決断ゆえに11
「家に帰りたくない?」
成瀬の問いに、俺は答えられなかった。
「うちに来なよ。穂乃香ちゃんには私から連絡しておくから」
迷っている俺の手を掴んで立ち上がらせると、成瀬は夜の道を進んでいった。甘えているのは重々承知していていた。でも、情けなくても自分から“帰りたくない”とは言えなかった。
それからしばらくして成瀬の家に着いた。ごくごく普通の二階家に明かりはなく、どうしてなのかと訊くと、両親ともに今日は遅くなるとのこと。だから気にせず上がって、と成瀬は言った。
まっすぐ二階へ案内されて部屋に入る。成瀬の部屋は少しだけ穂乃香の部屋と似ていた。身長ほどの抱き枕と数体のぬいぐるみがベットに座り、本棚には漫画やファッション雑誌が背の高い順に並べられている。机の上には勉強道具と飴の入った瓶が置かれ、脱いだ服が放置されているということもなかった。
しばらく待つように言われ、差し出された椅子に座って待つことになった。それからしばらくが経ったが成瀬が戻ってくる気配はなく、若干の手持無沙汰を感じて辺りを見渡してみると、壁にかかってるコルクボードが目に入った。数人の友達と一緒に写っている成瀬はどれも笑顔だった。修学旅行の時の写真も貼ってあった。その中の一枚に、俺と穂乃香が写った写真があった。
出発前の写真なのだろう。なんの憂いもなく、旅行を楽しみにしているような表情をしていた。何も知らないあの時の自分が羨ましくて、しばらくその写真から目が離せなかった。
成瀬に呼ばれて一階に行くと、テーブルの上に料理が並べられていた。生姜焼と野菜炒め。それだけでも量が多いのに、茶碗には白米がもりもりと盛られた。デザートにカップのヨーグルトまであった。食欲はなかったが、せっかく用意してくれたのだからと無理やり口に入れた。一口、二口と箸を進めてみれば思いのほか抵抗はなかった。
どうかな? と不安そうに訊く成瀬に、美味しいよ、と言いつつ箸を動かした。量に圧倒されていたのも最初だけで、それほど時間を掛けずに完食していた。少し前に成瀬は食事を終えていたらしく、手早く食器を重ねて台所へと持って行った。
「あ、風呂用意してあるから先に入ってきて。託真君、最近入ってないみたいだから」
せめて食器ぐらい洗おうかと立ち上がったタイミングで成瀬に言われた。遠回しに匂うと言われれば断りづらく、お礼を告げて脱衣所に向かった。
勝手の違う浴室には知らないシャンプーやボディーソープが二種類ずつ置いてあった。しばらく迷い、ぱっと見安そうな方を選び、簡単に頭と身体を洗い湯船に浸かった。温度は丁度良く、ここ数日の溜まった疲れがお湯に溶けていくようだった。目を閉じてお湯に身を委ねると音が無くなった。
〝私を、一人にしないでね〟
ふと、水滴が落ちる音が耳を打つと何時かの情景が目の前に現れた。浴室の壁。背中にふれる震えた手の感触。水滴が落ちる音と水面に出来た小さな波紋。
〝ずっと一緒だから〟
あの時、そう言ったのは誰だったのだろうか。
「湯加減はどう?」
不意に成瀬の声が聞こえると、目の前から穂乃香の姿が消えた。
「……ああ、大丈夫だ」
「よかった」
確認に来ただけなのかと思ったが、成瀬はその場に留まっていた。
「そのまま聞いてほしいんだけど……。穂乃香ちゃんのこと、少し話したいんだ」
すりガラスの向こうに成瀬の背中が見えた。
「託真君の好きな人、何となくわかるよ。託真君は誤魔化そうとするだろうけど、そういうのって近くにいるとわかってきちゃうから。もちろん、あたしじゃないことも含めてね」
と、成瀬は明るい声で話し始めた。
「でもね、それでもいいって思えたんだ。だって割り込めないんだもん。割り込むとする自分が、嫌になるくらい。二人を見てるとね、ほんとお似合いだなあって、思うから。でも……兄妹、なんだよね」
その声もだんだんと落ちて、悲しく聞こえてくる。
「穂乃香ちゃんが好きなんだよね」
問いかけたわけではないのはないのだろう。それでも俺は、そうなんだと、言いたかった。この気持ちを声に出せたら少しは楽になるのだろうか。そんなことを思っていた。
好きになってはいけない人を好きになってしまった。
何時からかなんてもう覚えていない。気付いた時には好きになっていた。隣にいてくれるだけで安心出来た。笑ってくれると嬉しかった。何気ない会話も、何気ない仕草にも心が惹かれて、いつまでも見ていたいって思うようになっていた。
「どうすればいいんだろうね」
どれだけ好きになっても伝えることは出来なかった。それで納得していた。これ以上は望んではいけないとわかっていた。でも、気持ちは制御できなくて、線引きが曖昧になってしまった。そんな風に過ごしていたら、いつの間にか、一緒にいることすら出来なくなっていた。
「何が悪いんだろうね」
誰の所為でもない。恨む人もいない。敵もいなければ解決策もあった。でも、行き場のない気持ちはどうしたらいいのかわからない。離れれば、全てが上手くいくって思っていた。もう、どうすればいいのかわからない。
穂乃香、穂乃香、穂乃香――。
隣にいてくれるだけで、よかったのに……。どうして、こうなるんだよ。
「大丈夫。きっと大丈夫だから」
誰かに抱きしめられている感覚があった。優しく頭を撫でられながら、大丈夫だよ、という声が聞こえてきていた。その声が成瀬だったのだと知るのは俺が泣き止んでからだった。
「のぼせないうちに早く出てね」
風呂場を出た成瀬は、脱衣所で立ち止まった。
「パジャマ、大きいかも知れないけど我慢してね」
そう言うと成瀬は脱衣所から出て行った。
ぶかぶかなパジャマを着て成瀬の部屋に行くと、ベットの隣に布団がしいてあった。大声で泣いたからなのかどっと疲れを感じた。立っているのも辛く、布団に横になるとすぐに睡魔がやってきた。そのまま目を閉じれば夢を見る余地がないほど深く沈んでいった。




