深い、深い、心の傷
ーー地獄に堕ちろ、醜い「邪神」め‼︎
記憶とは残酷なもので、声色も、息遣いも、なにもかもを今でも鮮明に覚えている。どれほど返り血を浴びても、死ぬ直前まで毒を煽っても、決して消えることはない。
ーーどうして、どうして、どうしてこんな……‼︎
幼い日の、膝を抱えて泣きじゃくる弱くて情けない自分が、心の中に染みついたまま。
「あの……、リバーシュ様?大丈夫ですか?」
目を見開いたまま突然動きを止めたリバーシュに、デルマは心配そうに声をかける。それだけでは反応がなく、思わず彼の顔に手を伸ばした。
「……めろ、触るな‼︎」
バシッという乾いた音が響いた後、部屋はしんと静まり返る。彼は我に返るとはっと目を見開き、ほんの少しだけ眉尻を下げる。普段攻撃的な金の瞳が今は憂色を湛えているようにも見え、デルマはすぐに言葉を返すことができなかった。
無意識に思いきり叩かれた手すぐにひりひりと熱を帯び始めるが、彼女にとっては痛くもなんともない。それよりも、初めて感じるリバーシュの異変に心が騒めいて仕方がなかった。
(辛そうに見えるのは、どうしてなんだろう)
デルマの何気ない言い返しが、彼の奥底にある柔らかく無防備な部分を刺激した。当然彼女は知る由もなく、リバーシュ本人でさえここまで同様するとは思ってもいなかった。
他の誰でもなく、デルマだからこそ。最恐の「邪神」という張りぼてに隠された弱い自分が、顔を出してしまった。彼女なら受け入れてくれるかもしれないなどという、あり得ない妄想に取り憑かれ、不覚にも動揺を見せてしまった。
そんなはずはない、誰にも理解されない、それで当然。なぜなら自分は、もう数も分からないほどに他人の命を奪い続けてきたのだから。
「……莫迦は、俺の方だな」
デルマの話しだったはずが、なぜこうなってしまったのだろう。リバーシュは自身に呆れながら自嘲気味に笑むと、デルマから距離を取ろうと背を向ける。が、彼女は咄嗟にその頑強な腕を掴み、流れる重苦しい空気を払拭しようと声を張り上げた。
「リバーシュ様は、馬鹿ではありません!」
「お前、一体なにを」
「誰がなんと言おうと、あなた様は立派な偉業を成し遂げた方ですもの!」
突然何を言い出すのかと、リバーシュは目を見張りながら振り返る。ふと目に入った彼女の手の甲はほんのりと赤みを帯びており、意図的でなかったとはいえ自身が傷付けたのだと改めてそう自覚した。
「ですからご自分のことではなく、私を馬鹿だと罵ってください」
「は……、は?」
「さぁもう一度、いえ何度でも!デルマは、考えなしの馬鹿者だと!」
気炎を上げながら意味不明な主張を堂々としてみせる彼女を前に、リバーシュは脱力したように大きく長い溜息を吐いた。眼前の華奢な令嬢はいたく真剣な様子で、ちぐはぐなその雰囲気に思わず失笑が漏れる。
「リバーシュ様、なぜお笑いになるのですか?」
「どこの誰が、自分を罵れと懇願する」
「まぁ、そう言われると確かに……」
悲しげに見えたリバーシュを引き止めようと必死になっていたデルマだったが、指摘され初めて気付く。
「やはりお前は馬鹿だな、デルマ」
先ほどとは、まったく違う言い方。声色は低いが穏やかで、鋭い瞳は穏やかに細められている。
「うぅ……。本当に、また言いましたね?」
「言えと強制したのは、お前だろう」
くつくつと喉を鳴らすリバーシュに対し、デルマはどこか納得のいかない表情で唇を尖らせた。内心では、彼の表情を見た途端心臓が早鐘を打ち、どうしたらいいのか分からなくなった末の照れ隠しでもあった。
リバーシュがどれだけ殺気を放ち威圧しようが平気だが、こんな風にふと柔らかく素直な一面を見せられると途端に困ってしまう。こんな時こそ「天使」の真似をして上手く躱せばいいのに、やはり彼の前だけではそれが発揮できいようだった。
(アレクサンダーの話をしていたはずなのに、こんなのおかしい!)
いつの間にか、兄の存在など頭からすっかり抜け落ちてしまった。それどころか、自分がなぜこの部屋にいるのかさえ、もう思い出せないほど。
毎度毎度、リバーシュが突然予想外の行動をとるせいでデルマは振り回されてばかりだと、心中で悪態を吐いた。
「この話しはもういいから、来い」
「へっ?」
「手当だ」
と、今度はリバーシュがデルマの手を強引に引き、再びベッドへと座らせる。どこからか軟膏を取り出すと、慣れた手つきで彼女の手の甲へとそれを塗り広げた。




