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 やはり、海辺の街だった。かなり内側へ入らなければ、畑はない。


 土が燃えるのかと疑問に思っていたが、土の上には干した草が敷かれていた。そこと米を保管している倉庫を燃やした。倉庫は軍が管理していた。


 各々、塑山の兵士を、五人殺す。それを課せられた。


 自分と隊長、そしてツエノの三人だった。男二人は畑の方に回っていた。皆、それぞれ練成で顔を隠していた。


 土の上の干し草が燃えたぐらいでは、人は死なないし、火が他の建物に移ったりすることもない。ただ、民にも手を加えておくためだけにやるのだった。おそらく芽が出始めた辺りだ。


 どれぐらいの被害だろう。畑の持ち主は、どれぐらい困るだろう。


 これから死ぬ人間は塑山の兵士だが、この任務の依頼者は、塑山の王朝なのだ。自分の国に殺されるということだ。


 トルストはそんなことを考えていた。


 炎を、見下ろしながら。


 隊長とツエノの乗ったリムが、自分から離れた。三方から軍の施設を攻める。


 二つ。別々のところでさらに炎が見えた。


 銃声。自分にも飛んできていた。だが、下からでは当たらない。リム自体が盾なのだ。


 これ以上、集まってくるとまずい。二十か三十人ぐらい、下にいた。わかっていた。だが、羽ばたく鳥の形をしたリムの上で、トルストは動けないでいた。持っていたのは爆薬と小銃だった。


 五人以上でも良いと言われていた。一人ずつ、銃で殺す。そう考えていた。


 さすがに、もう下へ行くことはできない。


「私が」


 リムが、下の兵たちと自分の間に現れた。ツエノだった。ツエノは自身の肩辺りに、大型の野鳥ぐらいのリムを召喚した。そして、リムの口に爆薬を噛ませ、流すようにそのリムを下へ飛ばした。


 自分が火を放った倉庫の煙が薄く、低く伸び、視界をさえぎった。だが、全てが見えなくなるほどではない。


 それはもう、瞬間の光だった。次には炎に姿を変えていた。


 新世界の誘導弾を模倣した、朗読者独特の爆撃方法であった。


 上から、地面にできるだけ垂直にぶつける。それで炎、風、破片は地を走るのである。その通りになっている。堀を巻き込み、炎は建物の近くまで達した。


「降りましょう」


 ツエノが、見上げながらトルストに言う。


「なぜだ?」


「トルストさんはまだ五人、殺していないのでは?」


「違う。なぜ、爆薬を使った?」


「五人以上殺しても構わない。そのはずですが?」


 語尾はよく聞こえなかったが、そう言ったとトルストは思った。もう、ツエノは動き出していた。


 トルストも高度を下げた。


 兵は四、五十人集まっていたが、立っている者は見当たらない。


 炎は方々で。倒れている兵の服が燃えている。


 真下から、ほこりが浮き上がってくる。二人は、その場に降り立った。


 脇の小銃を、ツエノはおもむろに抜く。安全装置を外し、這っている兵の頭を撃つ。


 うめき声。血。ツエノの何も変わらぬ表情。


 また撃った。


 それは自分の、後ろ。兵が仰向けに倒れた。


「早く五人撃って、ここを離れましょう」


 銃口をこちらに向けたツエノが言う。そして歩きながら、ゆるやかな速度で引き金を引く。


 死んではいない。兵たちは皆、気を失っているだけなのだ。もう、立ち上がろうと

している者もいる。


 どうして、平然としていられる。どうして、平然と撃てる?


 知っていたはずだが、トルストは思い出すことができない。


 目の前で仰向けに寝ていた一人が、わずかに動いた。


 瞬間、トルストは腕を練成で覆い、顔をかばった。


 鼻にその腕がぶつかる。撃たれた。


 痛みはなく、衝撃だけだ。体と意識が半分飛んだ。


 銃声。


「いいかげんにしないと、死にますよ?」


 再び開けた視界には、ツエノが映っていた。胸ぐらをつかまれている。


「おい、引き上げろ、何をやってる」


 今度は上から声がした。


 トルストは、口を開けていた。


 先ほど自分を撃った男は顔を赤く染め、目も開いたままで倒れていた。


 トルストの右手には銃があった。小指に引っ掛かっている。さっき顔をかばった時、脇の銃をつかもうともしていたのか。


 急すぎる。


 なぜ、こんなことになっているのか。まるで、正規軍同士のぶつかり合いではないか。


「殺せないんですか」


 ツエノは手を離す。


 覚悟の量が足りなかったのか? 想像力が弱かったのか?


 呼吸が浅い。


 トルストは、鼻から流れている血にも気付いていない。


 夢中だった。


 鼻血は前歯を赤く染め、もう顎も伝って、地面で丸をいくつもつくっている。


 いや、十分だったと思う。


 トルストは安全装置を外す。


 一番遠く、堀の方へ駆けている者、一人。その後ろを駆けている者、一人。腹をおさえ、倒れたままの者、一人。足を引きずっている者、一人。そして、その男に肩を貸している者、一人。


「行きましょう、トルストさん」


 はっとして、トルストは見上げる。


 口にぬるりとした感触。手でそれを触る。上唇から、何かはがれた。


 やわらかく、黒い血の塊。


 ツエノが手を伸ばしてくる。無意識に、トルストはその手をつかんだ。とても強く握られ、そのままリムに引き上げられた。もう、地を完全に離れている。


「一応、弾は込めておいた方がいいですよ。今回に限らず、常に」


 落ち着いた、いや、いつもの調子でツエノが言う。トルストは血を拭いながら、弾

倉を抜く。そして、すぐに下を見た。


 ほとんどの兵は倒れたままである。


 堀の方へ逃げた兵たちは?


 倒れ、腹を抱えていた者は。足を引きずっていた者は。肩を貸していた者は。


「俺は、何をした」


「少なくとも、ちゃんと五人は死にました。しばらくは眠れなくなると思います。でも、皆、そうらしいです」


 爆薬もなくなっている。


「殺したのか」


 トルストは呟いた。ツエノの返事はない。隊長がリムを寄せ、何か言っている。


 こっちが現実だ。


 投げた爆薬を、自分は撃ち抜いた。それから、弾がなくなるまで自分の方へ飛んできた兵たちの体を撃ちまくった。


 そうか。通りで、血が出なかったわけだ。


 本当に夢中だった。夢を見ていた。


 トルストは自分のリムを召喚し、それに乗った。ほとんど翼と胴体だけの鳥である。翼だけはしっかりとしているが、乗る場所が極端に小さい。


 死体の山と、燃える倉庫を見下ろす。とても高く飛んでいた。


 不慣れにも、ちゃんと人を殺した。理由も考えず、夢中で殺した。最初は皆、そうなのかもしれない。


 私は山を一つ超えた。別の世界へ足を踏み入れた。人を殺したぐらいで、そんなことを思った。私はそんな人間だった。


 そして、私は人でなくなる。人のままではいられなかった。


 およそ三年で、私はそれに気付く。そうしなければ、私の心は耐えられなかったのだと気付く。


 そんなことを彼女に言った。


 だが、彼女はそれこそ普通の人間の考えることだと言った。私を、優しい人間だと言った。


 私は二十四になり、彼女はもうすぐ十九になるところだった。少なくとも、彼女の足を引っぱるようなことはなくなっていた。


 その年、私の父が死んだ。私は竜廓島の宿舎に借りていた部屋を引き払い、再び北風島へと戻った。


 それなりに彼女とは打ち解けていた。


 ツエノは城下の孤児院を出た後、北風島の一等地に小さな部屋を借りて住んでいた。主に、国が朗読者に向けて貸し与えている建物であった。トルストの家からもすぐ近くだった。


 彼女と父と母は、ほとんど私を無関係に親しくしていた。


 父や母からすれば、彼女は親のいない、ただの小さな女の子ぐらいに思えたのだろう。


 おそらく、私は父や母を通じて彼女と打ち解けたのだと思う。


 彼女のことを話すと、今度家に呼んで飯をふるまおうと言い出したのは、父だった。正直、まだそんな間柄ではないと返したが、お前が世話になっているんだから、と言い返された。


 五つも年下だということだけは言えず、色んなことを教えてもらっているなどと言ったのがまずかったのだ。そして、呼んだところで彼女が来るわけがないとも思った。

 

 だが、彼女は来た。ちゃんと笑って、父や母と話をしていた。

 私の父が、それなりに名の知れた商人だったから。私にはいつもの調子でそう答えた。それでも私は嬉しかった。初めは迷惑にならなければいいと思い、恐る恐る訊いたのだが、全てがそういう気持ちだったわけではなかった。


 病で弱っていた父が死んだと彼女に伝えた時、その場で彼女は静かに泣いた。それを見て、私は彼女こそ人間らしいと思った。


 私は人を殺すため、人間でなくなっていた。だから、そう思ったのかもしれない。


 二十四歳だった。私は少し変わった。記憶の中の男と、自分が重なって思えた。もう、慣れてしまい、元には戻れないと思ったが、少しぐらいなら人間として生きることもできると感じた。


 全部、ツエノへの想いだった。


 あの時の私にとっては、それだけが私の人間らしさだった。


 彼女は十九になっていた。


 背はあまり伸びておらず、初めて会った十五の時とあまり変わっていなかった。


 彼女は泣き顔を隠し、私に背を向けた。


 遠くもなく、近くもなかった。


 私はただ、ツエノの肩に軽く手を置いただけだった。


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