第3章 音の監獄
●忌避
木村が去って数日後。朋美は前田の応接室に呼び出されていた。
「ご主人が昨夜、あなたに教団からの脱退を仄めかしたというのは事実ですか」
「はい」
朋美は乾いた声で答えた。
「『こんな理不尽な仕打ちは、神の愛じゃない』と。私は説得しようとしたのですが……」
前田は手元のマグカップの取っ手の向きを、自分と平行になるようにゆっくりと直した。
「サタンはますます彼の心に侵食しています。本日をもって、ブラザー真也に『忌避処分』を課します」
忌避処分。その言葉が耳に飛び込んだ瞬間、朋美の視界が激しく揺れた。同じ屋根の下にいても、家族であっても一切の交流を断つ、精神的な死刑宣告。
「シスター朋美。これは治療です」
前田はマグカップの縁を指でなぞりながら言った。
「徹底的な隔離という痛みを与えることでしか、彼は救われない。見捨てたいのですか? それとも、救いたいのですか?」
見捨てたくない。だから、罰を与えなければならない。
朋美は肺に溜まった震える空気を、ゆっくりと吐き出した。
「……わかりました」
●空白
朋美が家に戻ると、リビングから押し殺したような声が聞こえてきた。
「……だから、大学に行けば、もっと視野が広がる。外の世界を見ろ。こんな小さな世界がすべてじゃないんだ」
真也がソファの前に立ち、座っている和也の肩をすがるように掴んでいた。
朋美は無言でリビングに足を踏み入れた。
「シェパード前田から指示がありました。真也さん、あなたには『忌避処分』が課せられました」
真也の喉から、ヒュッと息を呑む音がした。
「忌避……? 冗談だろう。家族だぞ? この家の中でか?」
朋美は壁を見つめたまま、和也に向かって顎をしゃくった。
「和也、二階へ行きなさい」
「母さん、でも……父さんが……」
和也の顔には、同級生たちが当たり前に享受している「普通の家族」への未練と、教団への恐怖が入り混じっていた。
「行きなさい」
和也は弾かれたように立ち上がり、逃げるように階段を駆け上がった。
「朋美……それでいいのか!」
真也が一歩踏み出し、右手を伸ばした。
朋美は反射的に半歩下がり、そのままゆっくりと背を向けた。背後で空を切った手が、力なく太ももに打ち付けられる鈍い音がした。
朋美は振り返ることなくキッチンへ歩き出し、水道の蛇口を捻った。冷たい水がシンクを打ち据える音だけが、空間を支配した。
●機械
それ以来、松本家は規則性だけで動く機械になった。
朝、朋美と和也がダイニングで食事を終え、食器を下げる音がすると、二階から真也が降りてくる。
朋美は彼が階段の中腹に差しかかる前に、洗面所へ姿を消す。
廊下ですれ違う時は、朋美は壁側に身を寄せ、視線を床に落とす。
互いの影すら踏まないよう、緻密に計算された振り付けのように。
家の中からは会話が消え、時計の秒針が進む音だけが、等間隔に、ただ正確に響くようになった。
それは、家族という形をした無音の監獄だった。




