3 [話]
[話]
「急に非番申請して雲隠れした挙句、女子高生を部屋に連れ込んで泣かせた主人に、身重の妻はなんて言うべきなんでしょうね?」
「……チヒロ。これにはいろいろと訳が」
「ええ、あるでしょうね。とりあえず、その子を泣かせた理由から聞きましょうか」
イイ笑顔でびしびし突っ込む女性に、さすがの閻魔大王も押され気味に頬をひきつらせた。
「話していたら、そいつが勝手に泣いたんだ」
「そういう状況を一般的に〝泣かせた〟って言うんですよ。まったく」
閻魔大王の奥さんは意外なことに、あたしとそう年が変わらないくらいの、かわいらしい女性だった。身長は理緒子より低くて、たぶん150ないくらい。
サイドを残して軽く首すじで結わえたくせのない黒髪。重めに作られた前髪の下で、眼鏡の向こうのぱっちりした黒い瞳が微笑んでいる。手足も首もほっそりしているせいで、余計にお腹の膨らみが目立った。
にこりとあたしに笑いかけ、右手を差し出す。
「こんにちは、初めまして。わたし、チヒロです」
「おまえ。そいつは……」
「平気ですよ。信用できませんか?」
渋る旦那さまをさらりと流して、ベッドに近づく。あたしは面食らいつつも、膝立ちになって、その手をとった。
「マキ、です。すみません、お邪魔して」
ここからどかなきゃと思ったものの、それより先によいしょと声をかけ、チヒロさんがベッドの反対側の端に座った。後ろに伸ばした腕で支え、お尻を基点に体をねじって隣に足を投げ出す。
「あ~、重い。取り外して置いときたいぃ~」
「こら」
「大丈夫ですってば。……あ、枕とってもらえますか?」
「あ、はい」
ベッド奥に鎮座している、あきらかに夫婦のものらしき特大ピローをチヒロさんの腰の後ろに移動させた。もふもふと中身を整えて体を落ち着け、彼女がよしと満足げに頷いてあたしを見上げる。
――なにこのひと超かわいい。
だって、ちっこいんだもん。座っても目線が必ず下からで、上目遣いな感じが胸きゅんなんだもん。
「ごめんなさいね、マキさん。彼、怖かったでしょ」
「ええと、まあ、はい」
おろおろと頷き、気が緩んだあたしは、つい思い浮かんだことをつるりと口に乗せてしまう。
「チヒロさん。あの……なんであんな人と結婚したんですか?」
まさか脅されたとか。いや、得意の(と思われる)理論武装で、上から目線のオレ様的囲い込みをされたとか。
くす、とチヒロさんが噴き出した。
「たぶん想像したので大部分あってます」
「おい」
「ま、結婚しちゃったものは仕方ないですよね」
おいおい。閻魔大王、形無しだな。
「……ね? 問題ないですよ」
笑顔のままにチヒロさんが、向かいに立つ旦那さまに意味深な視線を向ける。
意味深――そうだ。なんだかちょっとだけ会話が噛み合っていない。
否、合いすぎている。
「マキさん」
「は、はい」
「わたしたちが何者か分かりますか?」
突然の問いに、あたしは質問の意味をつかみ損ねた。〝あたしにとってどういう存在か〟という意味なら答えられる。だけど、この問いは違うような気がした。
黙っていると、彼女が続けた。
「わたしたちは稀人です。意味は知っていますか?」
マレビト。魔法の原型を創った、人類の突然変異種――マーレインの始祖。
その最大の特徴は――。
「心を、読めるんですね?」
「はい。この部屋は特殊仕様ですが、この距離であれば問題ありません。意図的に手を触れればなおさらです」
じわりと汗ばむ右手のひらを眺める。あの握手は、そういう意味だったんだ。
魔法士の送心術は手を触れて心の声を送るだけモノだったから、まるで油断していた。
あたしを見上げる稀人の女性が、すまなそうに眉尻を下げる。
「ごめんなさい。だけど今は非常事態で、あなたが噛んでいる雰囲気だったから」
「さっき言ってた彗星のナントカですか? あたしなにも知らないですけど――」
言いながら、納得する。
そうか。こちらでなにかしら異常があって、未来にいたあたしと繋がったというほうが話が通るのか。それにしても、あたし一人がこっちに来るというのもおかしな話で。
「……ううう、頭痛くなってきた」
「大丈夫ですか? ……はっ、ひょっとして彼に自白強要とかされたんですかっ!」
――奥さん。あなたの旦那さんは一体どんな人なんですか。
読まれるのを承知で心の中でつっこみ、あたしはじくりと疼くこめかみを指先でぐりぐりと揉みほぐした。
「だいじょーぶ、です。ここに来る前から泣いてたんで、泣きすぎただけかと」
「なにかあったんですか?」
「……婚約者とちょっとケンカしまして」
一方的にキレただけだけどね。ルイスは聡いから、あたしが怒っているとすぐに分かる。そのくせ原因までは考えてくれないという、なんともやるせない聡さだけど。
「婚約者、ですか」
「はい。えっと、本当は結婚してもよかったんですけど、うちの親に二十歳まで待てって言われたのを地味に気にしてるみたいで……とりあえず婚約ってことで」
「マキさん、いくつですか?」
「十八です。彼は二十五」
「似てますね。わたしたちも七つ離れてるんですよ」
なんとチヒロさんは二十一、閻魔大王は二十八という、まさかの若夫婦でした。
驚いてとんでもない声が出そうになり、両手で口を覆う。
その指の隙間から、立ったままこちらを見ている長身をガン…いえ、チラ見してしまうのは如何ともしがたい衝動というもので。
「二十代……」
「初対面のくせに疑わしそうな目で見るのはやめろ」
「初対面だからこそ純粋な感想が溢れてしまうといいますか」
「そうそう」
「……なぜおまえが乗るんだ」
奥さまの援護射撃は旦那さまのほうに向いております、らっきー。
とはいえ、やっぱりあたしから追及が逸れてくれるはずもなく。
「で、マキさんはその婚約者から隠れるためにここに来た、というわけですか?」
「まあ……そう、ですね」
一人になるために来たんだけど、こんなところへは来たくて来たわけではないというか。
「どちらかはっきりしろ。おまえ自身の意思でここへ来たんだろう」
「……さらっと浮かんだ思考を読むのやめてもらえませんか」
さすがにマレビトはルイスたちよりも優秀らしい。結構離れているのにだだ漏れ状態だ。……いつからだだ漏れなのかは、考えないことにする。
「離れているといっても、せいぜい2.5メートルといったところだろう。この距離で読めないようでは、この仕事はしていない」
「だから、読むの止めてくださいよ。落ち着いて考えられないじゃないですか」
「落ち着かれても困る。こちらも急ぎだ。――なぜ君は、隠れるのにここを選んだ? しかも、このタイミングで。一人になりたいのなら、もっと快適な場所があったはずだろう?」
「ええと……ですね。実は、彼がお二人と似たような人でして」
一瞬の沈黙。
口を開いたのはチヒロさんだった。
「それは、稀人ということですか?」
「近いんですが、手も触れずに考えを読んだりは無理です。ああ、でも〝空間転移〟はできるみたいです。で、その、だいたい逃げるとすぐに捕まりまして」
喧嘩の原因は、実はそんなにたいしたことではない。この数ヶ月忙しくてほとんど逢えないルイスにあたしが焦れ、どうしても顔を見たくなって、こっそり仕事場に行ったのが事の発端というか、運の尽き。
結局ルイスには会えないわ、同僚だという人に厭味を言われるわ、勝手に家を抜け出したことがバレて兄様に叱られるわ。散々だ。
そこから顔を合わせづらくなって、手紙とか無視しつづけてたら、ルイスが逆ギレして部屋に押しかけてきて。あたしもキレて言い返して大喧嘩になって、しかもそれが真夜中だったから兄様の逆鱗に触れて、婚約破棄ぎりぎりのところまでいってしまった。やー、きつかった。
で。仲直りもかねて今夜、出会って二年目の記念日ディナーをはりきって準備したというのに、伝言ひとつで見事にすっぽかされ。あたしは一人こんなところにいるわけですよ。
「簡単には見つからないところをって考えて知り合いに相談したら、〝一番頑丈な部屋だ〟ってことで、ここを貸してくれたんです」
「……確かに、ある意味ここは頑丈ですけど」
呟いて、チヒロさんがなにか訴えるように閻魔大王に目線を向け、あたしに戻した。
「その、知り合いって誰ですか? ここは、そんな簡単に入れる場所ではないんですけど」
「そうなんですか?」
そういえば、さっきチヒロさんも〝特殊仕様〟と言っていたような。
分かっていないあたしの様子に、チヒロさんが説明する。
「この部屋には、稀人の力をある程度制限する遮蔽機能が設けられています。逆を言えば、外からの探査もされにくい。それをひっくるめて簡潔に表現すると〝頑丈〟と呼べますけど」
「……そのぶん、セキュリティも厳重ってことですね」
そこに現われたあたしは――そりゃ不審者だわ。当事者ながら納得だ。そして、気づく。
[まほら]内で〝一番頑丈な部屋〟に住んでいるのか住まわされているのか分からないけど、それにもかかわらず特殊能力が普通に発揮できるレベルの夫婦。
不味い、これは本気でヤバイ。
――絶対にこの二人、超重要人物だ……。
なんて人に遭遇してしまったんだろうと頭を抱える。
うじうじしていたら、さくっと考えを読まれて「そこまで重要人物じゃないですよ」とチヒロさんに慰められた。
機密のランクで言うとAA(ダブルエー)なんだそうで。Aが二つついてる段階で普通じゃないけど、それでも上から三番目レベルだとかなんとか。
――……もういい。そこ気にしてたら家に帰れない。
心を決めた。たぶん、これが巡りあわせっていうやつなんだろう。
拭いきれない不安で、ヒヨコの頭にリアス式海岸が出没してしまう――それでも。
「あの、聞いてもらえますか。ちょっと長くなるかもしれないんですけど」
信じてもらえなくても、これがたとえ夢でも。
「どうしてあたしがここにいるか、その理由を」
そして、長くて途方もない二年前の出来事を話しはじめた。




