第二十九話 壊れものには注意
「お身体の具合はいかがですか?」
「うん、大丈夫だよ。」
アミティーは朝食を口へ運びながら、小さく頷いた。
「龍皇国は、亡命先には難しそうですか?」
「そんなことはないけど……今は、ちょっといいかな」
アミティーは、苦笑しながら言った。
「次は私も連れていってください! このミケがしっかりと判断いたしますので!」
「うん。そうする」
ミケの言葉に、アミティーはようやく嬉しそうに笑った。
「そういえば、お嬢様が龍皇国に行っている間に、バン様にお会いしたのです」
「バン?」
アミティーは首を傾げた。
「ほら、こちらに来る際、お世話になった龍人族の商人です」
「ああ!」
「いろいろ仕入れたので、『またぜひお立ち寄りください』と仰っていました」
「え! 行きたい!」
先ほどまでの曇った表情が嘘のように、アミティーは嬉しそうに朝食をたいらげた。
その笑顔を見て、ミケはそっと胸をなで下ろした。
「これはこれは、お久しぶりでございます」
人通りの多い一画で簡易的な店を開いていたバンは、アミティーを見るなり恭しく頭を下げた。
「バンさん、こんにちは」
アミティーは、変わらない笑顔に嬉しくなりながら店先へ駆け寄った。
奥の院から出た彼女は、人の多さに目を丸くしていた。
神青が目立たないよう、頭にはスカーフを巻いている。
「どうぞ。面白いものを沢山仕入れましたので、見ていってください」
小物から衣類まで所狭しと並び、参拝客たちも足を止めて品物を眺めていた。
ひときわ美しい鱗のようなものが目に入った。
「これなに? すっごく綺麗」
「ああ、それは龍の逆鱗ですね。と言っても本物ではありません。逆鱗に似せて造ったクリスタル細工です」
バンはそれを手に取ると、光に透かせて見せた。
「龍の逆鱗って?」
「龍の喉元にある鱗のことで、龍にとっては弱点なんです」
バンは自分の喉に手を当てた。
「弱点?」
「ええ。龍が持つ鱗の中で、一番美しいと言われています。もっとも、本物を手に入れることはできませんので、こうして似せて作っているのです」
「へ~」
アミティーは、まじまじとそれを見つめた。
「ところで、お連れ様はもうお一人いらっしゃるのですか?」
バンは何気なくアミティーに尋ねた。
「え?」
「……いえ、失礼しました」
バンはそう言うと、少し身を寄せ、声のトーンを落とした。
「背後の建物の影に、黒髪の男が立っています」
アミティーは、思わず振り返ろうとするが、バンに止められた。
「もし見覚えのない方でしたら、すぐに周囲の方へご相談ください」
アミティーとミケは静かに頷いた。
バンは何事もなかったかのように笑みを浮かべ、手早く商品を包んだ。
「こういう商売をしておりますと、いろいろなお客様と出会います。ですが……あの方は、どうやら私の客ではなさそうです。先ほどから、あなた方ばかりをご覧になっています」
アミティーは小さく頷き、商品を受け取った。
店を離れる途中、何気ない仕草で背後の建物へ視線を流した。
確かに、黒髪の男がいた。
アミティーはバンへ小さく首を振ると、何事もなかったかのように店を後にした。
「お嬢様、どうなさいますか?」
奥の院の廊下を早足で歩いていくアミティーに、ミケは尋ねた。
「大神官様に相談してみる」
「はい。その方が宜しいかと。ひとまず神官様に言伝を……」
言葉を続けようとしたとき、目の前を歩くアミティーがぴたりと足を止めた。
「どうなさいましたか?」
アミティーの視線を追うと、廊下の先にリューシャが佇んでいた。
「リューシャ様に相談してみましょうか」
ミケがそう提案するも、アミティーの足は一歩も動かない。
不思議に思って目を凝らすと、リューシャの側に一人の女性の姿が見えた。
「……ゲーラさん」
アミティーの胸の奥がざわつく。
ゲーラはリューシャの足元に跪き、まるで縋るように手を伸ばしていた。
リューシャは静かにゲーラを見下ろしていた。
アミティーは思わず踵を返した。
だがすぐに、黒い壁に阻まれる。
顔を上げると、そこには先ほどバンから指摘を受けた黒髪の男が立っていた。
間近で見た彼の顔には、やはり覚えはなかった。
アミティーは男の脇をすり抜けるように歩き出した。
すれ違う瞬間、彼の唇は弧を描く。
「壊れものには注意」
耳元で囁かれた声に、アミティーの膝が震えた。
一歩も動けなかった。
ようやく顔を上げたときには、男の姿はどこにもなかった。




