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有用性は別として、朗読者は皆、等しく新世界の記憶を持つ。
ユーラシア大陸の西。
その広い地域はヨーロッパと呼ばれている。
その北西にある国。
二十六の男で、農業をやっている。
麦を育てている。
畑の土の下深くに水が溜まりやすく、年中、寒いか涼しいかの街。そこで生きている。
男には妻になる女がいた。
女は一つ年下の二十五歳だ。
大型の機械を使うが、正直そこまで畑は広くない。
無理をすれば、なくてもやれる。
男はそう思っている。
南の国からの輸入には高い関税が課せられ、この国の農業は守られている。
自分らで食う分を自分らで作る。
そんな感じだった。
父と母が生きている間に孫の顔を見せてやれそうだった。
これから、新しい人生が始まる。
もう無茶なことをやる齢でもないが、この場所でまっとうにやっていくぐらいはできる。家庭を持ち、家族のために働く。
そこでトルストの記憶は終わる。
幼い頃から誰よりもよく知っている、美しい幻であった。
子供の時から、人生はこういうもの、大人になったらこうやって生きたい、などと考えていた。畑をやりたいなどいう具体的な夢はなく、ただ穏やかに、この北風島で生きたいとトルストは考えていた。
だが、そう考えていたのは、自身が何であるのかを知る前の、短い期間だけだった。
自分が朗読者だとわかり、また、朗読者というものが何であるのかを理解した後は、ただ羨ましかった。
あの男は、こんな罪悪感など知らない。男のこれからの人生は希望に満ちていた。もはや、憎いとも思ったりした。自分しか知らない記憶に腹を立てている自分が、心底馬鹿に見えた。
だが、この男だって善人などではない。昔は銃の輸入に関わっていたし、おかしな薬も扱っていたのだ。
数年前、逃げるようにしてこの国へ帰ってきた。
何人かの仲間は南の国でそれぞれ逃げただけだったが、男は一人だけ全部投げ捨てて、逃げてきたのだ。両親は男が何をしていたのか聞かない。だから、知らない。
仲間も含め、男のいた南の国では百を超える組員がいても小さい組織と言われ、男達はそんな組織の下の下だった。要は使いっ走りというやつだ。
移民は多かったが、全員がそんなことをやっているわけではなかった。
高校を卒業すると、男は旅に出た。
もう、家の畑をやることは決まっていたが、それが嫌だったのだ。
途中、男はその南の国へ入った。金が尽きていた。全部、奪われてしまったのだった。銃を突きつけられ、どうしようもなかった。不法入国者と同じだった。
治安は悪く、都市部でも建物に大きな落書きがあったり、半壊した家具やごみなどが積み上がり、カラスがたかっていた。
警察を頼ろうとした。だが途中で男は気付き、あきらめた。
入国の際、実際にやってしまっていたのである。
貨物列車が走り出す時に駆け寄り、それに乗って、金を払わずに移動する。馬鹿なことをしたと思ったが、手遅れだった。
街の人間に金を恵んでもらい、食べ物をもらい、ごみを漁り、数日すごした。
北から来た人間だな、と男は声を掛けられた。
自分と同じ、北方の人間独特の顔だった。この国ではかなり少数の移民だ。素性を隠したまま、男は声を掛けてきた男たちの仲間になり、あの仕事を始めた。
案外、金になった。
なんだかよくわからないが、それで生活できる。南の国にて、男の新しい生活、犯罪集団の一員としての人生が始まった。
そしてその生活は、しくじって、警察と上の組織の連中に追われるまで続く。
逃げ出して、故郷へ戻り、今度はそこで女に惚れる。
男は様々な国を歩いた。だから、聞かせる話には困らなかった。
女には言っていない。
南の国には行ったことがない。
あそこは少しばかり、治安が悪すぎて、ふらっと行くには、厳しいものがある。そういうことにしている。
こればかりは仕方のない嘘だと、トルストも思う。
それを責める気にはならない。
言わない方が良いこと。知らない方が良いこと。男はうまくすり抜けたと思うのだ。
そのおかげで、私の記憶の最後は希望にあふれている。
これは幸せになる術の一つ。トルストはそう思い、自分を納得させた。
記憶は自分のものでも、その人生はどこまでいっても他人のものでしかない。
頭の固い私は、そう思うしかないのである。




