2 [始]
[始]
言われるままに、彼の持ちものらしいベッドの端に、ぽすんと腰を落とした。
きつく抱き締めているせいで、腕の中のヒヨコには丸々した体型に似合わないウェストのくびれができている。かわいさ半減だ。
ふいに辺りが明るくなる。音もなく、部屋全体の照明が点いたのだ。
目をあげると、男は椅子から立ち上がり、テーブルの角に軽く身をもたせかけていた。
想像していたよりも背が高い。体の半分以上は足なんじゃないだろうか。
なんとなく既視感をおぼえる、喉元から足首までを覆う灰褐色の揃いの服。左胸に金色のバッジが光り、肩と袖口にひかれた紫のラインが印象的だ。
とはいえ、服よりも圧倒的に目を惹くのは、着ている本人のほうで。
タクほどは身長がないと思うけど、とにかく頭身がおかしい。頭ちっさい! 下手したら九頭身くらいのモデル体型だ。
――いや、モデルじゃないな。彫像だ。
後ろへ撫でつけた黒髪、ぴんとした鼻筋に濃い眉。こちらを見据える表情が無いのもそうだけど、カフェ・ラテ色の肌に刻まれたどこの国ともつかない顔立ちは、歴代の美形・美男子のデータをとって平均値をたたき出したような完璧な配置を見せている。
完璧すぎて怖い。
――……まあ、怖いのは状況も、なんだけど。
場を和ませようと愛想笑いを浮かべかけた頬が、瞬間凍結した。何色か分からない深い色の両目がとてつもない威圧感を醸し出している。
魔王化したときのルイスといい勝負だ。いや――むしろこれは。
――現世の罪状を問い詰める閻魔大王だよ……。
どちらにせよ〝魔王〟というのが笑えない。この場合、〝大〟がつく相手を連想してしまうだけ質が悪いのか。
どうせ裁かれるなら気の済むまで抵抗しようと、質問をひねくり出す。
「あの……ここ、どこなんですか? えと、地理的に」
「三風(みつかぜ)の管理棟三十七階だ」
――どうしよう。本気で意味がわからない。
泣き出しそうになる気持ちを抑えたくて唇を噛む。心の奥底である可能性が警戒警報を鳴らすけど、それを無視して質問を重ねた。
「みつかぜって、街の名前ですか?」
「都市名だな」
「都市……じゃあ、国名は?」
「その前に答えろ。君はまだ俺の質問に答えていない」
さっきの質問というと、ここにいる状況を説明しろってやつか。
してもらいたいのはこちらのほうなのに。
「では、質問を変えよう。君はここを、どこだと思っていた?」
「……知り合いに頼んで借りた部屋、です」
「その部屋とはどこにあるものだ?」
「結構辺鄙な場所、かな。住所は知りません」
聖地のことは詳しく言わないほうがいい気がして、適当に濁す。
右腕にあるはずの鍵に目をやるけど、空間を飛び越えてここへ招き入れてくれたはずの未知の紋章は、きらりとも輝かない。まるで普通の腕に戻ったようだ。
――悪い夢、みたいだ。
ぎゅっと両目に力を入れて閉じれば、前に立つ男から嘆息が流れた。
「目を閉じたところで状況は変わらん。質問に答えろ。君はその辺鄙な場所にどうやってやってきた?」
「……」
「では、その場所をどうやって知った?」
「……伝説?」
「俺をからかっているのか?」
男の顔に、ようやく感情らしきものが浮かぶ。苛立ち、だ。いい傾向ではない。
それでもいつまでも犯罪者扱いされることに、そろそろ腹が立ってきた。同じ責められるんなら言いたいこと言わないと損ってものじゃないだろうか。
「あたし、好きでこんなところにいるんじゃありません。八つ当たりされても迷惑です」
「迷惑なのは俺のほうだ。ここは、俺の部屋だ」
「そんなの知りません。あたしは一人になりたくて、適当に借りた部屋でうたた寝してただけです。いい加減帰して下さい!」
「部屋を貸した者とはだれだ?」
「この状況でそれに答えてなんの意味があるんですか! あたしはここがどこか分からないんです。ここはなんていう国なんですか? なんで日本語喋ってるんですか? 地獄の閻魔大王でもなんでもいいから教えて下さい。そうじゃなかったら、もう夢から覚まして……っ!」
荒れ狂う感情のままに言葉を吐き出したら、涙腺まで決壊した。ぎゅうと抱き締めたヒヨコの頭に溢れ出るものを沁み込ませる。
しばらくえぐえぐいって、ふと沈黙が長いことに気がついた。
そぉーっと目を上げれば、変わらない表情の閻魔大王。
「落ち着いたか?」
無言でうなずく。とりあえずヒヨコの頭はべちょべちょですが。
「泣いて叫んで状況が好転するなら俺も止めないが、今はそうではない。分かるな? お互いの利益を損ねないために協力が必要だ。それに――」
彫像のように整ったカフェ・ラテ色の頬が、ふっとやわらかなラインを描いた。笑った?
「女の涙はあまり安売りするものではない。ここぞというときまで、とっておけ」
「……ここぞ?」
モ○ゾーとかの親戚でしょうか。まずい、ひさびさの日本語に脳がゲシュタルト崩壊を起こした。
「男を説得させたいとき、だな」
「……今けっこう説得したいんですが」
「残念ながら、女の涙の効果は惚れた相手限定だ。第一、君はほとんど説得できる材料を提示していないだろう?」
なんなんだ、この理論武装。このヒト、いつもこんな話し方なんだろうか。
――周りの人、疲れないのかな。
などと思いつつ、恐怖感も少し薄れたのでヒヨコの頭越しに反論してみる。
「状況が把握できていないのに、説得の材料なんて出せません」
「なるほどな。多少は話の通じそうな相手で安心したよ」
理屈好きなのか、真っ向から返した反論に気を悪くする様子もなく、彼は交差していた長い脚をほどいた。
「では、君が聞きたかったことを答えよう。まず、ここは国ではない」
「……へ?」
まさかの答えに、あたしの口から間抜けな声が漏れた。
「国じゃなければ、なに?」
「かつて国だったものから独立した政府組織が運営・管理する、ある特殊状況下にある単独地域だ。もうひとつの〝なぜ日本語を喋っているのか〟という問いに対しては、かつて日本國に所属していたから、というのが答えだ。これで満足か?」
なんだか、とてもどこかで聞いたことのあるような内容だ。
厭な予感を抑えながら、おそるおそる訊いてみる。
「…………まさかここ、宇宙船とか言わない、ですよね?」
「正確には〝宇宙船〟ではないな。星間亜光速宇宙艇だ」
ああああ、デジャヴどころじゃない聞き覚えのある台詞。つまりここは――。
「[まほら]……?」
「分かっているじゃないか」
「……分かりたくなかった気がします」
ヒヨコを抱えたまま、ベッドに昇天したくなる心をぐっと鎮める。重力になびきそうになったそのとき、はっと大事なことを思いついた。
「ここって、地面の上ですか?」
「地面に着いたままの宇宙艇になんの意味があると?」
いや、それは知りませんが。つか、あたしの知ってる[まほら]はずいぶん昔から地面に着いたまま、なんですけどね。もう少しストレートな肯定の仕方はないんでしょうかね?
「飛ばない宇宙艇など、ただの鉄屑だぞ」
「……飛んでるんですね。いつごろ着――」
言いかけ、飛行機と同じ感覚でいたあたしは間違いに気づいた。
飛んでいる宇宙艇。ウチュウテイ。うちゅう――。
「こ、こここここ、宇宙の上なんですかっっ?」
「宇宙空間という状況で、上下の感覚は意味を成さないと教わらなかったか?」
「屁理屈はいいから教えてください。今、宇宙にいるの?」
あ、しまった敬語が。
怒ることなく、ため息混じりに男がうなずく。
雰囲気はやわらかくなったけど、微妙にカワイソウな目で見られている気がしないでもない。気にしてはいられない!
「目下二十九年間、宇宙空間を航行中だ。座標が必要か?」
「や、聞いても分かんないからいいです。えと、じゃあこの足のずっと下は宇宙ってこと?」
「惑星上にいても、大局的には足の下は宇宙だぞ」
「そういう屁理屈いりませんてばっ!」
しつこい男は嫌われるぞ。
黄色い頭越しに、むうと睨めば、また男がかすかに苦笑した。
これだけ整ってる顔が笑うと、結構衝撃だな。まるで雰囲気が違う。張り詰めていた空気が一気に軽くなるようだ。
白いシーツの敷かれたベッドの上から周囲を見渡す。
調度品や小物の有る無しでだいぶ雰囲気は違うけど、やっぱりあのときに案内された部屋だ。寝室の向こうは深みのある葡萄色の絨毯が広がって、オーディオプレイヤーに似た機械類が壁際に並んでいる。
――つまり……時間を遡ったってこと、かな。
なんて説明したらいいんだろうと考えながら、きょときょと見回していると、男の声が思考を遮った。
「宇宙なら、水平方向のほうが近いぞ。[まほら]は塔構造だからな」
ああなるほど、縦長ってわけね。って、どんだけ宇宙好きって思われてるんだ。
興味が無いわけじゃないんだけど……や、正直ちょっと気になるけども!
「窓って、ないんですか?」
「外に出てみるか?」
「え、出られるんですかっ」
驚いて聞きかえし――相手の目の輝きに口を閉ざした。深い色の瞳が、明らかに笑みをたたえている。
おずおずと右手を挙げる。
「すみません。外に出る場合、宇宙服は……」
「君の分は用意していないな」
「つつしんで遠慮します」
このドSめ。
――うん、決めた。このひとドサド決定だ。
思えば、考えが通じたように彼がまた微笑する。
「君は、みんなに分かりやすいと言われるだろう?」
「まあ、たまに」
ルイスとか理緒子とか兄さまとかアルとか、学院の友だちとか。あれ、ほとんどか。
「なるほど。おおよその状況は分かった」
「え、なんで――」
あたしの疑問を、彼が片手を挙げて止める。
直後、オーディオプレイヤーに見えていた壁際の鈍色の箱の一部が、緑の光を点滅させた。
あたしのほうを向いたまま、彼が声を発する。
「――状況はどうだ?」
『大混乱ですよ。各層都市のメインシステムの六割がダウン。すぐに補助システムに切り替えましたが、新手のテロじゃないかとの噂も広がって、警察も軍も事態収拾に大わらわです。ま、うちはどこも支障ありませんが』
鈍色の箱から響く若い男性の声に、彼がうなずく。
「なるほどな。通信機の映像が出ないくらいはご愛嬌というところか」
『ああ、それは別の原因です。現在軍にサイバー攻撃並みの問い合わせが殺到しているそうで、回線の負荷を減らすために通信局が映像データを軒並みロックアウトしたんです。こちらの疲労感溢れる顔がお見せできなくて残念ですよ』
箱からの声に、ため息のようなかすれが混じった。
状況はまるで分からないけど、大変さが端々からにじみ出る。彼もそれを感じたらしく、かすかに苦笑を洩らした。
「想像はついたから遠慮する。で、原因は判明したか?」
『メインが半分以上死んでる状態で分かったのは、[まほら]から約二十キロの至近を直径約十キロの規模のエネルギー塊が通過中ということ。それが放出するプラズマによる影響ではないかということだけです』
「プラズマ? 彗星に近いということか」
『すでにアマテラス星系内ですからね。太陽風の影響もあるんでしょうが、詳細は不明です。計器がダメなら稀人の力を使えという声が出ているそうですが、どうします?』
「〝計器に影響を与えるほどの磁場圏では、稀人の力は役に立ちません〟と言っておけ」
『言って聞く耳をもってくれるような相手なら、俺もこんなに疲労困憊してないですよ。隊長はどこかと船長からじきじきに連絡が入ったときは、心臓が縮みあがったんですから』
「船長から来たか。が……この状態で俺が顔を出すと余計に事態が悪化する。非番で連絡がとれないことにしておいてくれ」
『だんだんネタが尽きてきたんですが』
「お偉方に顔を売るいい機会だろう。愛想を振っておけ。どうせ減るもんじゃない」
『俺の神経がすり減るんです。第一、顔を売るんじゃなくて目をつけられるの間違いでしょう。伝言はしましたからね。後の始末はお願いしますよ?』
「ああ――」
うなずき、彼はあたしを見て意味深な笑いを口元に浮かべて言葉をつなげた。
「ちょっと急ぎの用事があるんだ。こちらが片付いたら向かう。展開があったら連絡をくれ」
『了解』
ぷち、とラジオが切れるような音をたてて、通信が終わる。緑の光が消え、すぐにまた点灯した。
『言い忘れましたが、奥さまがそちらに向かわれています。雲隠れした旦那さまを探すそうで』
「おい。止めろと言ったはずだ!」
『俺にそんな技能はありませんよ。動物も遠慮するところに口を突っ込む気はないんで。じゃ』
「おいっ!」
血相を変えた彼が金属の箱に向けて怒鳴る。が、いち早く通信は切れてしまったようだ。
そこへタイミングよく、軽い歯擦音とともに部屋の扉が開く。
扉の向こうから現われた小柄な女性が、部屋の中のあたしと彼を一瞥して目を丸くした――片手を口元、片手を丸いお腹にあてて。
「あら、まあ」
――……あーあ。こりゃ、カオスだわ。
他人事のように思い、急激に底冷えする部屋の温度に、あたしはヒヨコを抱く腕にぎゅっと力をこめた。