確かな気持ちと見えない絆6
「託真君しかいないんです」
切実な声が聞こえた。
「今と同じように穂乃香さんにも話しをしました。二人っきりになれる時間はたくさんありましたからね。でも、穂乃香さんはまったく耳を貸そうともしなくて、話にすらならなくて……危機意識があるのかどうかも判断できないありさまでした。意外に頑固なんですね」
右手に握ったカッターを左手首に当て、少量ではあるものの赤い血を流しながら、滝椿はそっと苦笑いを浮かべた。依然として状況に変化はなく、予断の許されない時間が続いているものの、その困ったような、親しみの感じる顔が、張りつめていた空気を幾らか緩和させたような気がした。
途端に足の力が抜けると、尻もちをつくようにしてコンクリートの上に落ちた。痛みはあまり感じなかった。
「あまり知られてないけどな」
きっと、俺も同じように苦笑いを浮かべているのだろう。穂乃香の頑固さは筋金入りで、一度決めたことはなかなか覆さない。それほど多くはないが、その度に苦労させられた。
こと、今回の件に関しても穂乃香の意志は固く、何度言い聞かせても納得してはくれなかった。滝椿が苦労が共感できた。
「穂乃香さんは決して曲げない。僕の言葉を聞き入れてはくれないのだと。だから、託真君しかいないんです。もう一度だけ、考え直してはくれませんか?」
もう一度だけ。そうお願いされてもあまり意味がない。今まで何度となく考えてきた。
「同じだよ」
吐き出した息が熱かった。
「何度も考えたよ。考えて、考えて、それでも無理だったんだ。滝椿の言っていることが正しくても、出来ないことってあるんだよ」
「諦めないでください。思考の停止は愚かな行為です。今を考えないで、この先の事を考えられるはずがありません。今が不安定なら、この先が勝手によくなるなんてことはありませんよ。それとも、穂乃香さんのこれからを運に任せる、なんて言いませんよね」
必死な顔で滝椿が言った。
「託真君が頷いてくれないなら、この事実を広めることも僕には出来ます。世間がといくら言葉にしても現実味はありませんからね。だから、直接的な脅しです。校内にいる全ての人に、お二人の事を話します。この事実を広めます。生徒の殆どがあなた方を変だと言い、好奇の眼差しを向けるでしょう。陰口も当然ながら増えます。避けられたり、無視されたり……することもあります。それでも、いいと言えますか?」
そう問う滝椿の顔は苦痛に歪んでいた。その顔を見ながら思った。こんな脅し紛いの言葉で強制的に従わせる方法を好む人の顔じゃない、と。それでも、俺を止められるなら手段は選んではいられなかったのだろう。例え、それが本意ではないとしても、滝椿は心を鬼に宿して行動に移すのだろう。
「よくは、ないだろうな」
この話が広まれば必ず良くないことが起きる。きっと、今までのようには過ごせなくなる。その結果を俺は望んでいない。滝椿だってそうだろう。でも、そうしなければ俺は止まらない。
最後の最後に、滝椿の言葉に頷いた後のことを思い浮かべた。
穂乃香への想いを捨てれば、もう悩むことはない。穂乃香は妹のまま、それ以上の関係になることはなく、それが当たり前になる。誰からも後ろ指をさされることはなく、築き上げてきた友人関係を壊すこともなく、今まで通りの日常が待っている。
滝椿の言う通り、誰も悲しまず、正しい形に収まるのだろう。ハッピーエンドと言うよりかは何も始まらない。ただ、それだけのこと……。
それだけを考えれば迷うことはない。わざわざ苦労する道を進む必要はない。そう思うのに、受け入れられない。どうしても。
「ごめんな……」
誰に向けて言ったのか自分でもわからない。視界が回る。座っていたはずなのに徐々に体が倒れていく。目の前で滝椿が何かを言っているようだったが、よく聞き取れなかった。辺りが暗くなり始める。まだ、話を続けないといけないのに――。そこで意識が途切れた。




