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第1章 放っておけないんです

 例えるならば、それは、竹林を通り抜ける風の音。

 聞こえる筈もない、軽やかな音。

 体重を感じさせない小さき黒いモノたちは、今日も彼に纏わりついている-。

 そして、私はそれを見過ごす事はできないのだ。



(ああ、また)

 先日、苦労して忠告したのに。

 全く改善されていない。いないどころか、悪化しているではないか。

 今日も今日とて、小さき黒いモノたちは心配を露わにして、彼の周りにわっさりといる。

 いや、日本語は正確に使おう。

 彼の身体を、自らの黒い丸い身体と数で、覆い尽くしている。もはや彼の姿は、スミレには見る事ができない。身体の輪郭と推測で、彼であろうと判断するしかできない。


 東条院(とうじょういん)スミレの視線の先にいる彼、片桐燿(かたぎりよう)は、教室の後ろの扉から、幽霊が移動するかのようなじわりと重い足取りで、自分の席、1番後ろの窓側から3列目の席に着くと、誰に挨拶するでもなく、机に突っ伏した。

 小さき黒いモノたちは動作についていけず、床に多数、転がり落ちた。彼らは慌てたように、めげず彼によじ登る。また、あるモノは彼の頭で跳ね、あるモノは、机の上で、自らの身体を平らに変形させている。

 彼を覆うすべてのものが小刻みに動いている。


 きっと気づいて欲しくて、仕方がないのだろう。彼を助けたくて仕方がないのだ。

 それがわかるだけに、スミレは放っておけない。


(もう! どうして!)


 人と、極力関わりたくないのに。

 狭く浅く、学生生活を穏便に過ごすこと。

 これが今のスミレの一番の目標であり、願いである。

 どうして、このささやかな願いを、彼は邪魔をするのか。

 スミレは憤然と、彼と思しき黒き物体を睨みつけた。


 彼に纏わりついている小さき黒いモノたち。

 その正体が、何なのか、スミレは知らない。

 ただ経験上分かるのは、小さき黒いモノが現れるのは、その人物の体調が、思わしくない時だ。

 例えば、勉強で無理をした時。あるいは風邪をひいた時。

 この小さき黒いモノは現れる。

 最初は、ひとつふたつ。

 このまま無理すると、体調壊すと警告するように。

 それを無視して勉強したり、学校に行こうとしたりすると、途端、数がその無理度によって4つ5つと、徐々に増えていく。7つあたりになると、体調悪いかもと自覚症状も出てくるし、小さき黒いモノも、うるさい位、ちらちらと目に入るようになるので、スミレも根負けして、休むようにしている。

 そうすると途端、小さき黒いモノたちは安心したように消えてしまう。


 この小さき黒いモノたち。

 実は、自分と家族以外に、纏わりついているところをこれまで見た事がなかった。

 だから彼の傍に小さき黒いモノたちがいるのを視た時、スミレはとても驚いたのだ。

 なぜ、彼の周りにいるモノだけが、見えるのかと。


 どうして。


 もしかしたら、視えない彼に、忠告する役割を、スミレに与えた?


 この小さき黒いモノたち。

 きっとスミレに視えないだけで、沢山いるのではないかと思う。

 小さき黒いモノたちは、必要な時に必要な人にのみ、姿を見せる優秀なもの。

 と、スミレは推測する。


 通常体調管理は、自分でできてしかるべきものだから、きっと周りの人には見えないのだ。

 その理屈から言えば、スミレは体調管理ができない、ダメな人間ということになってしまうが、心配されているようで、小さき黒いモノたちがでてきてくれるのが、少し嬉しいと思っているのは、内緒だ。


 話がそれたが、小さき黒いモノたちが、今まで視た数は、最高でも、10行くか行かないかだ。10現れた時は、歩行も覚束ないほど、具合が悪かった。

 なのに、彼に憑くものは1000を超えているかもしれない。

 となると、生死にかかわるほど、体調が悪いのではないか。

 今日など、小さき黒きモノは、彼の頭にまでこんもりと発生しており、いよいよもってスミレは危機感を感じていた。

 

(だから忠告したのに!)


 今年の春、此処、私立糀ケ石学園に入学して二週間。

 自らの目標。

 他者と極力関わらない事。

 この誓いを早々に破ってまで、彼に接触を試みた。

 まだなって間もないクラスメイトにだ。


(なのに)


 スミレは2、3日前、彼に忠告した時の事を思い出した。

 授業が終わり、教室を出ていく彼を追って、誰もいない廊下で呼び止めた。

 体調が悪い筈だ。よく休むようにと。勿論、やんわりとした言葉を使ってだ。

 その時には、まだ何とか彼の顔は辛うじて見れた。

 それ以外の部分は、小さき黒いモノたちが覆い尽くして、まるで黒いテルテル坊主のようだったが、事の深刻さがわかるスミレには、全く笑えない状態だった。


(それなのに)


 彼はスミレの言葉をありがたがるどころか、ぼんやりとスミレを見つめてくるばかり。

 その眼はまるで生気がなく、考える事を放棄したような目だった。

 一瞬全身に鳥肌が立ったのを覚えている。


 それでも彼は、スミレを見下ろして一つ頷いてくれた。

 一抹の不安を感じたものの、わかってくれたのだと、その時スミレは自分を納得させたのだが。


「やっぱり、わかってなかったという事ね。いいでしょう。そういう事なら、こちらにも考えがあるわよ」


 スミレはふんと、鼻息を荒くし、濃紺のブレザーの上着の裾を強く引っ張った。




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