2_自律人形
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灯真が鍵を開け戸を引くと、夜気が冷たく流れ込んできた。瓦斯灯の届かぬ坂道に、いつ停めたのか、黒塗りの車が一台。その前照灯が、霧の中で、ふたつの白い眼のように灯っていた。
戸口に立っていたのは、背広の男だった。
中折れ帽を目深に、襟元まできちんと留めている。
年の頃は四十がらみ。痩せた頬に、笑みのかたちだけが浮かんでいた。
「御影灯真どの」男は、丁寧に頭を下げた。「内務省、氷室と申します。夜分の無礼は、平にご容赦を」
「……どういった、ご用件でしょう」
灯真は訝しんだ表情を隠さず覗き見る。
こんな時間に来る客など、ろくな用事ではないに決まっている。
「祓いのご相談をさせていただきたく参りました」
——そら見たことか。
その言葉に、灯真は、わずかに眉を寄せた。
「中に上がってもらいなさい」
いつの間にか目を覚ました祖父の声が後ろから聞こえた。
灯真は静かに戸を引いて、氷室と名乗った男を通す。
和室の客間に通すと、椿が座布団を用意し、茶を氷室に差し出した。
巌と灯真が、氷室と向かい合って座る。
「自律人形ですか。よく出来ていらっしゃる」
色白の椿を目をこらすように見惚れる氷室に、巌が「で、なんじゃ」と促した。
「内務省?何がどうなったらそんなところから御影家に依頼が来るんじゃ」
「なぜここに行き着いたのかは申し上げられません。ただしこの家が表向きは自律人形の製造工房、裏稼業は祓い屋であることは調べております」
「拝み屋だ」
巌が、小指で耳を掻きながら、面倒くさそうに訂正する。
「なんでも、かの安倍晴明の血筋でいらっしゃるとか」
その瞬間。
巌の眼が、ぎろり、と氷室を射た。白い眉の下から覗いたのは、底の知れぬ、古い術者の眼だった。
氷室は、わずかに身を引き、胸の前に両手を出した。
「いえ、これ以上のことは私も存じ上げません」
巌は、しばらく氷室を睨んでいたが、やがて、ふん、と鼻を鳴らした。
「……で、その内務省の使いがわざわざこんな夜分に来てまで何を祓ってほしいんじゃ」
氷室は、わずかに身を乗り出した。
「さる侯爵の——鷲尾さまのお屋敷で、夜ごと、怪異が起きております」
氷室は言葉を選ぶように視線を上に逸らした。
「鷲尾…鷲尾卿か」
「からくり人形が、ひとりでに動くのです」
「自律人形は勝手に動く。そういうもんじゃろ」
「はい、しかし」といって氷室が前傾姿勢になる。
「先夜は、女中の一人が縊り殺されていたのです」
二人目でした——と氷室が付け加えた。
灯真の指が、茶碗の縁で、止まった。
「屋敷にある自律人形は五体、いずれも式神札が入っておりますが、確認をしても屋敷の掃除をする、配膳をするなど一般的な命令札のみでした」
自律人形は蒸気機関が動力になっているが、それだけでは勝手に動いたりしない。彼らには僧侶や陰陽師によって誂えられた「式神札」なるものが身体のどこかに入っている。その札に書かれた命令をこなすからくり人形なのだ。
「ちょっと待ってください」
灯真が首を捻りながら氷室に聞く。
「女中を殺した自律人形はわかっていないんですか?」
はい、と氷室が頷く。
「一人目は目撃した者はおりません。先夜は別の女中が悲鳴を聞いて駆けつけようとしたところ、月明かりの下で首を絞めている影を見て、卒倒してしまったそうです」
「警察は」
巌が険しい顔のまま問いかけるが、案の定氷室は首を振った。
「警察に頼めば醜聞として広がりやすくなります。しかもこれが怪異だとしたら、あなた方のご専門にもなりましょう」
「人目のつかない時間にこられたのも体面を気にされてか」
「おっしゃる通りでございます」
言葉は丁寧、しかし一歩も引く気もなさそうな佇まいは氷室だからか内務省の遣いという立場からか。
巌は両手を着物の袖に入れ、腕組みをしながら「うーん」と唸ると
「灯真、お前ちょっと行って来い」
と言った。
「えぇー」
「えぇ、じゃない!それとも何か、この老ぼれをこき使う気か!」
まだまだ現役のくせに何を言っているのだこのジジイは、と心の中で悪態をつきながらも、確かに酒に酔って覚束ない拝み屋よりは、ちょっと疲れている程度の自分の方が使い物になりそうなのは事実だ。
「……わかりました」灯真は、息をついた。「ご案内、いただけますか」
「もちろんでございます」氷室が、初めて、満足げに目を細めた。
灯真が腰を上げると、すっと、その傍らに、椿が寄り添った。
「わたくしも、参ります」
灯真はちらりと椿を見て、小さく頷いた。




