5 [乱]
[乱]
「――今、なんと言った?」
「落ち着いてください、サリュウ! その名前が誰とは、まだなにも」
「おまえは黙っていろ」
閻魔大王は、本物の人外だった。
角も光る目もない。だけど、静かに怒りを燃え立たせて、ぱりぱりと青く光る火花を周囲に散らしてたたずむ姿は、恐怖以上の圧力だった。
怖さのあまり体中からいろんなものが噴き出しそうなのに、目が、離せない。
「なぜ、その名を口にした」
答えたくても、口が動いてくれなかった。かたかたと歯がかち合う。
「答えろ!」
「サリュウ!」
ふいに圧迫感が薄れる。
目だけで横を見ると、チヒロさんが左手を宙に掲げ、その先に半球状の空気が傘のように広がって、あたしたちを守っているのが分かった。
「落ち着いて下さい。今の状況がどうであれ、一般人に力を揮うとどうなるか分かってるんですか」
「……そこを退け」
「退けと言って素直に退く相手を妻にしたと、あなたが考えていたとは驚きです。妻と子を失ってもいいというなら、このままどうぞ」
「だ……めっ!」
チヒロさんが彼に冷静さをとり戻そうとしてくれているのは分かったけど、不安がそれを上回った。妊婦さんなのに他人守ろうとか、そんなの絶対ダメだってば!
チヒロさんを押しのけるように前に出る。瞬発力がスプリングに吸収されて、顔からつんのめりそうになるのを膝でこらえた。
結果、土下座みたいな格好になったけど、どうだっていい。
ヒヨコを持った両手を前に突き出す。
「じ、地雷を踏んだんならごめんなさい。でも、彼はたぶん今の時代にもいるはず、なんです。なんだか事故があって[まほら]を守るのにメインコンピュータと同化したから、あたしの時代にもまだ生きてて」
勢いのまま早口で喋りつづける。
「その、生きてるっていうか実体はないんだけど、めちゃめちゃすごくて聖地とか衛星とかの管理を全部してる――神さま、なの。で、名前はレインだって」
「……本人がそう言ったのか」
やや怒りの引いた様子で、それでも声音は相変わらず地獄の使者も震えあがりそうな調子で、彼が尋ねる。
「うん。今も昔も、そう呼ばれてるって」
「どんなやつだ?」
「見た目の年齢は、あたしと同じくらい。たぶん金髪で、目は海みたいに深い碧。びっくりするぐらいの美少年なんだけど性格と口の悪さでマイナス。〝僕は最強だから〟とか、しょっちゅう言うし」
「……」
「あ、でも面倒見はいいというか、文句言いながら一応わがままは聞いてくれるし、質問には答えてくれるし、暇つぶしには付き合ってくれるし」
「……聖地の管理者とやらが、暇つぶしに付き合うのか?」
「態度はえらそうだけど何千年も生きてるし、退屈なんじゃないのかな。文句言うわりに、人に構うの嫌いじゃないと思う。わりに世話好きな神さまだから」
孤独好きなのに寂しがり屋。レインを評するなら、そんなひねくれた表現がぴったりだ。
ふつっと電気が途切れたように、稲妻が消える。
サリュウと呼ばれた閻魔大王は、なんとも言えない表情をしていた。怒りの翳はもうそこにはなくて、むしろ哀しみにも似た静けさが宿っている。
――……あ。
その横顔にある面影を想起して、あたしは黙った。
ため息の混じる低音が、ぽつりと静寂を破る。
「――[まほら]を守るのに、メインコンピュータと同化しただと……。愚かもいいところだ」
「サリュウ」
「愚かすぎて呆れる。まったくもって――」
あいつらしすぎる。
ほとんど吐息にかき消された言葉は、独白というより深い傷みに満ちていた。
なにも知らないあたしの胸が、ずくんと疼く。
――大王は、レインを知っているの?
――レインは、大王にとって大切な人なの?
泡粒のように浮かぶ疑問は、口に出すまでもなかった。読まれるという以前に、二人の間に満ちる空気がそれらのすべてを上回って肯定していたから。
重いお腹を抱えるようにしてチヒロさんがベッドから降り、彼のもとへ歩いていく。いつの間にか、二人の手から動物マグカップが消失して、奥のダイニングテーブルに移動していた。
背の高い彼に手を伸ばすチヒロさんに、大王が上体を屈め、その頬に手のひらを受ける。
「……すまない。おまえの体に負担をかけてしまった」
「それはいいんです。ちょっと部屋のほうが心配なだけで」
「放っておけ。災害時には、想定外の被害が誘発されるものだ」
きれいな言葉でまとめたけど、暗に自然現象に責任をなすりつけただけにしか聞こえない。まあ、それでも遠因はあたしとも言えるわけで。
壁や天井からなにやら焦げくさい臭いやバチバチと音がするたびに、肩身がどんどん狭くなる。例のマレビトの力を制御するナニカが、正常な機能を失ったことは確実だ。
「じきに監視局が、この部屋の制御用電磁装置の故障に気づきます。あなたは早く行って下さい」
「なんだか、妻に浮気を勧められている気分だな」
「ふざけている場合ですか。……彼に会わせるんでしょう?」
ちらりとチヒロさんの瞳が背後のあたしを窺った。閻魔大王のサリュウさんが、深い息を吐いて彼女の体を抱きしめる。
「あいつに関わらせる気はなかった」
「気持ちは分かります。でも、そういうわけにもいかないでしょう。第一ほっといたら、向こうから首を突っ込んできますよ?」
「……だから嫌なんだ」
閻魔大王がこんなに嫌がるってことは、〝今〟のレインは相当手ごわい相手なんだろうか。
あたしの知ってる彼が、千年近い歳月をかけて性格を丸くした結果だとしたら――ひねくれ度合が怖すぎて、あんまり想像はしたくないのだけど。
暗い予感を抱えたまま、あたしと閻魔大王は、チヒロさんを一人残して部屋を出た。




