決断ゆえに16
ある噂を耳にした。滝椿と穂乃香が付き合い始めた。そういう話を聞いた。ただの憶測かもしれない。真実はわからない。確かめようとは思えなかった。
「ねえ」
すぐ傍で誰かに呼ばれたような気がして顔を上げた。昨日と同じく苛立ちを含んだ顔をした雪花が俺を見下ろしている。また、何か言われるのではないかと逃げるように机に視線を向けた。
「放っといてくれ」
「いいから、ちょっと来て」
手首を掴まれそのまま強引に教室から連れ出された。抵抗しようにも、きつく掴まれた手は離れなかった。校舎をずんずんと進み、渡り廊下を過ぎて、人気のない校舎裏で雪花は足を止めた。
「いいの? このままで」
手を放して向き合うと雪花の鋭い視線が突き刺さった。昨日の続き。誰の介入もない場所で問い詰められる。
「何がだよ」
「このまま穂乃香ちゃんと離れ離れでいいのって聞いてるの」
「いいんだよ、これで」
これ以上その話と向き合いたなくて、体もだるくて、壁に背を預けながらずるずると下がって地面に座った。それで逃げられるわけもなく「よくない」と、頭上から言葉が降ってくる。浅い溜息が漏れた。
「お前は関係ないだろ。それに……理由ならこの前話した」
「納得できないって言ってるの!」
張り上げた大声に眉が歪む。雪花は正直だから、今感じている俺への怒りが声の大きさで伝わってくる。雪花が怒っている理由は俺にある。その理由も知っている。
あの時――屋上で説明した言葉が足りなかったのも、理解してもらっていないこともわかってる。自分が悪いと誰よりも十分に理解している。だから、何度も言わなくてもいいだろと不満が出そうになる。自分のことを棚に上げている自覚はあった。
頭上で予鈴が鳴った。今から教室に戻っても本鈴には間に合わないだろう。少しぐらい遅れても見逃してくれるかもしれないが、雪花は正面に立ったまま動く気配はなく、蛇に睨まれた蛙の立場では逃げだすこともままならない。
束の間の無言が終わる。
「託さん気付いている? 屋上で話した時、矛盾してること言ってたこと」
幾分か棘の少なくなった雪花の言葉に、俺は顔を膝に埋めたまま、矛盾ってなんだよ、と問う。
「託さんは、自分が傍にいるから穂乃香ちゃんが何も出来ないって言ったんだよ。穂乃香ちゃんを傷つけないように守ってきたから、いつまでも人見知りなんだって」
「ああ」と素っ気ない返事をする。確かに言った。穂乃香は、誰かが傍に居ないとまともに話せない。
「自分が離れるから、私には今まで以上に穂乃香ちゃんの傍にいてほしいって言った。それっておかしいよね? 穂乃香ちゃんが一人でいられるようにしたいのなら、私こそ傍にいるべきじゃないよね?」
「でも、守ってくれる人は必要だった」
「私からすればそれほど問題だって思えない。託さんだって知ってるはず。少ないけど、クラスには話す子もいるし、言い寄ってくる男子だって自分で対応してる。それで、何も出来ないわけないじゃん」
思いもよらぬことを言われ、驚きつつ顔を上げた。
「……そうなのか?」
疑いながら問えば、そんなことも知らなかったの? とでも言いたげな視線を向けられる。
「私だってずっと一緒に居られるわけじゃないし、みんなと仲良くなれば敵だって減る。積極的ではないにしても、穂乃香ちゃんは“誰とも話せない”なんてことはないよ。悪意のある子とか、悪質なのは近寄らせないけど、そういう人ばかりじゃないでしょ?」
雪花の問い掛けに返す言葉が浮かばなかった。
数日前までは全て知っていると思っていた。一番近くにいるのだから、何年も見続けてきたのだから知っていて同然だと思っていた。
頼りなくて、いつも守ってやらないといけないって、ずっと思い込んでいた。
穂乃香の傍から離れようとして思い知らせられた。俺が頑なに距離を空けようとしても、穂乃香は諦めず、積極的に関わろうとしていた。言葉で拒んでも言い返してきていた。自分の意思をちゃんと言葉にして伝えていた。それに驚かされていた。俺が参るほどに。
よくよく考えてみれば、告白だって穂乃香は自分の言葉で断っている。それが出来て言い寄ってくる人に何も言えない、というのは矛盾しているのかもしれない。
でも――、そう勘違いしてしまう切っ掛けは何度もあった。
「穂乃香が男と話しているとこなんて見たことがない。滝椿の時はだって挨拶だってまともに出来なかった。それに、学校に着けば穂乃香は俺の後ろを歩いてるだろ?」
雪花が嘘を吐いているとは思っていない。クラスで話す人がいることも知っている。でも、男と話しているところを俺は見たことがない。
「口止めされてるけど、嫌なんだって。あいつの目が怖いんだって」
目? と疑問を投げれば、雪花が小さく頷いた。
「他の子は知らないけど、ああいういかにも良い人オーラを出してる男って裏で何を考えてるかわからないから怖い。でも、託さんとゆうが仲良さそうにしてるから、言い出せないんだよ」
最後は不満げに言われた。俺も滝椿が善人だとは思っていない。けど謙虚な態度に好感が持てた。目が怖いと感じたことが一度もない。
滝椿のことに関して穂乃香は一度も口にしなかった。尋ねたことがなかったから。
「それに、託さんの傍にいるのは周囲の人が怖いんじゃなくて……見られるのが恥ずかしいのもあるみたいだけど、それよりも、誰にもとられたくなくいからなんだって」
「とられてくないって、誰に?」
「他の子。自分が傍にくっついていれば近付き辛いだろうからって穂乃香ちゃん言ってた。託さんは自覚ないけど、もてるから心配なんだって」
「ちょっと待って、話が見えない」
「成瀬さんの時だって怒ってたでしょ? 託さんは私のだって。本人に言うわけにもいかない話だから、知らなくても仕方ないよ」
雪花はそう言って、少しだけ視線を外した。
「女の子はね、好きな人の傍に居られるなら、なんだってするのよ」
雪花は、俺とは違う視点で穂乃香を見ていたのだろう。本当の穂乃香を知っていたのだろう。今までどうして後ろを歩いているのかと穂乃香に尋ねたことはなかった。聞く必要がないと思っていたから勘違いし続けていた。
「その件は後で本人から聞いて。私が言いたいこと、まだ終わってないんだから」
聞けるわけがない。そういう視線を投げかければ、また雪花の目が鋭くなっていた。
「あいつが余計な事吹き込んだんでしょ? 何も知らないのに、知ったようなこと言ったんでしょ?」
雪花はまっすぐに俺を見つめていた。自分の言っていることは間違いではないと目で訴えていた。
「違うよ」
「違くない! 全部あいつが悪いんだから」
嫌な予感がして雪花の手を掴んだ。
「雪花は誤解してるよ。確かに滝椿と話をしたよ。でも、あくまで相談みたいなもんなんだ。全部、俺が決めたことなんだよ」
手の届かないとこへ行かれたら追い付く自信がなかった。体が重くて、立ち上がれない。
「少し前からこうしないといけないって思ってたいたんだ。だから、滝椿がいなくてもこうなってたんだよ」
「だからって……」
「滝椿を責めないでくれ。全部、俺が悪いんだ」
雪花は視線を下げ、しばらく黙っていた。
「ごめん。私、納得できない」
言うが早いか、雪花は俺の手を振り払って校舎へと戻っていった。




