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ふれられないもの  作者: 柳
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天体観測から見える景色9

 

「託真くんは運動神経が良い。体育の成績も悪くないですよね」

「まあ、な」


 あまり思い出さないようにしていた過去の光景が、滝椿の言葉で甦ってくる。


 中学に進学し、部活動見学で一番心惹かれたのが柔道部だった。日頃から暇を見つけては体を鍛えていたから、部活動でより良く鍛えられるのだから丁度良いと思えた。


 そして何よりも、体格の小柄な人が大きい相手を投げる姿は圧巻だった。迷うことなく、入部届をその日に出した。


 筋が良かったのだろう。入部したての一年生だった俺は、しかし先輩相手でもいい勝負が出来た。顧問の教師にも良い評価をもらえていた。一年ではそこまで大きな大会には出られなかったが、夏の大会は期待している、とまで言われていた。そのせいで何人かの上級生には嫌われていたのだが。


 二年に進級し、本格的に大会に向けた稽古が始まった頃、両親が亡くなり、俺は柔道部を辞めた。退部届を顧問に提出した後、当時仲の良かった先輩は最後まで俺を部に引き止めてくれた。断る時は申し訳なくて、それでも嬉しかったのも事実だった。


「大会前に辞めてしまったので成績こそありませんが、今からでも間に合いますよ」


 滝椿の熱心さが、あの時の先輩の姿と被った。堪らず視線を足元に向けた。


「興味ないんだよ。成績とか賞状なんかは」


 断ることは決まっているのに、それ以上の言葉で突き放せないでいる。部活の日々を思い出してしまった。先輩の顔を思い浮かべてしまった。入れない理由ならある。部活よりも、今は穂乃香の傍にいなければならないのだから。


 なのに、先輩の言葉が耳から離れない。先輩は、俺が部活を辞めることを本当は残念に思っていたこと。本当は我慢していることを察してくれていた。だから、無理のない範囲でいいから、と言ってくれた。


「一度見学してみませんか? うちの柔道部もそこそこ強いらしいですよ」


 滝椿の言葉に今更ながら違和感を覚えた。俺は一言も〝柔道部だった〟とは言っていない。まあ、どこかで情報を掴んでいたのかもしれない。


「高橋先輩は、まだ託真くんを待っています」


 懐かしい名前に胸が高鳴った。当時良くしてくれた先輩の名前。まだ、柔道を続けていたのかと嬉しく思った。そして、一年そこそこの付き合いでしかない俺を待っていてくれている。確実に心が揺れ動くのを感じた。俺は――。


「薫さん」


 前を歩いていた夕貴が、会話に割って入るように滝椿を呼んだ。その声に引き寄せられるように、正面に顔を向ける。夕貴は――迷うことなく進んでいた足を止めて、冷ややかな視線で滝椿を見つめていた。


「あまり、託を苦しめるようなことは言わないでほしい」


 らしくない顔で、らしくないことを言う。周囲に興味がなく、自分にも興味もない。相手の言動や行動を気にしないのだから、諍いにもならない。だから、夕貴が怒っている場面に遭遇したことがなかった。相手に対し、これほどまで厳しく当たることがあるのだと、少し驚いた。


「すいません。少し強引でしたね」


 反省したように滝椿が頭を垂れる。


「託には託の考えがあるんだよ。薫さんもわかってるよね」

「そうですね」

「じゃあ、そういうことで。もう少しだから二人とも頑張ってね」


 労いの言葉を掛ける夕貴に、さっきまでの冷たさはなく、いつも通りの様子で、何事もなかったかのように平然としている。たぶん、夕貴は怒っていたのではないのだろう。けれど、滝椿はそう感じているらしく途端に大人しくなった。ただ最後に、もし興味があるならいつでも言ってください、と小声で言って俺の後ろを歩いた。


 それからは無言で歩き続け、最後の階段を上りきると平坦な場所にたどり着く。夕貴が足を止めたのを見て、ここが目的の場所だということを知った。


 まだ山頂まで続く道はあるらしいが、ここからでも十分に空が眺める、と夕貴が言っていた。休憩スポットといった感じの場所らしく、トイレや水汲み場もあるので、野宿でもいくらかは過ごしやすいだろう。


 とりあえず何処でもいいから一度腰を落ち着ける場を、と辺りを見渡してみれば、夕貴はまだ休ませてくれないらしい。雑草の上で持参したテント用具を並べている。


 バラして各自のリュックに入れて持ってきたので、俺の荷物も合わせなければテントは完成しない。もうひと踏ん張りだと言い聞かせ、夕貴の元へ足を向ける。


 テント作りに慣れている夕貴に指示されながら黙々と手を動かした。簡易テントを立ち上げて中を覗いてみると、ちょうど三人分のスペースがあった。そこに寝袋を敷いてようやく全ての工程が終わる。もう動けない、と寝袋の上に腰を下ろして間もなく、屋根付きの小さい休憩スペースから夕貴の呼ぶ声が聞こえてくる。ノロノロと夕貴の元へ。


 簡素な休憩所の天井には裸電球が一つだけ吊り下がっていた。かなり強い電球なのか、目に痛い光を放ちながら辺りを照らしている。まだ夏前だからか、寄ってくる羽虫が少なくて助かる。


 四人掛けの椅子に腰かけ、テーブルに並べられたパンを眺めた。どれも似たような調理パンが三種類、前もって用意していた計九つの今日の夕食。登山飯のような物を期待していたのだが、いつも山へ来る時はコンビニのパンかおにぎりだと夕貴は言う。ほんの少し残念ではあるものの文句はない。パンを齧りながら持参した水筒のお茶で喉を潤す。


 部活絡みの話で険悪そうな雰囲気になった夕貴と滝椿は、今では普通に会話を交わしている。互いに根に持つ方ではないのか、妙なわだかまりも見ている限りはなさそうで安心した。


 他愛のない雑談を交えながら夕食を食べ終えると、本格的に陽も暮れて夜になった。これからが本番になる。けれど腹が満たされれば目蓋が重くなり、申し訳なく思いながら二人に断りを入れて仮眠をとることにした。


 それから二時間後。携帯のアラームで目が覚める。窮屈な寝袋から上半身を脱ぐと、だいぶ身体が軽くなったのを感じる。もぞもぞと寝袋を脱いでいく途中、寝息をたてる滝椿の姿が隣にあった。気付かなかったが、俺が寝た後にでもテントにきたのだろう。


 微弱な携帯の灯りに照らされた滝椿の寝顔。首元から覗く薄地の青いパジャマと思わしき襟は、記憶している服装とは異なる。わざわざ着替えたのかと思っていれば、なんと枕まで持参していたらしい。睡眠に強い拘りがあるのかもしれない。学校では知りえない滝椿の人柄を垣間見た後、起こさないように注意しながらテントを出る。


 静かな夜。夜空に向けて両腕を伸ばし、固まった身体をほぐしがら視線を少し上へ向けてみる。星がよく見えた。それほど高い山ではないにしても、手が届きそうなほど近くに感じて月に手を伸ばしてみた。

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