天体観測から見える景色11
呆れるように夕貴が言う。
「どっちが最初なのかは知らない。知りたくないしね。今では二人が違う人と一緒に居る。今の人が何人目かなんてもう覚えてない」
淡々と語るその話の内容は衝撃的であるはずなのに、現実味のない話は作り話とか御伽噺と変わらなくて、何処か遠い所の話のように聞こえてくる。
それに加えて、両親の事だというのに、夕貴の関心のないような態度がまるで他人事のようだったから、何一つとして受け止められない。
当然のようにありそうな憤り感情も、失望も、嘲りもなくて。相談事のような話でありながら、夕貴自身が困っているようには聞こえなくて、助けを求めているわけでもなさそうで。ただ、ほんの少しの呆れと疲れだけがある。
「それだけならいいんだ。今更帰ってこられても揉めるだけだし。両親がいつ誰と不倫していても僕は興味ない。ただ、姉さんのことが気がかりなんだ」
夜空を見上げていた瞳がすっと足元に落ちる。
「昔から物静かな方だったけど、今では家から出ることも少なくて。一日中、部屋に籠ってる」
「……いつからなんだ?」
「姉さんが高校生になってから少しずつね。学校へは行くんだけど、遊びには行かなくて、徐々に外に出かけなくなった」
「親のことが、原因なのか?」
「それも少なからずあるとは思うけど、単純に疲れちゃったんじゃないかな。居ない親の代わりをしないといけないって。自分のこともあるのに、家のことも考えないといけなくい立場に立たされてたから、精神的に追い詰められてたのかも」
それでも、お姉さんは不満を漏らさなかった、と夕貴は呟く。
「それが原因かもしれないのに、僕は気付いてあげられなかった。今でも家事は欠かさずにしてくれる。毎日、何かに追われるように、ね」
そう言って夕貴は口を閉ざした。返す言葉が見つからない。簡単に受け止めてはいけない重い話。外からは普通に見えたとしても、各家庭の問題やトラブルは大きさは違えどそうなりあるのだろう。
でも、夕貴の家に生じた問題は、各自では対処できない程に複雑に絡まっているように感じる。姉は疲れ、両親は家に目を向けず、夕貴はまだ学生で、皆が違う方向へ歩き出している。それを誰も解こうとはしない。
「家が居心地悪くなって、よくここに逃げてきたんだ。毎日毎日この空を見て、〝壊れてくれないかなって〟」
投げやり気味に言って、夕貴は両足を宙に投げ出してプラプラさせていた。意識してではないとは思うが、重い話と幼稚な行動に一貫性がなくて、夕貴が何を考えているのかますますわからなくなる。
「何もかもが嫌になった時期があってね。隕石でも、地震でも、何でもいいから変化が起きないかって、思ってた」
「今も思ってるのか?」
「さすがに思ってないよ。そんな都合のいい奇跡は起きなるはずがないって知ったから。それでも、ここに来るのを止められなくて。何となく始めた天体観測は今でも続けてる」
そう言って夕貴は夜空を見上げた。夕貴の見つめる先を、俺も見めた。
単純に天体が好きなんだと思っていた。俺にはわからない魅力があるのだと、思い込んでいた。
夕貴が趣味として始めた切っ掛けは、俺の知るどれよりも酷いものだった。少し前までは、相手のことを知っていくたびに仲が深まっていくのだと思っていた。
そんな、簡単なことじゃなかった。
知るということは同時に、相手の抱えている物を受け止めるということなのだろう。聞いているだけでも、少し疲れた。出口の見えない、薄暗いトンネルの中を歩いているかのような気分になった。
どうしてそうなってしまったのか。
知っても意味の無いことを考えて、これからどうすればいいのかと、見えない未来を見ようとしている。顔を上げた先の夜空は依然として輝いているはずなのに、綺麗だと思えなくなっていた。
「俺に、出来ることはないのか?」
夕貴の背負っている物を少しでも減らすことが出来るならばと口を開いたのに、その声に力がない。思っていても、言葉にしても、俺に出来ることなんて何もないのだと、自分自身が一番わかっている。
夕貴の家族の関係を、抱えた問題を解消できるはずもなく、手助けだってきっとできない。むしろ、部外者が関わることで余計に迷惑が掛かるかもしれない。友人だというに、肝心な時に何もしてやれないことを知って、それが悔しくて、俯いた顔が上げらない。
「違うよ」
否定する言葉が隣から聞こえてくる。
「託に何かしてほしくて言ったんじゃないんだ。ただ、言いたくなっただけ。それだけ」
「このままでいいのか? 両親の……ことは難しいとしても、お姉さんは……何か、出来るんじゃないか?」
そう言って隣へ視線を向ければ、夕貴は嬉しそうに笑っていた。
「安心して。病院には行ってるし、少しは回復してるんだ。玄関までは出られるようになったし、これからなんだよ」
と、夕貴は言った。その顔を見て、俺は改めて夕貴という人を知った気分だった。
ひと一人が抱えられる苦悩を超えているはずなのに、誰にも気づかせない。隠せるレベルではないはずなのに、今も笑っている。心の強さとはこういうことなのかもしれない。
「そうか。助けはいらないんだな」
夕貴は何も求めていない。俺が言わなくても、助けなくても、夕貴は自分で考えて行動している。なら、俺に出来ることは一つだけなのかもしれない。
「もし、困ったことがあったら、いつでも言ってくれ。力になりたい」
「うん。頼りにしてる」
それからしばらくの間、俺と夕貴は黙って夜空を見続けた。月と星は相変わらずそこに居て、夜を照らしている。
俺は――夕貴の話を聞くことしか出来なかったけど、協力も助言も出来なかったけど、夕貴が抱えた物を知ることが出来た。それだけでも今日、この場所へ来て本当に良かったと思った。




