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「向山真結だ」
座ったまま、わずかに見上げながら、真結は答える。
「シイカ・アキシアルです。僕にどんな用があるのでしょう」
「お前、国の人間の子供が通うような学校に通っているな。それなりに選ばれた人間ってわけだ。将来は、将校か文官か?」
「ミラモと違って僕は朗読者ではないので」
おかしな速度で話が進んでいく。
シイカは真結の知りたいことだけに短く答える。
椅子には座らず、真結と向かい合い、立っている。
別に、こいつでなくてもよかった。だが、色々と都合が良かった。
とりあえず、若い力が欲しかった。トルストのように経験を積んだ男も当然必要だが、それだけでは駄目なのだ。
「金はあるのか」
「兄のことを、知っていたのですか」
「ああ、知ってたさ。こっちへ来たら、ぜひ会いたいと思っていた」
「兄が遺していったお金は、十分あります」
「そうか。トルストさんがいなくても、一人でやっていけそうか、シイカ」
「はい」
トルストの名を出すと、シイカは少し声を小さくした。
「それで、僕はなぜここに呼ばれたのですか」
「お前の兄のことを聞くためかな」
シイカの髪が西日を返し、強く光る。
「向山様と呼んだらいいのでしょうか」
「真結でいい。どうせ齢もそんなに離れていないだろ。俺は今、十七だ」
「十七歳ですか」
シイカは少し目を大きくして、のぞくような感じで自分の顔を見る。
「兄と同じぐらいの齢かと」
「確か、二十四だったな」
「そうです」
悲しくはないのだろうか。話し始めてから、真結はずっとそう思っていた。二ヶ月前か。こいつの方こそ、ずっと大人びて見えるのだがな。
金か生活の保証か、地位か。どれかが、こいつを引き込む材料になると思っていた。
赤かった空が、黄色を含む色に変わっていた。そして空の端は既に濃い青色である。
「急に連れ去って悪かったな、シイカ」
久光が戻ってきた。
「あまり遠くまで行くことはできなくてな。大翼竜仕の話を聞いてみたかったんだ。それとその弟にも、会ってみたかった」
「光栄です」
「そうそう。真結様が興味を持ってくれたんだから、もっと喜んでいいんだよ、シイカ君」
久光が、シイカの頭を撫でながら笑った。
「はい」
シイカは無表情のまま、目にかかる前髪を軽く払った。
真結は、椅子から立ち上がる。
「あの」
シイカが、言葉を続けた。
「この犬はリムですか」
「そうだ」
「ずっと、本物の動物のように動いていますが」
「俺が練成で作ったものは大体こんな感じだ」
「真結さんは朗読者ですよね」
「見ての通りだ」
真結は二つの椅子を解放した。
「新世界に行くことは、可能ですか」
「なに?」
「新世界は実在しますよね。それなら、行くこともできるのではないかと思って」
「急に何を言い出すんだ。そんな方法があるのか、久光」
「さあ。というより、どこにあるんですか、新世界って。私も行ってみたいんですけど」
気のせいか。シイカの目が妙に光っているような気がする。まばたきもせず、じっと自分を見てくる。
「行って、どうする」
「死んだ兄の記憶、景色を知りたいんです」
「なぜだ」
黙ったまま、シイカはまた、前髪を触った。
そうか。まだ、兄の死を受け入れられないのか。
「新世界へ行くか。おもしろいことを言うな、お前」
「あははははは」
真結が言うと、久光だけが声を上げて笑った。
「学校は、楽しいものか」
「学ぶのは好きです」
大口を開けて笑う久光につられたのか、シイカも少し笑っている。今日はこのぐらいがいい。真結はそう思った。
シイカが、まだ何か言いたそうにしていることに気付いた。
「近いうちに、竜廓島以外にも行けるようになるだろう。北風島へ行くことになったら案内してくれ、シイカ」
犬が立ち上がった。上空から、ふくろうが降りてくる。
「お前、久光を呼びに行ったんだろう。今まで、どこにいた」
ふくろうは、知らないふりをして犬の背中に舞い降りる。そして、真結に背中を向けた。
「まあ、そういうこともありますって」
犬が、勝手に歩き出す。
当然、真結は意図していないし、むしろ意に反してである。真結はその後ろ姿を追うように、シイカに背を向けた。そして、歩き出す。
久光が、何か言っている。自分に対してか、それともシイカに対してなのかわからないが、真結は足を止めようとは思わなかった。シイカとはまたすぐに会うと思った。
ふくろうと、それをいつものように乗せて歩く犬に、真結は並んだ。
ふくろうがわずかに真結の方を見上げる。そしてすぐにまた、前を向き直った。
それには気付かず、真結は前を見たまま、歩き続けていた。




