6.嫉妬
夜風にアナスタシアの髪が揺れる。
脳裏に、美しく着飾った令嬢たちに囲まれたカインの姿が浮かぶ。
バルコニーの手すりの冷たさで胸の痛みを誤魔化した。
「なんだか、妙な気分だな。」
不安定な自分の気持ちを持て余して苦笑いする。
「夜風は冷たいですよ。」
聞き覚えのある声が背中越しに聞こえる。
「これくらい、平気だ。」
声の主は想像通りルーカスだった。
「ワインはいかがですか?」
「遠慮するよ。」
「祝いの席だというのに、真面目ですね。」
「いかなる時も、臨戦態勢が取れねばならないからな。」
平然と言ってのける。
だが少しだけ、ルーカスには本音をこぼしてみたくなった。
「あまり、強くないというのも本当だ。」
失笑気味に告げる。
「素直に認められると、信頼されたようで嬉しいものですね。」
月明かりに照らされて、美しいコバルトブルーの瞳が光る。
風に揺れる銀髪が、光を反射しているようにも見える。
「信頼はしている。」
「……えっ?」
「あたりまえだ。信頼しているからこそ、後援からの援護を頼んだ。」
ベヒモスに与えた最後の一撃を思い出していた。
「魔術師戦闘部隊は、やはり素晴らしいと思ったよ。わたしにできることは、小賢く策を練ることぐらいだ。成功のカギは、いつでも団員たちにある。」
アナスタシアが儚げに笑う。
「それは違う。」
真剣な表情で、ルーカスが間近に迫る。
彼からほんのり葡萄の芳香が漂う。
「あなたは自分を軽く見積もっていませんか?
あの見事な勝利は、あなたの作りあげた団員たちの結束と、訓練があったからこそだ。」
ルーカスの真剣な言葉と眼差しに射貫かれる。
「大胆で、強く、そして美しい。あなた自身を過小評価する必要なんて、一切ない。」
その瞳に嘘は感じられない。
「ありがとう。」
他に言葉が見つからなくて、感謝の言葉が自然と口をついた。
僅かに大きくなった鼓動が、耳元で響く。
「今夜のわたしは、どうやら少し弱気になっているようだ。」
「似合いませんよ。」
「そうだな。」
エスコートしようと差し出されたルーカスの手を、ごく自然に取る。
「堂々としていてください。あなたは、まごうことなき第三騎士団の団長だ。」
「そうか、ならば胸を張って祝宴に戻ろう。」
互いに目を合わせ笑う。
ゆっくりとホールへ歩みを進める。さっきまでの緊張や眩しさは、今は感じない。
ルーカスのエスコートで祝宴に戻ると、エリックとフィルがアナスタシアに気づいて笑いかけてきた。
その笑みを躊躇いなく受け止めることができて、どうやら気分転換にはなったとホッとする。
「団長!」
「お前たち、飲み過ぎじゃないのか?」
「これくらい問題ない。」
「祝いの席だ。飲まれないように楽しむといい。」
いつも通りの軽口が心地いい。
「みんなのおかげで、今回も無事に帰還できた。ありがとう。」
アナスタシアは素直に感謝の言葉が伝え、心が晴れていくのが分かった。
「団長の作戦と、あの攻防同時発動の魔法……あれがなければ、討伐なんてできなかったってわかってます?」
ラルフとジャックが会話に加わる。
「俺たちが全員、生きて帰ってこれたのは団長の功績だぜ。」
軽く肩を叩かれ、四人がアナスタシアを見つめる。
「そうか。」
小さなつぶやきに、四人が大きな笑顔を見せる。
「そっ!大立ち回りはカインに任せればいい。俺たちは、団長の指揮だから、あそこまで動けるんだ。」
「攻撃も防御も、団員の能力を知り尽くしている団長だから、あの状況下で適切な判断が下せる。」
「やはり、わたしが言った通りだったでしょ?」
ルーカスが自慢気に会話に加わる。
「魔術師団長殿、わかっているねぇ。」
「今は、魔術師戦闘部隊の隊長殿ですね。」
にやりと笑って、ジャックとラルフが新たにワインを薦める。
カインは、ホールに戻ったアナスタシアの横にルーカスの姿を見つけ、胸の奥がざわつく。
仲間たちに囲まれて笑いあうアナスタシアを、カインは切ない瞳で見つめた。
すぐにでもアナスタシアの元へ行こうと足を踏み出した瞬間、会場の入り口がざわついた。
「何かあったか?」
気配を敏感に察知して、アナスタシアが様子を伺う。
「ミルグレン公爵が到着されたようですね。」
いち早く事情を察したのか、ルーカスが答える。
「どこよりも早くインフラ事業を行い、領地を発展させた方ですね。」
「王都発展の基盤を築いた、キースラン・ミルグレン公爵か。」
「すでに息子に爵位を譲っているので、キースラン殿は功績も鑑みて"大公閣下"と称されていますね。」
ルーカスが苦笑いする。
「もう引退されているのですか?」
「そうですね。けれど、ノックス・ミルグレン公爵も、いくつかの事業で成功している優秀な人物ですよ。ほら、あそこ。」
視界の先に、上品な深緑の礼服を身に纏った紳士を二人見つける。
自然と視線を引きつけるオーラを纏い、会話の中心に立っているのが大公さまだろう。
威圧感はなく、常に笑顔でたくさんの人たちに囲まれている。
不思議な空気を纏った人だ。
貴族社会にはどう足掻いても越えられない身分という壁がある。
その差は自然と威圧感となり、不思議な壁を作るものだ。
けれど、ミルグレン大公さまにはそれが感じられない。
「まぁ、伯爵家のわたしには、縁のない人物であることは間違いないな。」
なぜこんなにも彼が気になるのか、不思議な感覚を覚えながらも小さくつぶやいた。
ざわつくホールの喧騒を遠くに聞きながら、アナスタシアは窓の外の月を見上げた。
何かに迷ったとき、答えが見えない時に何度も夜空を見上げてきた。
戦場であっても輝きを失うことのない月は、いつでもアナスタシアを温かく包んでくれた。
「わたしは騎士として、"大切な人を守るために剣を振るう"。どんな時も、それは変わらない。」
決意を言葉にすると、スッと心が落ち着く。
見上げた月は、彼女の姿を影に映し、細く長く伸びていた。
そんなアナスタシアを見つめるカインが奥歯を噛みしめる。
令嬢たちに囲まれて、アナスタシアを見失った。
気づいたときにはルーカスが彼女をエスコートしていた。
その姿を思い出して、思わず拳を握り込む。
落ち着かない。
楽しそうに仲間と笑いあうアナスタシアの姿に、複雑な思いを感じた。
仲間意識の強い第三騎士団の中で、さっさと居場所を作ってしまうルーカスが気に入らない。
滅多に見せない彼女の笑顔が向けられているのは、もっと気に入らない。
そして――次に彼女が見つめた相手はミルグレン大公だった。
彼は、子爵家三男の俺でも知っている有名人だ。
アナスタシアの視線の意味が知りたい。
戦場で倒れそうになった彼女を支えたとき、気づいた。
――この役目は誰にも譲りたくないと。
自覚したばかりの想いを胸に、カインはただ、じっと彼女を見つめていた。




