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二十二話

「どうして何もないのよ!」

 山城と共に屋上のヘリポートに上がり、幾多は周囲を見回す。しかしそこにはヘリの影など、どこにもなかった。

 百メートル四方ほどのだだっ広い平面に白線でHが描かれ、荷物は置かれておらず。その断崖には申し訳程度の落下防止のネットが張られている。

「普通に考えて、先に誰かが使っちまったんだろ」

 考えてみれば当たり前だ。会議室から最後に逃げたのは山城だったし、元よりヘリでここに乗り付けたわけではない。ヘリは無くして無いのだ。

「どうするのよ。エレベーターは動いてなかったし。四十階以上を歩いて降りるっての?」

「それが一番現実的だろ」

 百階も越えてないビルなので階段を自分の足で降りるのはまだ現実的だ。ただし、幾多は歩くのにパワーアシストを受けているのに対し、山城は万年椅子から立ち上がるのも躊躇するような運動不足の身体だ。流石に堪えるのだろう。

「私はここに来るまででもう疲れたから、降りるなら私をおぶっていきなさい」

「レイダーが跋扈している中担いでいくなんて自殺行為だろ。ちゃんと自分の足で歩いてくれ」

 幾多は嫌々する山城を引っ張り、来た道を戻ろうとした。

 だが振り返ると、吹き抜けの階段からは別の影が迫っていた。

「所長、下がってろ」

 階下から上がってきたのは、ガスマスクに白いYシャツという奇抜なファッションをした男だった。髪はガサガサ、シャツの裾はズボンから出ていてガサツな印象を受ける。

 何より幾多の眼を引いたのは左腕にかけられた緑色のリング、パッチをしていたことだ。

「おいおい、ここにも媒介者かよ」

 幾多はガスマスクの媒介者と距離を詰めつつ、何の能力を持っているか、抑制剤は効いているのか、判断をつけようとした。

 それには相手の出方を待つしかない。

「名前は知らねえけど、媒介者。敵意があるか、ないか。はっきりしねえと、潰すぞ」

 ガスマスクの媒介者は幾多の忠告を聞いているのかいないのか、ふらふらと近づいてくる。それだけかと思えば、急にガスマスクに手をかけた。

 そしてガスマスクを外すと、現れた貧相そうな顔に付随した口から、黒鉛のような息を漏らした。

 所長はその姿を見て、はたと気づいた。

「あれは錆の息! 気を付けて幾多。そいつはゾイヒトゥン、金属でも生物でも何でも錆に変える猛毒の息を持った媒介者よ。その息には触れても吸ってもダメ」

「ミタカみたいな接触致死タイプかよ」

 幾多が見た感じでは吐く息が黒鉛のまま届くのはわずか三メートル、扇状に広がり、ミタカと同じなら有毒性を持つ猶予は短いはずだ。

「所長、こいつの毒はどこまでもつ?」

「見えている範囲、黒鉛が残っている範囲であってるわ」

 確認はとれた。ゾイヒトゥンの姿を見た限り、ムントのような肉体の強化はない。吐く息に毒があるなら肺に何か変化があるかもしれないが、四肢に再生能力がないなら取れる手段は単純だ。

 幾多は拳銃を手に取る。しっかりと安全装置を外し、狙いは目線とサイトの水平に置き、引き金を絞る。

 狙いは過たず、ゾイヒトゥンの右足のふくらはぎを幾多の銃弾が撃ち抜く。

 ゾイヒトゥンは苦しむように黒い吐息を一層振りまく。そして、幾多の方へとその歩みを進め始めた。

 走るよりは遅く、それでも歩くよりは早く。足を引きずりながらも黒い灰をまき散らしながら近づく。

「はっは、楽勝楽勝」

 幾多はそのまま距離を離しながら、今度は左足を狙う。狙いは正確とは言えず、何度も地面を打つが当たるのは時間の問題だ。

 ここで、ゾイヒトゥンはぴたりと動きを止めた。

 幾多は「なんだ」と危険を感じ、更に距離を離そうとした時だった。

「ごぼっ」

 肉付きの薄い腹と胸を揺らし、ゾイヒトゥンはより肺の中の空気をごぽりと吐き出す。

 それは咳だ。

 時速は最大で400㎞。ゾイヒトゥンのそれは目算でもおそらくそれより速い。距離も一挙に五メートルと距離を伸ばし、幾多の身体をかすめた。

「―――ちくしょう!」

 幸い、触れたのは拳銃と手袋の先だった。幾多は急いで拳銃を投げ捨て、手袋の最外装をパージする。黒い錆は何とか指先を黒く染めただけで最外装と共に離れ、危険は一時去った。

 しかし、幾多は最も重要な飛び道具を失った。

 武器はまだ、アックスとナイフがあるもののどちらも肉薄して使うしかない。それは自殺行為というのは先ほど拳銃と手袋が証明してくれた。

 離れて戦う。これが第一鉄則の敵に対してこれは痛手だ。

「待ちな、さい。媒介者ぁ!」

 そんな時、階段の方から聞きなれた声が響いた。

「リデルか!」

 幾多はそう声をかける必要もなく、リデルは姿を現した。

 その身体は切り傷や銃撃を受けた出血で制服は赤く染まり、足取りはひどく重い。立っているのが不思議なくらいの重傷なのに、リデルの顔は毅然としていた。

 ゾイヒトゥンは危険性の違いからか、リデルの方に振り向く。

 リデルは自動機関銃のAKを持ち上げるのもつらいのか、腰だめで銃弾を放つ。狙いは悪くないものの、ゾイヒトゥンの頭付近をすれ違う弾は黒い咳に飲み込まれた。

 黒い咳を浴びた銃弾は、ゾイヒトゥンの顔で赤い錆に変わり粉々に砕けてしまった。それは砂糖菓子の弾丸のようにゾイヒトゥンの顔に僅かな傷もつけなかった。

「リデル、足を狙え! 黒い咳の密度が少ない部分だ」

 幾多はリデルに裏切られたことも忘れて声を張り上げた。それはリデルに届いたのか、彼女はわずかに銃口の先を下ろした。

 だが、ゾイヒトゥンもただ撃たれるのを待っているわけではない。自ら撃たれた右足を引きずりながらもリデルに近づいている。

 そして銃弾が交差する中、ゾイヒトゥンは咳払いをするように連続して黒い錆の空気砲を飛ばした。

 その中の二発がリデルの身体に食い込む。既に重症の身体は一部が崩れ落ちるように赤い錆に変わり、剥がれた場所からは大出血を起こした。

 骨の髄まで深々と錆に浸食されたのではないかと思うほどの数撃にリデルは体勢を保てなかった。

「ちくしょう!」

 それをただ見守っているほど幾多は堪え性がない。残った武器のうちアックスをトマホークの要領で投げつける。

 自分に危険物が投げつけられたことに気付いたゾイヒトゥンはかろうじての距離で大きな吐息を飛来するアックスに浴びせて、それを錆にして霧散させた。

 その間に、幾多はゾイヒトゥンとすれ違い、錆の霧を避け、リデルの元にたどり着いた。

 幾多は先にリデルの傷を介抱したかったが、そうもいかない。代わりに彼女のAKを担ぐと、しっかり銃口を絞ってゾイヒトゥンの足を狙った。

 けが人のそれよりましな銃撃は効果的にゾイヒトゥンの大腿部に流れ込み、それを貫いた。

 ゾイヒトゥンは両足を赤く染めながらも、まだ立っていた。

 幾多はそんな満身創痍なゾイヒトゥンに確固たる決意を込めて忠告した。

「おい、お前。ここで死ぬか。それとも逃げるか。それくらい選ばせてやる」

 ガラス越しにある幾多の眼は獣のそれ、声は鬼のもの、表情は地獄の窯の口にも劣らぬ相貌だった。

 ゾイヒトゥンは明らかに幾多を見て、ひるんだ。

 幾多がゾイヒトゥンのために道を開けると、ゾイヒトゥンは幾多を警戒しつつもゆっくりとした足取りで階段の下へと歩み始めた。

 そして完全に通り過ぎて姿が見えなくなったのを確認し、幾多はリデルのケガを見た。

 その傷はひどく、幾多から見てもほとんど手の付けようがないように見えた。

「アイオス、治せそうか」

『延命処置ならばいけます。応急処置は、効果的ではありません』

 アイオスは淡々と非情な警告を告げた。

 幾多はそれでも「頼む」というと、幾多の両腕を直接操作して処置を開始した。

 いくらか止まらぬ出血を抑え、隠れぬ裂傷を覆い、何とか傷と格闘を続けているとリデルが目を覚ました。

「やはり、貴方は強いですね。私と、違って」

 リデルはうわ言のようにそうぶつぶつと呟く。力はなく、その言葉も長くはなさそうだった。

「私は、間違いばかり。信じる人を間違え、頼る人を間違え、何もかも手遅れ」

 リデルは後悔の念を吐き、口から吐血した。口角から鮮血が垂れ、赤い泡が唇にまとわりつく。

 幾多は元気をなくしていくリデルに、戸惑いを隠せなかった。

「遅くはない。あきらめるな。タブチも待ってるんだぞ」

 その場しのぎと分かりつつも、少しでも状態が回帰するように願う。

 リデルはそんな幾多を見透かすように今までにないほど優しい目をしていた。

「幾多。タブチには、拾ってくれてありがとうと。迷惑、かけてすみません、と。伝え、て、くだ」

 リデルは最後の言葉を言い切ることもできず、力尽きた。

『凩幾多。彼女は』

「ああ、分かっている」

 幾多はリデルの瞼を丁寧に閉じさせる。

 その顔は悲哀に染まりながらも、やっと穏やかな時が来たかのように安らかに思える表情だった。

 後ろから急に強い風が吹いた。

 幾多が振り向くと、そこには上空から黒いヘリが下りてくるところだった。

 ヘリの窓からは今、最も顔を合わせにくい顔なじみがこちらを心配そうに覗いているのを確認できた。

 幾多はリデルのことをどう伝えるべきか考えつつも、リデルの憤りを飲み込んで全てを清算することを誓った。


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