ちくわの墓参り
ちくわが導く、時を越えた恋と命の記憶。
西宮大河、20歳、浪人生。
金髪に真っ赤なアロハシャツ、真っ赤な自転車が俺のトレードマークだ。
だが、正直に言えば、それ以外に誇れるものはない。
三流大学すら落ちる落ちこぼれ。
個性といえば、バカさ加減とこの派手な見た目くらいだ。
それでも、家族はそんな俺にやさしく、まるで出来の悪い子犬を愛でるように接してくれる。
9月15日。
終戦からちょうど一ヶ月後のこの日、うちでは決まってちくわを食べる。
なぜそんな習慣ができたのか、誰も詳しくは知らない。
ただ、ひいばあちゃんがこの日に必ずちくわを食べていたという。
それが我が家の不思議な伝統だ。
今日も、ばあちゃんはタッパーにちくわをぎゅうぎゅうに詰め込み、
「大河、ひいばあちゃんの墓にこれをお供えしてきな」と俺に渡した。
タッパーの重みが、妙に現実感を帯びていた。
「行ってきます」と一言、ばあちゃんの顔を見ずに呟き、俺は自転車にまたがった。
ペダルを踏み込んだ瞬間、風が頬を撫で、いつもの町並みが視界を流れ始めた。
なのに、どこかで違和感が疼いた。
空気が重い。音が遠い。
次の瞬間、俺の目の前に広がっていたのは、見知らぬ風景だった。
そこは荒野だった。
開け放たれた、色のない世界。
白黒ではないが、色彩が抜け落ちたような、くすんだ灰色の平原がどこまでも続く。
道路とも呼べない土の道が一本、果てしなく伸びている。
遠くにまばらに家が点在していたが、その屋根は異様に傾き、今にも崩れ落ちそうだった。
木々は不自然にねじれ、まるで生き物の骨のように空を刺していた。
「ここ、どこだよ…?」
呟きながらペダルをこぐ。
時折すれ違う人々は、皆、奇妙な服をまとっていた。
古めかしい着物や、時代錯誤な服装。
俺の金髪とアロハシャツをちらりと見ると、怯えたように足早に去っていく。
まるで俺が異物であるかのように――
しばらく進むと、道端の木陰で女がうずくまっていた。
青白い顔で、額に手を当てて苦しそうにしている。
俺は自転車を止め、声をかけた。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
女はゆっくり顔を上げ、俺をじっと見つめた。
その瞳は、まるで俺の奥底を覗き込むようだった。
「日本語、お上手ですね」と、彼女は唐突に言った。
冗談のつもりらしいが、どこか不気味な響きがあった。
「ハハ、俺、日本人っすよ。名前は大河。タイガって呼んでくれてもいいっす」
軽いノリで返したが、女はくすりと笑い、
「私はとら」と名乗った。
とら。変わった名前だ。
どこかで聞いたような気もしたが、思い出せなかった。
彼女は目眩がして休んでいたのだと言う。
遠慮する彼女を説得し、俺は自転車の後ろに彼女を乗せた。
彼女の家までの道すがら、妙な既視感が胸を締め付けた。
彼女の家は古びた写真館だった。
看板には「中田写真館」と書かれている。
どこか懐かしい匂いがした。
家に通されると、とらの家族は俺を外国人だと決めつけた。
「タイガーさん」と呼ばれ、米兵扱いされているらしい。
出されたお茶とふかし芋をありがたく頂きながら、俺はひいばあちゃんへのお供えのちくわを取り出した。
タッパーを開けた瞬間、家族全員が息をのんだ。
「さ、さすが米兵さん! こんな立派なちくわ、初めて見ました!」
とらの父が興奮気味に叫んだ。
立派なちくわ? ただのちくわなのに? だが、家族は目を輝かせ、ちくわにかぶりついた。
その様子は、まるで飢えた獣のようだった。
そして、彼らは写真を撮ろうと言い出した。
店の写真機の前に俺ととら、そして家族がぎこちなく並んだ。
小さな金属皿に白い粉が盛られ、火をつけると、「パチッ」という音とともに、
白熱の閃光が室内を焼き尽くすように走った。 一瞬、空気が止まり、俺の瞳に光が焼き付いた。
その光は、フィルムに刻まれると同時に、俺の心にも何かを焼き付けた。
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
なぜか、この写真がとてつもなく重要なものに思えた。
家族は俺に泊まるよう勧めたが、なぜか急に胸騒ぎがした。
「いや、そろそろ帰ります」と断り、俺は自転車にまたがった。
家の前の通りで振り返ると、とらが小さく手を振っていた。
「ここ、どこなんですか?」と、ようやく尋ねた。
「中田町要害よ」と、彼女は静かに答えた。
その言葉が耳に滑り込んだ瞬間、ペダルを踏む足に力がこもった。
次の瞬間、視界が揺れ、目の前には見慣れた我が家の玄関が広がっていた。
「え、なに、今の…?」
呆然と呟きながら自転車を降りると、ちょうど両親が帰宅してきた。
興奮気味に今しがたの出来事を話したが、父は笑い、母は呆れたように言った。
「お前、受験やめて小説家にでもなる気か?」
冗談だと流されたが、胸のざわめきは収まらない。
台所に行くと、ばあちゃんがにこにこしながら「長旅ご苦労さん」と言った。
その言葉に違和感を覚え、俺は思わず尋ねた。
「ばあちゃん、さっきの話…何か知ってる?」
「要害さ、行ってきたんだろ。」そう言って、
ばあちゃんは黙って古いアルバムを取り出し、一枚の白黒写真を差し出した。
そこには、さっき撮ったばかりの写真があった。
とら、俺、そして彼女の家族。
色褪せた白黒の写真なのに、記憶の中の鮮やかな情景が蘇る。
「ひいばあちゃんの名前、確かとらだったよね?」
俺の声は震えていた。
ばあちゃんは静かに頷いた。
「この外人さん、タイガーって名前の米兵に、ひいばあちゃんは一目惚れしたのよ。
英語を勉強して、翻訳家になった。タイガーを探し続けたけど、見つけられなくてね。
代わりに、アメリカ人のひいじいちゃんと結婚したの」
ばあちゃんの言葉が、頭の中でぐるぐると渦を巻いた。
つまり、俺が今日、あの場所に行かなければ…俺は生まれていなかった?
その夜、寝床で目を閉じても、ちくわの匂いと、シャッター音が頭から離れなかった。
あの荒野の町、中田町要害。
俺は本当にそこに行ったのか。
それとも、ひいばあちゃんの記憶が、俺を過去に引きずり込んだのか。
自転車のベルが、夜の静寂の中でかすかに鳴った気がした。
9月15日――終戦から一ヶ月後のこの日、我が家では「ちくわ」を食べるという奇妙な習慣がある。
その日、大河は祖母に渡されたタッパーいっぱいのちくわを持って、ひいばあちゃんの墓参りへと向かう。
ちくわが導く、時を越えた恋と命の記憶。 過去と現在が交錯する、切なくも温かい幻想譚。




