
つか早すぎる。あれだけ頑張ったあたしの説明を1秒弱で終わらせたよ、この人たち。
《いや、ある力は使わないと効率悪いでしょ。っていうか、最初の説明の段階で記憶を読ませるべきだったよね》
――え、それもどうかと。
思えば、サリュウさんが同意するように眉を顰めた。
「不審者の混沌とした記憶を読む気などないぞ。過程が多すぎて、情報の選択が面倒だ」
《そこは技術力でカバーするところでしょう。――で。僕は君にどう挨拶するべきなのかな、アサノマキさん?》
まるっきり他人のようにフルネームを呼ばれ、なんとも言えない違和感が漂う。
「ほんとに、レインなの?」
《この艦内に〝レイン〟と名乗る稀人は他にいないね。はじめまして、でいいかな?》
「は、はじめまして」
会えばなんとかなると思っていたわけでもないけど、記憶にある〝レイン〟との齟齬に気まずく言葉を途切らせる。
なにしろこの〝レイン〟は、まるであたしを知らないのだ。
「えと、近くに、行ってもいい?」
《どうぞ》
卵水槽の前にある、腰の高さほどの低い柵を乗り越えて目の前に立つ。
曲線的な造りのせいか、水槽は遠目で見るよりも大きく感じた。レインがいるより奥に同じ形のものがいくつか見えるけど、使われている様子はなかった。
床から数十センチ離して設置された水槽のせいで、レインは頭ひとつ分くらい上にいる。
見上げた彼は、記憶の姿よりも幼く華奢で、繊細なガラス細工のようだ。それでも透明なマスク越しの顔立ちには、やっぱり覚えのある面影が残っていて、ほんの少し肩の力が抜けた。
「突然押しかけてごめんなさい。驚いた、よね?」
《驚くというより困惑してる》
「う、ごめんなさい」
《謝るのはいいから。僕も今の異常事態が解決される可能性があるなら、手助けせざるを得ないし。で、具体的になにか策はあるの?》
「さく……?」
来た方法も分からないのに、そんな高等なものなんて持ち合わせるわけもない。
えへへと適当に笑ってごまかしたら、あきれた眼差しがあたしを逸れて左隣に向かった。
《なにこれ、僕に丸投げってこと?》
「三つある共通項の中で、おまえが一番調整がきくんだ」
《もう面倒だから、この子をプラズマの中に放り投げてくれば?》
「それも考えなくはないが」
出たよ、鬼畜発言。
《あ。むしろ部屋ごといくとか》
「あれでも公的設備だから、強引にもぎ取るわけにもいかない」
《突発的な事態には予想もしない被害が起こるものだよ?》
うん。ほんとこの二人、似たもの同士すぎる。非常時にわりとふざけた会話をしちゃうところとか。
最初にレインと会った時もだけど、ちょっとイラっとくるんだよな。
「……いい加減、真面目な話し合いをしてくれませんか」
《え、わりと本気だけど?》
「ふ・ざ・け・る・な! プラズマがなんだか知らないけど、宇宙船全体とか広い範囲で影響があるんなら、もっと大掛かりなことが起こってるはずでしょう? だけど実際はあたし一人が来ただけなんだから、定点に似た時空間の異常がピンポイントで発動したとか、そっちのほうが可能性あるんじゃないの?
目の前の問題だけスルーして解決したような気分になってどうすんの! もっと根本的な解決考えてよっ!」
腕の中のヒヨコをねじ切る勢いでしゃべれば、二人が目を見合わせた。
《ふうん、なるほど。考えてないわけじゃないってことか》
「プラズマは二次的な産物で、原因は別の問題か……やはり、おまえか?」
《心当たりがあるなら、とっくに提案してるよ》
思案するように、水槽の中でレインが、ふわふわと管のついた手足を動かす。
《〝定点〟は聞いたことがある。[まほら]からの地球観測のためのポイントだけど、それを使ってワームホールを作るとか、ちょっと考えにくいんだけどな》
ワームホールとは、理系人間の兄曰く〝理論上のタイムワープ的抜け道〟だという。だけど実際は、超未来のハイテク技術+マレビトの力+魔法が絡んでいるのだから、一筋縄ではいくはずもない。
――無理なのかな……。
なにも感じない右腕に目を落とす。マフォーランドに帰れないという可能性が、急に現実味を帯びて押し迫ってきた。
《ねえ、アサノさん》
目を上げると、レインが指先でちょいちょいと招く。
「あの……マキでいいです」
《じゃあ、マキ。ちょっと、近くに来てくれる?》
僕移動できないからさ、と軽く続けられた言葉に戸惑いつつ、あと一歩の距離が残るくらいまで水槽に近寄った。
そこまで寄ると、レインと視線を合わせるのに、首をしっかり持ち上げないといけなくなる。
あたしの目の前には痩せた白い胸――当たり前だけど、水槽の中のレインはハダカだ。腰から下は、ガラスに色が入っているのか微妙なグラデーションになって見えない。ちょっとほっとした。
間近で見ると、巻きついているだけのように見えた細い管が、肘の内側や鎖骨の下、手の甲などに先端を埋めているのが分かる。
思わず息をつめたら、レインが首をかしげた。
《どうかした?》
「レイン。管、痛くないの?」
《慣れてるからね》
いや、慣れてても痛いものは痛いと思うけど。長く闘病生活を送っていると、点滴で血管がぼろぼろになっていろんなところに刺すとか聞いたことがあるけど、それに近いんだろうか。
――未来なんだから、もうちょっと他にいい方法を考えればいいのに。
〝過去〟に来ておいてなんだけど、誰だか分からない相手に愚痴を洩らす。
透明なマスクの下で、レインがふっと息を吐いた。
《見た目より違和感はないんだよ?》
「レイン、ドSだと思ってたけど、実はMだったの?」
《……ここへ来て、そういう感想をもったのは君が初めてだよ》
「だって、やけに管多いし顔色悪いし……いじめられてるわけじゃ、ないんだよね?」
隣のサリュウさんに訊けば、腕を組んで鼻で笑われた。
「こいつがそんな殊勝なやつだと思うか?」
「や、思わないから疑問で……。レインだったら、嫌ならぶっ壊して逃げそうなのに」
そんなに具合が悪いんだろうか。今の病状?をどこまで突っ込んで聞いていいか分からずに、言葉を濁す。
「でも、良くなったら出られるんだよね?」
「出る努力はしているところだ」
《ここにいないことのほうが、逆に僕は違和感なんだけど》
その言葉が闘病の長さを物語った。闘病ではなく、すでに病はレインの体に共存している状態なのかもしれない。
「だけど、レイン。早く出てこないと、ふやけちゃわない?」
「……ふ」
サリュウさんが噴き出し、レインがなんとも言えない表情になった。
《……まさかここで皮膚のダメージについて突っ込まれるとは思わなかった》
「合ってはいるぞ?」
《うん。事情を知らないって、こういうことなんだね。新鮮な気分だよ》
とか言いつつ、どんどんレインの目が冷たくなっていく。
「う、ごめん。気に障った?」
《いや。僕がこの人工子宮から出られないというのは、僕のことを知っている人には周知の事実だからね。その説明を怠ったサリュウがいけないんだよ》
「体、よくないの?」
《慣れていると言ったでしょう。それに専属の医療スタッフもサリュウもいる。気にしないで》
うん、と頷いたものの、すっきりしない。
あたしが知ってる聖地の神さまは、変幻自在、神出鬼没が代名詞なくらい発言も行動も自由そのものなのだ。あの奔放さは、彼が以前こんなふうに身体の自由がきかなかった反動かもしれない、と考えがよぎって――血の気が引いた。
――この〝レイン〟は〝レイン〟じゃない。別人だ。
あたしや理緒子のように、自分自身のまま違う世界に入り込んだんじゃない。
今の彼は、言うなれば〝レイン〟の前世。まったく異なる存在なのだ。
《じゃあ、そこに手を触れて》
水槽の壁に手をつけるようにうながされる。
おそらくチヒロさんがやったみたいに、ガラス越しだけど手を触れることで、あたしの記憶からなにかヒントを読みとる気なんだろう。
急いだほうがいいと心の奥で思いながらも、一人水槽に漂う彼をじっと見上げる。
「……ねえ。レインは、この先に起こることを知って、それを避けたいと思う?」
ん?と彼が首を傾げる。
「だっていつか[まほら]のメインコンピュータと同化しちゃうんだよ? それって、どういうことだか分かってる……?」
死ぬのだ。彼は、必死で維持しているこの壊れそうな肉体を失い、〝人〟であることから永遠に決別するのだ。
水槽や管から解放される時が、それまでに訪れるとは思えない。
――彼は、自分の口でこの空気を吸い、地面に立って、空を見上げることができたんだろうか。
可哀相という言葉は、傲慢すぎる。
ただ、どうしようもなく自分が無力な気がして、いつの間にかあたしはぼろぼろ泣いていた。
水槽の中の〝レイン〟は、少し目を瞠り、それから水の色に溶ける碧の瞳をやさしく細めた。
《僕は、先に起こることなんて知りたくないね》
すぅっと、横にいるサリュウさんが息を呑んだ音が聞こえた。
《未来は選びとるものだ。僕が僕自身であることを変えない限り、知る意味はないよ》
「でも……ひょっとしたら、もっといい方法があるかもって思わないの? 危ないことが避けられるかもしれないんだよ……?」
《避けられる程度の予知なら僕にもある。だけど、それでも僕がその未来を選んだのなら、それが最善だったからだ》
ふわり、と天空を舞うように、彼の右手があたしの額辺りのガラス壁に触れた。
《僕はこれでも最上級に我が儘なんだよ。自分が納得いかないことは、絶対に選ばない。なにを失おうと、僕は未来の僕の決断を覆す気はないね》
分かっている。
彼は自分自身を擁護しているようで、本当はまるで構っていないってことを。
未来を改変しない選択をすることで、あたしの帰る場所を守ろうとしてくれていることを。
涙でぼやける視界で彼を見た。
線の細い顔立ちが笑っている。そのどこか横柄で超然とした笑みは、あたしの知ってる〝レイン〟そのものだった。
――……ごめんなさい。
心の中でサリュウさんに謝る。きっと一番複雑なのは彼だろうから。
そして、手のひらで頬をこすって口角をあげた。
「ありがと」
《お礼はいいから。手を合わせて》
ヒヨコを片手に抱いたまま、右手をそっとガラス壁越しに合わせる。
瞬間――足元にやわらかいものが落ちたと感じる間もなく、世界が黄金の光で埋まった。




