修学旅行とそれぞれの想い6
拒まない。そう言ったのは今朝のことで、後になって気が変わったとか、あの時の言葉を曲げようとは思っていない。けれど、好き勝手していいとまでは言ってなく、かといって細かい制限を設けたわけでもない。ただ、少しは大人しくなるかな、とは思っていた。
午前の授業が終わり、無言の窮屈な時間から緩和した空気に変わった教室で、徐々に椅子の引く音が重なっていく。その音を一つ加えながら席を立ち、夕貴と滝椿と一緒に廊下に出た。二つ先の教室の前には既に穂乃香と雪花の姿があった。向こうは早めに授業を終えたのだろうと思っていれば、二人の隣にいる成瀬に視線が止まった。
三人で話をしているのだろうか。会話の内容までは聞こえてこないものの、朗らかな穂乃香の笑顔と対照的な怪訝そうな雪花の顔を見れば、成瀬に対する二人の感情がどんなものであるのかは伝わってくる。
そんな二人を前にしても成瀬は普通で、友好的な穂乃香にならまだしも、明らかに冷たい反応の雪花にまで会話を振っていた。その姿はまるで、雪花の視線に気付いていないかのようにも見えたが、昨日の成瀬の行動を鑑みれば、意図的に気付いていないフリをしているだけなのだろうと思った。
三人に合流してすぐに成瀬は俺に顔を向けた。
「お昼、一緒でも問題ないよね?」
控えめで謙虚に聞こえる言葉ではあったものの、ある種、俺が断らないと確信しているようにも聞こえた。事実、昨日まで成瀬を拒んでいた俺がみんなの前で、別に構わない、と明言させられた。断ることはなく、受け入れると言わされた。これも成瀬の思惑通りなのだろう。成瀬は嬉しそうに俺に笑顔を向けていた。
かくして、成瀬を邪険に扱う者は居なくなり、穏やかな昼休みが始まった。何事も臆さない強気な性格の持ち主の成瀬は、今朝の約束だけはちゃんと守っているようで、昨日のように付きまとう素振りは見せなかった。そうすれば妙な空気になることはない。
穂乃香はもちろんのこと、夕貴や滝椿ともすぐに仲良くなり、外から見ている限りでは違和感なくこの場に溶け込んでいるように感じる。ただ、成瀬の興味は未だに俺にあるらしく、熟知しているだろう穂乃香にあれこれと尋ねていた。穂乃香も嬉しそうに話しているから止めに止められなく、会話の輪から離れて弁当を食べていた。
同じく、その輪に加わろうとしない雪花は俺の隣にいる。
「よく、託さんが許したね。何かあったの?」
何気ない言葉には微量の棘が含まれている。今の状況に思うことがあるのだろう。
「別に、何もないよ。ただ、話してみたらそんな悪い奴じゃないってわかったからさ」
「ふうーん、そうなんだ」
気のない返事をして、雪花はプチトマトを箸で刺し口に入れた。言いたいことがあるのだろうと思い待ち構えていたが、雪花は黙々と箸と口を動かすだけで何も言ってこなかった。
それからしばらくの間は会話もなく、少し離れた場所で雪花と肩を並べながら、楽しそうに話すみんなを眺めていた。穂乃香もこの面子なら気構えることなく話せるようになっている。良い傾向なのだろう。
「成瀬さんは――」
と言って、雪花は箸を弁当の上に置いた。
「託さんの事が……好き、なんでしょ?」
「みたいだな」
自分で言うのもどうかとは思うが、事実そうなのだから仕方ない。それだけの理由で成瀬はここにいる。
「断ったんじゃないの?」
「ああ。きっぱりと断った」
「じゃあ何で成瀬さんはここにいるの?」
「諦めていないらしい」
正確に言えば、諦めることが出来ないのだろう。そして、諦めるつもりがないのだろう。相手のことを考えているのではなく、成瀬は自分の気持ちを優先している。身勝手で迷惑な話でしかないのだが、今ではその想いに共感してしまったから受け入れている。
「それでいいの?」
矢継ぎ早の質問の節々に雪花の戸惑いが感じられる。昨日まではあれだけ邪険にしていたはずの俺が、一変して成瀬を受け入れていれば困惑もするだろう。今朝の一件がなければ、俺も雪花と同じように思ったに違いない。今に至った経緯を説明するには言葉だけでは足りない。
「別にいいんじゃないか? 穂乃香も楽しそうだし」
それに、俺が何を言おうと雪花は納得しないだろう。自分の目で見るまでは受け入れられない。そういうところは俺と似てる。
「じゃあ、成瀬さんの……告白は、どうするの?」
「どうするもないだろ。告白は断ったんだ。それで終わりだろ?」
「仮に、ずっと諦めなかったら、託さんはどうするの?」
成瀬のことなんてどうでもいいだろうに、雪花は妙なところに拘っている。そっと隣に視線を向ければ、思っていたよりも真面目な横顔があった。視線の先には成瀬がいる。
ずっと諦めなかったら。何度問われようと、答えはひとつしかない。何れ、その想いは無くなる。それほど関わりのなかった成瀬だからこそ幻滅する。
自分で言うのもどうかと思うが、俺は、穂乃香のことしか見ていない。常に穂乃香を第一として考え、優先されることの全ては穂乃香を基準としている。それ以外は二番以下でしかない。
もし、そんな俺を好きになったとすれば、それは穂乃香を見つめる俺ということになる。自分ではない他の女性を見続ける男に好意を寄せても、虚しいだけだ。
それは近ければ近いほど、嫌というほど知ることになる。今は恋愛に興味はなく、穂乃香が誰よりも大事だからと嘘を混ぜて説明した。
「違うと思う……」
同意してくれる――とまではいかなくても、それに近い返事をしてくれると思っていたが、雪花は否定した。
「どうしてそう思うんだよ?」
「成瀬さんは、もっと好きになるに決まってる」
「有り得ないだろ」
雪花は、成瀬の想いは無くならないと言っている。俺は、自然と無くなると思っている。 互いに真逆の答えを持っている。だから、話が噛み合わなくて、いつまでも終わりが見えない。
でも、異なる考えを持っていること自体は普通のことだと思う。だからきっと普通ではないのが、これは成瀬の話であり、雪花とは何ら関係がないにも関わらず、執拗にこの問題とも言えない話を雪花が持ち出してくる、ということなのだろう。
そうまでして何を聞きたいのか。何を言いたいのか。どうして成瀬の話で、雪花が悲しそうな表情をしているのか、その理由がどうしても思い当たらない。
無意識に、雪花の気に障ることを言ったのではないかと思い返してみても、どの言葉も雪花には関係がない。長い付き合いで、雪花の扱いに戸惑ったことがないが故に戸惑っていた。
「そうだよね」
雪花は一人で納得するように呟き、次の瞬間には何事もなかったかのような顔をしていた。散々振り回された挙句、置いてきぼりにされれば無性に気になってくる。今までの話はなんだったんだよ、と尋ねても、なんでもない、と言ってはぐらかされてしまった。言いたくないことを無理やり聞き出すことはしないが、一人で勝手に納得されては気分が悪い。
「そうだ。修学旅行の話、そっちの組でもした?」
俺の心情などお構いなしに雪花は話題を転じる。
「まあな。今年は京都だってな」
「今年は行けそうなの?」
不貞腐れた気持ちがまだ燻っており、素っ気ない態度を隠すことなくぶつけてみれば、雪花は心配そうな顔つきで俺を見ていた。
頭の切り替えが早いのか、気持ちの切り替えが早いのか。さっきまでの会話は雪花の中ではもう終わったと処理されているらしい。そういう顔をする時は決まって穂乃香絡みの話。
修学旅行の話はその内にでもしようとは思っていたから丁度良く、穂乃香の話であればいつまでも女々しくしているのも格好悪いと、今までの会話は忘れたことにした。
「たぶん大丈夫だと思う。後で穂乃香にも確認するけど、まあ、問題ないだろ」
「そう、よかった。去年は穂乃香ちゃんがいなくて寂しかったから。一緒に行けるなら嬉しいなあ」
「そうだな」
二泊三日の修学旅行が目前に迫っている。過去二年間の修学旅行は穂乃香のこともあって欠席していたので、俺としても中学生の以来になる。考えれば心配事は尽きないものの、この間のお泊り会で大きな問題はないと証明されいる。
万が一、穂乃香が夜に怯えても、穂乃香の担任は事情を知ってくれている。近くには雪花が居るだろうし、それでも解決しなければ俺もいる。穂乃香も楽しみにしているから無事に済んでくれればと今から願っている。
「ああ、そうだ。雪花に頼みたいことがあったんだよ」
修学旅行は楽しみだが、家を空けると困る住人がいる。
「旅行の間、クロの面倒を見てくれる人を探してるんだけど、誰か心当たりはいないか?」
「心当たり、かあ……」
思案するようにしばらく宙を見つめた雪花は、そっと視線を下げて自分の弁当を見つめた。そして、唐揚げを箸で刺すと丸々一個を口の中に入れた。もぐもぐ。咀嚼している最中も考えているみたいだった。それに倣い、俺も中断していた弁当に箸を伸ばした。
「うちで預かろうか?」
と、最後にデザートのイチゴを食べているタイミングで雪花は言った。
「うちって、雪花の家だよな?」
「そう。後で親に確認してみないといけないけど、たぶん大丈夫だと思うよ。うちの親、動物大好きだし」
願ってもいない話。雪花の家ならクロを預けても安心できるし、万が一に何かあったとしても知り合いの方が都合もいい。でも――。
「迷惑にならないか?」
「三日ぐらいなら全然問題ない。前にも親戚の猫を預かったことあるし、遠慮しなくていいって。言っとくけど、これは託さんじゃなくて穂乃香ちゃんの為なんだからね」
と、念を押すように雪花は言ったが、どちらにしても助かることには変わらない。雪花は、あえて穂乃香の為だと言葉にして、躊躇する俺の遠慮する気持ちを取っ払ってくれた。まだ遠慮しようとすれば、その気持ちを無下にする。
「助かるよ。でも、無理なら言ってくれ。動物病院でも預かってもらえるらしいから」
「了解。どっちにしても帰ったら連絡する」
そう言って、雪花は食べ終わった弁当箱を片付け始めた。その姿を横目に見つつ、預けに行く際のお礼の品を何にするか、家に帰ってから穂乃香と相談しようと考えていた。それは雪花の両親にするとして、雪花にも何かしたい欲求が芽生えていた。
目に付いたのは、ほとんど空になった弁当箱。そっと、数少ないイチゴの入った弁当箱を雪花に差し出しだせば、ありがと、と雪花は笑いながら手掴みでイチゴを拾った。お礼にしては大したものではないが、それでも雪花を笑わせられたのなら今はそれでいいと思えた。




