40_妖怪・野槌
***
時間は少し巻き戻る。
清太が工房を去った後、椿は清太の忘れた風呂敷を届けるため、後を追っていた。
しかし、一向に清太の姿が見えないことに違和感を覚えていた。
(妙ね……道は合っているはずなのだけど)
清太の仕立屋は隣町だが、道自体は単純だ。工房から出た時の様子からして、寄り道をしているとも思えない。
そして、足が速いとはいえ清太は人間。素早さでいえば椿と比べるまでもないはずなのだ。
椿は一旦立ち止まり、辺りを見渡す。
(それに今日は人が少ない……)
思い返すと、工房から離れてからしばらくして、人とすれ違うことがなくなった。賑やかな通りではないものの、それは不自然だ。
すると。
二軒先の通りで、椿を横切るように清太が走っていった。
「清太様——!」
すでに視界からは消えているが、椿は清太の名を呼び、追いかける。
しかし、二軒先の曲がり角まで来たところで、霧が立ちこめた。
細い通り。その向こうに、霧の中に消えていく清太の足が見えたところで、ようやく椿は事の深刻さに気づく。
(この霧、まさか幻術!……)
十中八九そうだろう。急いで清太の後を追う。
「清太様!いけません!その先に行っては——!!」
しかし椿の声に反応したのは清太ではなかった。
「あれぇ?なんかもう一人引っかかりやがった」
声は、上から降ってきた。
椿が顔を上げる。
「っつうか、何で術中にいるのに意識があるんだ?」
二階建ての建物の屋根の上。
その屋根の先端に右足をかけ、小さな壺を持った男が見下ろしていた。
赤い髪。
そして、男の眼を視認した瞬間、椿の心音が、ことり、と跳ねた。
その男の眼は、右眼が紅く、左眼は黄色だった。
(左右の眼の色が違う?!まさかこの方が——!)
あまり焦りが伝わってはいけない。椿は表情を読まれないよう、袖を口元に当てた。
「あなたは……?」
椿の問いに答えず、赤い髪の男は「あぁ?」と凝視するように首を前に出した。
「お前……人形だな」
「御影人形工房の椿と申します」
「御影!つばき!」
と叫んで、赤髪の男は目を丸くして喜んだように顔を歪ませた。
「そうか、烏丸の奴が言ってたのはお前か」
しっかし言葉を話すなんてどうなってんだ?!と眉を上げた。表情が忙しく変わる。読みやすい相手ではあるかもしれない、と椿は冷静に分析していた。
「俺は天草だ。そいつを攫っておくように命じられたんでな。悪く思うな」
(やはり、烏丸と繋がっているのですね)
清太を横目で見る。目は虚ろで焦点が合っていない。口も半開きで意識も術に縛られていることが容易に判る様相だ。
「逃がそうとしても無駄だぜ。そいつは今夢の中だ」
「なぜ清太様を……」
「そりゃ交渉材料だろ。こいつは付き合いが長いらしいからな。でもま、お前でも良いかもな」
「では」
「いや、やっぱり人間の方が確実だな」
天草、と名乗った男は、うーん、と顎をさすって考えている。
確かに人形は壊れたら作り直せば良いが、人間は死ねばそれまでだ。
それなら人質にするのは、やり直しの効かない人間だろう。
普通はそう考える。
「……では、私も一緒に攫ってはいかがですか」
ふいに口をついた椿の提案に、天草は新しい玩具を見つけたような顔をした。
「おまえ……面白いこというな。自分のことを攫って欲しいとかほんとかよ」
(見たところ敵は、それなりの強者である様子。私一人なら逃げることができたとしても、それでは清太様がどうなるか分からない。かといって抱えて逃げるのは危険が大きいですね……)
なら戦うか?しかしこの一帯は天草の術中とはいえ、近くに民家もあるはず。もし宝具の使い手であれば、強力な術や口寄せを使われてしまった場合、被害が大きくなるだろう。
天草の能力が未知数である以上、己の過大評価は、敵の過小評価につながる。それは守る相手がいる場合、取り返しのつかない事態を引き起こしかねない。
(灯真様がいてくれたら……)
思わず、そんな考えが頭をよぎる。
「清太様に手を出さなければ、大人しくするとお約束します」
「なるほどねぇ……」
天草はニヤニヤとしながら椿を眺める。
「まぁ、暴れても俺が抑えるけどな。良いだろう。お前も攫ってやるよ」
「ありがとうございます」
「変なヤツ」
天草がそう言うと、手にした壺に貼られていた札を剥がした。
「口を開けろ——野槌」
すると、椿と清太の目の前にある景色がぐにゃりと歪んだ。
いや、口を開けたように裂けたのだ。
(——あれは、鉱山で見た時と同じ転移門……。野槌を使役していたのね……)
野槌は、山奥に住まう妖で、本来の姿は胴体が太く長く、一見すると大蛇のようだが頭部は眼や鼻がなく、巨大な口だけがぽっかりと空いている。喰われたものは「虚」と呼ばれる異空間に繋がっているはずだ。
(おそらく使役している野槌の口だけ口寄せし、転移門として利用している……?そんなことができるとしたらこの男、かなりの実力者……)
「この中に入りな」
天草は屋根の上から降りて、その転移門を指差した。
「安心しろ。入ったら妖怪の群れがいる場所なんてこたねぇよ。今のとこはな」
清太はフラフラとその転移門の中に吸い込まれるように入っていく。
その後を追うように椿も行こうとした時。
懐にしまっていた風呂敷が、するりと落ちた。
「あ」
椿は小さく声をあげて、身をかがめた。
「何やってんだ」
「申し訳ありません。清太様にお返しするつもりだった風呂敷を落としてしまいました」
砂利道に落ちた布を拾い上げ、埃を払い、丁寧にたたみ直す。ごく自然な、女中のような仕草だった。
「早くしろ。そんなに持たねぇんだよ。この門」
「はい」
椿は天草と共に転移門へと足を踏み入れた。
(頼みましたよ……符蝶……。どうか灯真様にこのことをお伝えして——)
全身が闇の中に入ったと思ったら、野槌の口が閉じ、背後の入り口が消えた。
椿は静かに目を閉じ、念じた。
そして、椿たちが去った後、椿たちがいた地では。
霧は晴れ、空が広がり、時計の針が動き出したように日常が再開した。
人々が往来し始め、足音が鳴り始めた頃。
砂利道に落ちていた小さな紙の破片が、ぱたぱたと勝手に、折り紙のように折られていく。
その紙片は、瞬く間に蝶の形となり、ひらりひらりと舞い。
そして、灯真のいる人形工房へと弱々しく飛んでいった。




