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第1章 不純な亀裂


●祈り


「偉大なるヤーボよ。今日も私たち家族に健やかな朝をお与えくださり、感謝いたします」


松本家のダイニングに、三人の声が重なる。

朋美、夫の真也、息子の和也。単語の区切り、語尾の抑揚、息継ぎのタイミングに至るまで、三人の音声は録音テープのように見事に同期していた。


結びの言葉を唱和した瞬間、祈りのために固く組まれていた和也の手がほどけ、その横顔から微かに安堵の息が漏れた。

朋美はゆっくりと一度瞬きをして、それを見なかったことにした。


立ち上がり、和也の前に置かれたトーストの皿を、テーブルの木目に沿ってミリ単位のズレもなく直す。丸まりかけた息子の背中を無言でつつくと、和也はビクッと反射的に姿勢を正した。


「そういえば父さん、シェパード叙任試験の論文、結果はいつ出るの?」


和也が、いそいそとジャムを塗りながら尋ねた。


「今週末の集会後には、何らかのお話があるはずだよ。まあ、結果がどうであれヤーボの導きだ」


「あなた。謙遜というより、少し自信なさげに聞こえるわ。ヤーボの愛を証明する、素晴らしい論文だったじゃない」


夫の言葉尻の微かな濁りを修正するように、朋美は微笑んだ。

いよいよ幹部の妻になる。窓から差し込む朝の光が、この家の正しさを祝福しているように思えた。



●綻び


その週末、五色山クラスの礼拝場。集会後、朋美と真也は講堂の裏手にある小さな応接室に呼ばれていた。

パイプ椅子に座る二人の前で、指導者であるシェパード前田が、赤い線の引かれたレポート用紙をテーブルに置いた。


「……『ヤーボは組織という枠を超え、信者すべての心に直接語りかける存在である』」


前田はそこで言葉を区切り、レポート用紙の角を指先で執拗になぞった。


「ブラザー松本。ほんの数ミリのズレで、すべてが台無しです」


「え……?」


「これはあなたの記述ですね」


「はい。ヤーボの愛が、どれほど私たち一人ひとりに近いかを示したくて……」


「美しい言葉です。ですが」


前田は銀縁眼鏡の奥で、まばたき一つせずに真也を見据えた。


「個人の心などという不確かなものを許容すれば、三百十二人のバラバラな正義が生まれ、クラスは崩壊します。一致こそがすべてなのです。あなたのこの一行は、亀裂を生む」


「決して、そういう意味では……」


前田の声は、まるで数式を読み上げるように平坦だった。


「これは明確な危険思想です。近日中に、審理協議会が開かれることになるでしょう」




●断罪


審理協議会の結果が言い渡されたのは、それから一週間後のことだった。

深夜に帰宅した真也は、靴も脱がずに玄関の土間にへたり込んでいた。


「ダメだった……。『一時的除外処分』だ」

「何を言っても無駄だった。まるで最初から、僕を切り捨てるシナリオができていたみたいに……」


両手で顔を覆う夫を見下ろしていた朋美の視界が、ふと微かに歪んだ。いつも頼もしく見えていた夫の広い背中が、ひどく小さく、見ず知らずの他人のように映る。


「……あなた、大丈夫?」


朋美は震えながらも膝をつき、真也の背中を抱きしめた。スーツ越しに伝わる夫の体温に、一瞬だけ動悸が早まる。


「これはヤーボが私たちにお与えになった試練なのよ。誠心誠意悔い改めて、従順な姿勢を示せば、必ずまた許される日が来るわ」


顔を上げた真也の絶望に満ちた瞳を、朋美はいつものように、ただ静かに、左右対称の微笑みを貼り付けて見つめ返していた。



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