第三十一話 龍の逆鱗
少し前。
「私に、宝珠様の教育係を任せてはいただけませんでしょうか?」
総本山、奥の院の廊下を歩くセルフィの前に、ゲーラが現れて跪いた。
「なぜお前がここにいる」
セルフィは足を止め、不快そうに眉をひそめた。
「宝珠様の身の回りのお世話をするよう、リューシャ様より命じられました」
「それは龍皇国だけの話だ」
ゲーラはリューシャの側近ではなく、侍女に近い従者に過ぎない。
そんな者が総本山の奥の院にまで出張ってくるなど、ありえないことだった。
だがゲーラは、そんなことお構いなしに続けた。
「私は、誰よりもリューシャ様を思っております。ですので、宝珠様がリューシャ様に相応しくなれるよう、私が一からしっかりと教育させていただき……」
「思い上がるな!」
セルフィが冷たく言い放った。
「貴様ごときが、宝珠様に何を教えるというのだ!?」
「セルフィ様は、私の出自に不満があるのでしょうが」
ゲーラには、セルフィが龍人族出身の自分を侮辱しているようにしか聞こえなかった。
「そんな話、今はしておらん!」
「だったら……」
そのとき、リューシャが姿を現した。
ゲーラは慌ててリューシャの前まで駆け寄ると、その場で跪いた。
「リューシャ様。どうか私に宝珠様の教育を……」
縋るように伸ばした手が、バチっと何かに阻まれ、ゲーラの手がやけどしたように赤く腫れあがった。
セルフィは鼻で笑った。
「お前ごときが、リューシャ様に近付けると思うな」
ゲーラの顔が朱に染まった。
だが、ゲーラは諦めずに再びリューシャを見上げた。
彼女には、宝珠を失ってからのリューシャをかいがいしく世話した自負がある。
だがリューシャの世話といっても、配膳や部屋の準備などの雑用ばかりで、本人の側に立つことさえなかった。
それでもゲーラは、自分こそが誰よりもリューシャに近い存在なのだと思い込んでいた。
「私に、宝珠様の教育係をさせてください。龍族の何たるかを、この私がしっかりと叩き込んで差し上げます」
ゲーラは、口元が緩むのを止めることができなかった。
教育係になり、宝珠の傍にいる口実を作りさえすれば、あとは簡単だ。
思い通りに操ることも、あわよくば、隙を見つけて再び攫うこともできる。
そう言い切るゲーラを、セルフィは目を細めて見ていた。
だがリューシャは、ゲーラなどそこにいないかのように、そのまま前を通り過ぎて行った。
セルフィも、それに続くように歩き出した。
「……え?」
ゲーラは慌てて追った。
だが不意にリューシャの足がピタリと止まったかと思うと、周囲に風が起こり、その姿があっという間にかき消えた。
ゲーラが呆然と立ち尽くした、その直後だった。
突然、大地が地響きと共に揺れ始めた。
咆哮が耳をつんざき、大樹から一斉に鳥が飛び立った。
言い知れぬ恐怖が、ゲーラの身体を駆け抜けた。
全身からさっと血の気が引き、身体が勝手に震え始めた。
滝のような冷や汗が流れ、呼吸が浅くなる。
ゲーラが怯えながら辺りを見回すと、向こうからシンが走ってくるのが見えた。
「ゲーラ、大丈夫?」
「あ、ああ。だが、イヤな予感がする……。いくぞっ」
ゲーラは歯を食いしばって転移した。
シンは驚きながらもすぐにその後を追う。
「ゲーラ、どこに行くの?」
「とにかく、総本山から離れるっ!」
ゲーラの焦りようを不思議に思いながらも、シンは黙って後を追った。
それでも胸騒ぎは収まらない。
もっと遠くへ。
もっと遠くへ。
理由も分からぬまま、ゲーラはただ総本山から逃げ続けた。
リューシャが怒り任せに咆哮し、龍族たちにゲーラを捕らえるよう命じている背後で、セルフィはリオを呼んだ。
「何があったの?」
リオが慌てて駆け寄ると、セルフィはうんざりしたように溜息を吐いた。
「宝珠を攫った犯人がわかった」
「え、うそ?! 誰?」
「ゲーラだ」
「なっ!?」
セルフィの言葉にリオは絶句した。
過去、リューシャのことを誰よりも案じ、彼のために走り回っていたのはゲーラだ。
その姿を見ていただけに、リオはしばらく言葉を失った。
だが、やがてふつふつと怒りが込み上げてきた。
「ありえないんだけど……。地上で、一体どれだけの人が死んだと思ってる?!」
リオは頭を掻きむしった。
リューシャは宝珠の癒しを得られなくなったことで力が半減した。
さらに宝珠を奪われた絶望から、世界に加護を巡らせることさえ止めてしまった。
結果、加護の途絶えた場所では異常気象が続き、多くの民が犠牲になった。
「ゲーラは、なぜそんなことを……」
「アミティー様に取って代わって、自分がリューシャ様の番になりたかったんだろう。今も諦めてはいないようだった」
先ほどのゲーラの言動を思い出し、セルフィは盛大に舌打ちした。
「許せないんだけど!」
リオの瞳孔が縦に割れ、頬に鱗が現れ始める。
「ゲーラの捕縛は、既にリューシャ様が命じられている。お前はヤツと親しかった者をまとめて連れてこい」
「あいつ、あんまり知り合いいないから、すぐ連れてこれるよ。親族は? 元龍人族でしょ」
「当然連座だ」
「了解」
リオはこくりと頷いて、自分の従者に命じた。
いつもは気のいい飲んだくれの龍族たちの目の色が変わる。
すでにリューシャから命じられた先遣部隊は、ゲーラを捕らえるべく飛び出していた。
残った者たちも、それぞれ命を受けて一斉に散っていく。
リューシャはそんな彼らを見届けることもなく、アミティーを抱いて城へ入っていった。
その後ろ姿を見ながら、リオがぼやいた。
「たかだか龍人族に毛が生えたようなヤツが、龍族に敵うわけないのにね」
「当然だ」
セルフィは短く答え、リューシャの後を追って歩き出した。
「ったく面倒な女。ちょっと甘い顔したらこうだよ。とっとと殺して喰ってやろう」
リオの呟きに、セルフィは足を止めた。
「リオ」
「うん?」
「言うのを忘れていたが、リューシャ様の咆哮で総本山が大混乱だ。諸々の処理は任せた」
「はぁ?!」
セルフィはそう言うと、軽く手を振りながら去っていった。
リオは怒りながらも、自分のやるべき仕事をするためにその場を後にした。
半刻もしないうちに、ゲーラとシンは引き摺られながら、リューシャの前に転がされた。
手も足も出なかった。
今のゲーラには、震える唇を噛み締める力すら残っていない。
いつも飲んだくれて不真面目な龍族。
馬鹿にしていた相手にあっという間に距離を詰められ、頭を鷲掴みにされて地面へ叩きつけられた。
それでも相手は、ゲーラが意識を失わない程度に力を加減していた。
身体中の骨を折られ、痙攣する身体のまま髪を掴まれ、そのまま地面を引きずられてここまで連れてこられたのだった。
リューシャは傍らに立つセルフィへ視線を向けると、セルフィは頷き、ゲーラの髪を掴んで無理やり立たせた。
「ゲーラ!」
聞き覚えのある声に顔を向けると、両親が後ろ手に縛られ、龍族たちに捕らえられていた。
「なっ……!? 父さん、母さん!」
ゲーラの顔から血の気が引いた。
「リューシャ様、これは一体……」
リューシャは答えない。
ただセルフィへ視線を向ける。
それだけで意図を察したセルフィが、ゲーラへ冷たく問いかけた。
「リューシャ様の宝珠を攫ったのはお前か?」
その問いに、周囲の龍族たちが息を呑んだ。
まさか、ゲーラが犯人だというのか。
誰もが固唾を呑んで見守る中、ゲーラは力なく首を横に振った。
「な、なにを、おっしゃって……」
セルフィは、そんな様子を鼻で笑うと、ゲーラの耳元で囁いた。
「捕らえたのは両親だけではない。お前に連なる者は、すべて押さえてある」
「……え」
ゲーラが意味を理解するより早く、セルフィの拳が腹へめり込んだ。
「んがっ!」
ゲーラの口から、大量の血が噴き出す。
セルフィの拳は、そのままゲーラの腹を貫通していた。
血に染まった手を引き抜くと、今度はゲーラの頭を鷲掴みにする。
「答えろ。宝珠を攫ったのはお前か?」
セルフィの手に力が込められ、ミシミシと頭蓋骨が軋み始める。
宙吊りになったゲーラは、足をばたつかせながらもだえ苦しんだ。
「答えろ」
「わたし、私は! 良かれと思って……宝珠様を!」
ゲーラが途切れ途切れに宝珠喪失の真相を吐き出すにつれ、周囲の龍族たちの殺気が膨れ上がっていく。
セルフィは再び、手に力を込めた。
だが、リューシャが一歩前に出ると、すぐに手を止めた。
リューシャはゲーラの前まで歩み寄ると、その頬にそっと指を滑らせた。
ゲーラの頬が朱に染まる。
こんなふうに触れられたのは、初めてだった。
その指が頬から顎へ、そしてゆっくりと喉元へ下りていく。
「あ……」
次の瞬間、リューシャは彼女の逆鱗を一気に剥ぎ取った。
「ぎゃあああああっ!」
あまりの激痛に、ゲーラは絶叫する。
鱗が顔中に現れたかと思うと、ぼろぼろと剥がれ落ち、両手の爪がバリバリと音を立てて砕け散った。
鱗を失うにつれ、ゲーラの身体も一回り小さくなっていく。
喉を掻きむしりながら暴れる彼女を、セルフィは髪を掴んだまま無表情で見下ろしていた。
やがて動かなくなったゲーラを、セルフィは地面へ放り投げた。
リューシャは剥ぎ取った逆鱗を指先で弄んだ後、セルフィへ手渡した。
「好きにしろ」
「はっ、ありがたき幸せ」
龍の逆鱗は、喰らえば力を増すことができる。
周囲の龍族たちは、その逆鱗を見つめ、思わず舌なめずりした。
一方、リューシャはシンへと視線を向けた。
「こいつが宝珠か」
「はい」
セルフィはこくりと頷いた。
恐怖で震えるシンの首を、リューシャはおもむろに掴んで引っ張り上げた。
空いた手でその胸を貫き、その奥から宝珠のコアを引きずり出す。
「かっ……」
シンは何が起きたのか理解できなかった。
喉から熱いものが込み上げ、息と共に大量の血を吐き出した。
抵抗しようにも、自分の意思では指一本動かせない。
ヒューヒューと喉が鳴る。
やがて霞む視界の中に、リューシャの手に握られたものが映った。
自分のコアだった。
「あ……」
シンの顔から血の気が引いた。
それを失えば、自分がどうなるのか。
宝珠であるシンには、誰よりもよく分かっていた。
リューシャはシンの身体を無造作に放り投げた。
そして取り出したコアを、親指でゆっくりと撫でる。
「や……」
シンが震える手を伸ばした。
だが、リューシャは何の躊躇もなく、それを握り潰した。
ガチャンッ。
コアは砕け散る。
リューシャはその残骸を、無造作に地面へ捨てた。
細かく砕けた粒子が、風に乗って舞い上がる。
朦朧としていたゲーラは、宝珠との繋がりが断たれた瞬間、弾かれたように顔を上げた。
振り返ると、シンの身体が砂のようにさらさらと崩れ落ちていくのが見えた。
「シンッ! シンッ!!」
ゲーラが必死に手を伸ばす。
だがシンは寂しそうに微笑んだかと思うと、そのまま崩れ去った。
ゲーラは這うように近づき、地面に残ったシンの欠片を必死に掻き集めた。
「いくら欠片を集めようと、宝珠が砕かれてはどうにもならん」
セルフィは静かに呟いた。
「……なぜ、このような……」
ゲーラは涙ながらに、リューシャに訴えた。
「お前と同じことをしたまでだ」
その一言で、ゲーラは悟った。
過去、自分が宝珠へ行った所業を、リューシャはすべて知っている。
ゲーラが呆然とする中、リューシャは興味を失ったように背を向け、その場を後にした。
ゲーラはなおも、地面に散ったシンの残骸に縋りついていた。
その背後で両親たちの首が刎ねられても、彼女は最後まで気づかなかった。
逆鱗と己の宝珠を失ったゲーラは、もはや龍族ではない。
地上へ追放され、二度と龍皇国へ足を踏み入れることは叶わなくなった。
ゲーラは地上で、宝珠の欠片を探し続けた。
欠片を集めれば、アミティーのように復活できる。
見つからなければ、そのうち新たな宝珠が現れる。
ゲーラは、まだ取り返しがつくのだと思っていた。
だが、龍人族から龍族となったゲーラは知らなかった。
宝珠は唯一無二の存在であり、代わりなど存在しない。
アミティーが復活できたのは、神龍の宝珠だったからこそ。
そして、ただの龍人族には、そもそも宝珠など存在しないのだ。




