「それでこそ、俺の知ってるリューネ・ヒュッケバインだ」
「降りろ」
ガタガタと揺れる馬車が止まると、鍵を掛けられてはいた馬車の扉が開く。
扉を開けた御者は低い声で言った。
「ヒュッケバイン伯爵家の長女、リューネ・クイント・ヒュッケバインに命令とは、無礼ではなくて?」
「お前はもう貴族じゃあない。良いから出ろ」
貴族ではない、と言われリューネの眉がつり上がる。
俺は慌ててリューネを説得する。
『ここで揉めるのも面倒だしさっさと出ようぜ。座りっぱなしで疲れたしよ』
「ふん……わかりましたわ」
不満ながらしぶしぶ、と言った様子でリューネが馬車を降りる。
リューネを縛っていた鎖には罪人を逃がさないための鉄球が繋がれており、馬車から降りる時に鉄球もゴトリと音を立てて馬車から落ちた。
『うわぁ、なんと言うか、聞いていた通りだけど……』
馬車から出たリューネが辺りを見回すと、それは視界に入って来た。
いや、視界を覆った、と言った方が正しいか。
『まるで監獄だね、リューネ』
急斜面の山間に建てられた、見上げる程に高い城壁。
城壁の上には見回りだろうか、槍と弓を持った兵士が二人組で歩いている。
この監獄のような建物へ続く門は鉄格子に重そうな扉によって閉ざされていた。
「コネルサリア北方領の街は山向こうの帝国に対して要塞化されていると聞きますわ」
『監獄化の間違いだろ』
俺にはそう見えるんだが。
「何をぶつぶつと喋っている」
少し苛立ったような御者の低い声。
「ふん。平民に話す理由がありまして?」
「チッ……ヒュッケバイン元伯爵令嬢だ。さっさとぶち込んでくれ」
小さく舌打ちすると御者は門の前で立っている兵士に話しかけた。
「この女があのヒュッケバイン家の……はは、確かに悪そうなな面だな」
リューネが伯爵令嬢のままだったなら兵士の首が飛んでいたであろう一言。
つい一週間前の出来事だと言うのにヒュッケバイン家没落の報はこんな辺境にまで知られているようだ。
「そう言う貴方は平民そうな凡庸な顔ですわね」
「けっ、言ってろ。後で後悔するのはお前だしな……城門を開けろぉっ!!」
兵士が大声を上げると、ゴゴゴゴゴ、と音を立てて城門が開いて行く。
「……」
『怖いのか?』
いくらリューネの性格が悪くともまだ十七の少女だ。そんなリューネが威圧され、怖く思うのも当然だ。もう二度と、外へは出れないかも知れないと思っているのだから。
「……わたくしはリューネ・クイント・ヒュッケバインですわ。恐れなど、ありませんわ」
リューネは歯を食いしばりながら一歩、また一歩と門の中へと歩く。
一歩進む度、ジャラ、と鎖が音を立てる。
『それでこそ、俺の知ってるリューネ・ヒュッケバインだ』
「ふん」
鎖の音を鳴らしながらリューネは、コネルサリアの街の門を潜った。
その先に広がっていたのは、
「「「1、2ッ!!」」」
かけ声と共に槍を素振りするたくさんの兵士達だった。
その一人一人が汗だくになりながらも鬼気迫る表情で手に持った槍を振るっている。
リューネはその様子に驚きを隠せないでいた。
いや、正確に言うなら圧倒されていたのだろう。
何百と言う兵士達が一心不乱に武器を振るう姿。それは、その人生を貴族の令嬢として生きていたリューネが見たことのない光景だった。
宝石や絵画のような王都の騎士のような煌びやかな美しさは無い。
だが、リューネにはこの泥にまみれたような姿の兵士達を見て、何故か小汚いとは思えなかった。
「……全体、止め!」
沢山の兵士の前に立っていた男が声を上げる。
その声を聞くと、兵士達はピタリと動きを止めて待機の姿勢となった。
「訓練止め、各自待機、走れ!!」
「「「応ッ」」」
男が放った短い言葉に、兵士達は声を張り上げ、その指示に従い、隊列を保ったまま走り出した。
『流石はグリーブ将軍、配下の兵士の練兵度は王国一だ』
「あの方が……って、貴方なぜグリーブ将軍を知っていますの?」
『コネルサリアの街にグリーブ将軍がいることはリューネも知ってたろ?』
「嗚呼、わたくしの記憶を……嫌な感覚ですわね、記憶を探られてると言うのは……!」
ため息をついたリューネだったが、件のグリーブ将軍がこちらに歩いてくるのを見て佇まいを直した。
「元ヒュッケバイン伯爵家、リューネ嬢で?」
壮年の男がリューネを見て確認するように尋ねて来た。
「ええ、わたくしがリューネ・クイント・ヒュッケバインですわ」
もはやヒュッケバイン家は取り潰されたと言うのに姓を名乗り己は貴族だ、と言い張るリューネに壮年の男グリーブ将軍は面白そうに笑った。
「これは失礼。俺、いや、私の名はグリーブ、騎士爵は持っておりませんので気軽にグリーブと呼んでください」
「わかりましたわグリーブ。……それで、わたくしはこれからどうなるのです?」
僅かに声が震える。
リューネは自分が罪人だとは認めていない。その権威は公爵家にさえ届くと言われたヒュッケバイン家の令嬢だからだ。何かの間違いだ……そう思っているが、現実にこんな辺鄙に追放されてしまっている。自分が認めようと認めまいが関係ない、どうしようもない状態にあるのだけは理解している。
どのような重い罰を受けなくてはならないのか……そう思うと震えるのは当然の事だった。
「ふむ……では、先ずはトイレ掃除をして貰いましょう」
「…………はい?」
◇
「なんでっ、わたくしがっ、このようなっ……まるで女中ですわっ!!」
悲痛な叫びとともにモップが床を濡らす。
洗剤が混じった水を含んだモップでトイレの床を撫でると、ろくすっぽ掃除などされていない兵舎のトイレはかつての輝きを取り戻すように綺麗になって行く。
『まぁまぁ、これも復讐の一歩だと思って──』
「こんな事でどうやってあの平民と陛下を見返すというんですの!?」
半泣きで喚くリューネ。がしかし、その掃除の手際は驚く程良く、特に便器周りは反射する程綺麗になっていた。
性格は悪いが何事もそつなくできる天才肌なリューネは、例えトイレ掃除と言えど完璧に出来てしまうのだ。
『【塵も積もれば山となる】小さな事も積み上げれば何れ大きな事になるって意味さ。大事を成すなら小事からだ』
「あら、面白い言葉ですわね」
『俺の国だとコトワザって言うんだ』
「コトワザ……なるほど、覚えましたわ」
グリーブ将軍から与えられた仕事はトイレ掃除だけでなく、武器の整備、厨房の手伝い等々……詰まるところ、雑用だった。
「まだ後二カ所もあるだなんて……地獄ですわ」
『今日はトイレ掃除だけで良いって言ってたし、残り二つ、頑張ろうぜリューネ』
「自分がやらないからと随時勝手な事を言ってくれますわね!」
汚れた洗剤水の入ったバケツを排水口にぶちまけ、近くの水道から水を掬い上げながらリューネは愚痴る。
既に洗浄技術がプロの域にまで達したとは言え、慣れないトイレ掃除をやらされているのだ。無理も無い。
それに何十と言う便器を洗浄し疲労も溜まっている。弱音を吐くのは仕方のない事だった。
『仕方ない。……ならあと二カ所は俺がやるよ』
俺として見れば、頑張っているリューネに免じて、と言った乗りで言った一言だったが、
「そうでしたわ……貴方、わたくしの身体を動かせましたわね…………あ、貴方が……貴方が最初からわたくしの代わりにやっていれば良かったんですの!!」
どうやらこの場面で言うべき事ではなかったみたいだ。