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ふれられないもの  作者: 柳
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修学旅行とそれぞれの想い5

 

 好きじゃない。そう言い返す間を穂乃香は与えてはくれなかった。穂乃香は顔を俯かせたまま、半身程あった空間をそっと詰めると、俺の右腕と体の隙間に手を入れるようにして自身の腕を絡ませた。突然のことに呆気にとられていても、穂乃香の手と腕と体がふれている感触が右腕にあった。成瀬のような大胆さはないにしても、それでも絡まる腕からは穂乃香の温もりが確かに感じられた。


 鼓動は高鳴り続け、否応なしに体が熱を持つ。どうしようもないほどに、穂乃香を意識すればするほど大きくなっていく――。平常心を保とうと努力しても体は言うことを聞いてくれない。嬉しいと感じていることに抵抗などするわけもない。ただただ周囲の人に悟られるわけにはいかないと、上辺だけでも平静を装い続けた。


 抵抗しなくなったことで成瀬は満足そうに寄り添い、穂乃香は俯いたまま頑なに傍を離れようとはしなかった。


 両隣に女子を並べて登校していれば嫌にも注目の的となる。穂乃香も感じているはずなのに、絡ませた手は教室に着いてからも離れなかった。俺としては何時までもこうして寄り添っていたとしても問題はなく、そうしたい願望もあった。けれど、ここは校舎の中であり、兄妹以上の接触を続けていれば妙な噂もたちかねない。そうなることを俺は望んでいない。


「穂乃香。教室に行かないと」


 引きはがすのではなく、穂乃香から離れてくれるのを静かに待った。ゆっくりと手が離れる。


「また、お昼休みにな」


 穂乃香は俯いたまま教室に入っていった。恥ずかしがり屋である穂乃香が、これほど大胆な行動を起こしたことは過去を振り返ってみてもそれほど多くない。今の穂乃香の心情を知ることは出来ないが、何が切っ掛けになったかは考えるまでもない。


「早く教室行こうよ」


 隣に視線を向ける。穏やかであった日常が、昨日今日関わっただけの女に壊されていくことが、どうしても許せなかった。


 成瀬の行動の裏に何があるのか。もう少し様子を見ればわかると思っていたが、それはもういい。穂乃香に迷惑が掛かっている。


「お前は、いつまでそうしてるつもりだ」


 冷たく言い放ち、一切の遠慮もなく乱暴に絡ませた腕を振りほどいた。そんなわかりやすく突き放した態度でも、成瀬は臆さない。


「教室に着いたら離れるよ」


 平然と、悪びれることなく言った。流石に我慢の限界だった。ここで線引きしなければ、この先にどんな被害を受けるのか予想も出来ない。


 予鈴までまだ時間はある。成瀬の腕を掴み、有無を言わさず人の目につかない廊下の突き当りまで足を進めた。周辺に窓はなく、蛍光灯の光が届かない暗がり。滅多に生徒も教師も来ない場所で壁に成瀬を押しつけ、逃がさないと言うように掴んだ肩に力を込めた。


 逃げ場を無くし、抵抗できないように押さえつけ、視線には敵意を含ませる。今まで穂乃香にちょっかいを掛けてきた大抵の女たちは、こうすることで身を引いてくれた。だから成瀬も同じ方法で離れてもらうつもりでいた。


「……じゃあ、どうすればいいの?」


 消え入りそうな声色で成瀬は俺に問い掛けた。そこに今までのような傲慢さは感じられなかった。


「どうすればいいのか、はこっちが聞きたい。迷惑だって何度も言っただろ? お前は何が目的なんだよ」

「目的なんて初めから決まってる。あなたの傍にいたいだけ」

「それが迷惑だと言っている」

「迷惑を掛けるつもりはなかったよ。最初から、そうだったよ。でも、託真君はクラスの女の子とも話さないし、話しかけようとしても拒んでるように見えたから、強引にでも接点を作らないと話も出来ないって思った。だからあたしは、迷惑だって言われても絶対に止めない。止めたらあなたはあたしのことなんて何とも思わなくなる。それだけは嫌だから」


 口調ははっきりしている癖に、いつもの、挑戦的な眼差しは涙で潤ませて、それを見られたくないと言うように目を逸らしている。怯えさせるために一番わかりやすく、手っ取り早い方法として暴力という最低な方法で成瀬を従わせようとした。


 だが、どうだ。その姿は、俺が予想していた反応とは違っていた。会話の最中も痛みを与え続けた。なのに抵抗することなく痛みすら訴えない。


 穂乃香や俺に何らかの嫌がらせで関わってくる人には共通点があった。問い詰めて逃げ場を無くせば、悪意を持っている人であれば少なからず動揺する。目を泳がせたり、いい訳を始めたり、あからさまに話を逸らしたりする。それは自身に後ろめたい気持ちがあるからだ。


 成瀬にはそれがない。悲しそうに歪んだ表情はまるで、俺に拒絶されているからだと言っているかのようだった。だから泣いているように見えた。


 こいつは――成瀬は、これくらいじゃ引かない。そう感じさせて掴んていた手の力を抜いた。


「俺は、お前のこと好きでもなんでもない」


 涙が零れる瞬間を見た。とめどなく、床に落ちていくのを俺は見ていた。


「あたしは……あなたの傍にいたいだけ。ただ、それだけなの」


 俺は手を離し背を向けた。


「それはお前の都合だろ」

「……ごめんね。でも、あなたの傍にいたいの」


 息苦しそうなその呟きが、悲痛な叫びに似ていたから振り返ってしまった。振り返って後悔した。素直にこの場から立ち去れば、余計な想いに駆られることなく、成瀬との関係を終わらせられたかもしれないのに。強情で傲慢で身勝手だと思いっていた成瀬でも、普通の女の子のように悲しんでいる。


「あなたになら、私の全てを捧げてもいい。何だってしてあげる」

「どうしてそこまで……」


 理解できなかった。出会ったばかりの俺に、どうしてそこまで言えるのか。どうしてそこまで真剣になれるのか。


「好き、だから」


 成瀬の行動に裏なんて最初から存在しなかった。穂乃香を陥れようとか、俺にちょっかいを掛けようだとか、そういう悪意はなかったのだろう。


 それだけの為に……。そんな単純な理由だったからこそ納得してしまった。


 大切な人の傍にいたい。相手を顧みない傲慢な行動の先には、そうした想いが関係していたのかもしれない。その気持ちはなんとなく俺と似ているものがあった。


「悪かった」


 その気持ちがどれだけ大切なのか知っているからこそ、謝らなければならないと感じた。これ以上、否定してはいけないと思った。


「託真君は、悪くない」


 俺が何に対し謝罪のしたのか成瀬に伝わるはずはない。それを伝えるつもりもない。


「あたしが悪いこと、わかってた。あたしだってそこまで鈍感じゃないし、避けられれば傷つきもするよ。でも、穂乃香ちゃんのことを考えたら仕方ないって思ってたから」

「仕方ないって、何がだよ」

「遠くから見てるとね、なんとなくわかるんだあ。託真君は、あたしじゃなくてもきっと同じように拒むんだろうなって。そうやって穂乃香ちゃんを守っているんだろうなって」


 何も考えていないように見えた成瀬だったが、どうやらそうでもなかったらしい。俺は近づいてくる人を意識的であり無意識に拒絶している。


 最初からそうだったわけじゃない。人の感情が、俺をそうさせた。穂乃香に近付いてくる人の多くは、穂乃香に大なり小なりの好意を持ち、親しくなりたいが為に言い寄ってくる。


 それがいけないとは思わない。でも、自分の想いが叶わないと知った連中は一変して敵対した。


 女子も似たようなもので、初めが好意か悪意かの違いでしかなかった。ただ、男より感情を隠すのが上手で、嫉妬は誰もが持つ醜い感情だったから、同性でも油断は出来なかった。


 人の心の内なんてものは時間を掛けなければわからない。だから、最初に試した。穂乃香に悪意はないのか、害はないのかを見極める為に。


 成瀬が穂乃香に何らかの悪意を持って近づいてきたとはもう思わない。そして、成瀬の想いを俺は否定できそうにない。


「提案がある」


 それを成瀬が受け入れてくれるのなら、今よりかは良い関係に納まるだろう。言葉にしてしまった以上、後戻りはできない。


「今までのような強引な行動は慎んでくれ。それを約束してくれるなら、俺はもうお前を拒まない」


 ぱっと、成瀬が濡れた瞳で俺を見た。


「ほんとうに?」

「ああ。嘘じゃない」


 信じられない、とでも言いたげな表情で成瀬は俺を見ていたが、それは俺も同じような気持ちだった。成瀬の想いを知らないままであれば、あの言葉がなければ、どれだけ執拗に接触してきても拒絶するつもりだった。一切の妥協もなく、今よりも強引な手段を選んでいた可能性もある。そうならなくて良かったと安堵すらしている。


「約束する。傍にいてもいいなら、あたしは何だって我慢できる」


 成瀬は制服の袖で目元を拭った。予定とはだいぶ違う結末になってしまったものの、これでいいと思える。


 そろそろ予鈴がなる時間。最後に、これだけは伝えておかなければならない。


「お前がどれだけ頑張っても、俺は、お前を好きになることはないよ」


 変に期待させていいことなどない。それで離れていくなら、それで構わない。


「いいよ」


 そう言った成瀬に悲しんでいた時の面影はもうない。騙されていた、とは思いたくないが、たぶん切り替えが早いのだろう。暗さを引きずらないさっぱりとした性格は、成瀬の魅力のひとつなのかもしれない。


「あたしが好きなだけだから。それでいい」


 成瀬の性格上、これからも問題は起きるだろうけど、多少のことは見逃してもいいと思える。成瀬は自分の想いに正直過ぎる。だから空回ってしまうのだろう。そんな奴を人として嫌いにはなれそうになかった。そして、想いをストレートに伝えられる成瀬が少しだけ羨ましく思った。

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