決断ゆえに10
くすぐられているようなむず痒さを感じて目を開けた。ぼやける視界にはクロの顔があり、早く起きろとせがむように頬を舐められている。眠気はまだ残っているものの、起きますよ、とクロに言って頭を撫でた。
「どうした。今日は穂乃香と一緒じゃ――」
と言いかけて昨夜の光景を思い出した。
「寝られるわけないか」
身体を起こすと至る所に痛みが走った。硬く冷たい廊下で寝ていた所為なのだろう。それでも、少し眠れたおかげで昨日よりは頭が軽く感じた。
その後は穂乃香の部屋を見ることなく自室へ戻った。手早く制服に着替え、財布と携帯とカバンを持ち、玄関まで見送りに来てくれたクロに穂乃香のことを頼むと告げて家を出た。
何も考えない。無心でいればいい。そう思ったところで何も変わらなかった。ただ歩いていても、空を眺めても、下を向いていても、思い出したくないのに昨夜の光景が蘇ってくる。穂乃香の泣き声が耳から離れてくれなかった。
重い足を引きずるようにして公園にたどり着き、近くにあったベンチに座って時間が過ぎるのを待った。待っていたんだと思う。授業が始まる時間になっても俺は動けなかった。
時折、携帯が震えた。誰かからの着信だと思う。何度か無視し続けると静かになった。そうして何も考えない時間だけが進んでいった。
「ここに、いたんだ」
聞き馴れた声がして顔を上げた。そこには呼吸と制服を乱した成瀬がいた。
「どうして……お前が」
「捜したんだよ? 連絡してたのに出てくれないし、電源切っちゃうしで大変だったんだから」
文句を言いながら成瀬は俺の隣に座り、携帯を取り出し文字を打っていた。誰かに連絡しているのだろう。それを横目に見つつ自分の携帯を取り出してみる。静かになったと思っていた携帯はどうやら落ちていたらしく、電源ボタンを押しても反応がなかった。最後に充電したのは何時だったのか思い出せない。
「どうして、ここにいるんだよ」
文字を打つ手が止まるのを待ってから俺は訊いた。公園の時計を見れば既に三時間目に入っている。
「それは、あなたも一緒でしょ?」
「そうだけど。わざわざ捜さなくてもいいだろ」
と言うと、成瀬はむっとした顔を向けた。
「なんだよ?」
「授業始まっても学校来てないし、担任の先生も知らないって言ってたから本当に心配したんだよ? 穂乃香ちゃんに聞きに行ったら驚かれるし。私の所為だって、自分が捜しに行くって今にも飛び出しそうだった。止めるの、苦労したんだからね」
「そうだったのか……」
考えてみれば当然のことだった。欠席の連絡もなく姿がなければ、まず家族である穂乃香に事情を聞きに行く。そんな当たり前のことさえ頭から抜けていた。携帯を弄っていたのも、学校にいる誰かに俺の安否を知らせる為なのだろう。
「迷惑掛けたな」
「ううん。迷惑じゃないよ。心配しただけ」
成瀬はそう言ってくれたけど、俺としては心配も掛けたくなかった。それは成瀬だけの話じゃなくて、夕貴や雪花に滝椿も。なによりも穂乃香に今以上の負担を掛けたくなかった。
でも、体が動いてくれない。無理やり奮い立たせるだけの気力も残っていない。穂乃香の泣き声を聞いてから、俺の中にある決意が揺らいでしまっている。このままでいいのか、と自問自答を繰り返している。
遠くの方で声がして顔を上げると、親子がブランコで遊んでいた。小さな男の子がブランコに乗り、後ろからお母さんが背中を押していた。男の子はきゃっきゃと笑い、母親も嬉しそうに笑っていた。その光景が何時の日かの俺と穂乃香にダブって見えた。
「どうしてここがわかったんだ?」
「わかるよ」
と、成瀬は即答した。
「あなたが何処に行っても、あたしが必ず見つけてあげる」
でもね、と言って成瀬は俺の手を取った。
「こういうのはもう無しにしてね」
「……悪い」
「いいの。あたしがしたいんだから」
それからも成瀬は俺の隣にいてくれた。
お昼になると、成瀬は弁当を分けてもらった。最初は悪いからと断り、近くのコンビニに行った。昨日と同じおにぎりとお茶をレジに持って行ったまでは良かったが、財布の中身は空だった。昨日で使い果たことを失念していた。
すいません、と言ってコンビニを後にすれば、外で成瀬が待っていた。情けなくて成瀬の顔が見れなかった。そんな俺の手を成瀬はとって、来た道を引き返した。公園に戻った後は何をするでもなく、ベンチに座りながら成瀬の話を聞いていた。そうしているうちに陽は沈んで、辺りは暗くなっていった。




