22. 本物の恋人
「——それで、昨日聞きそびれたんですけど、どうやってお見合いのことを知ったのか説明してくれますよね?」
翌朝、私は脱ぎ散らかした服を手にバスルームへ駆け込み、シャワーを浴びて身支度を済ませると、さっそく要さんに話を切り出した。
朝が弱いらしい要さんは眠気まなこである上に、声も掠れていて若干気怠げな様子だ。
そんな姿は朝から毒々しいくらいに色気たっぷりである。
思わずぼけっと見惚れそうになるのを振り切り、資料が散らかっていた場所を片付けてから、私は椅子に座って真面目な顔で要さんに視線を向けた。
「もちろん説明するよ。ただ、その前に1本だけ電話を入れていい? ちょっと事前に確認が必要なんだ」
よく分からないが話すために電話が必要というのならば否はない。
了承すると、要さんはスマホを手に取り、私の前でおもむろに電話をかけ始めた。
「もしもし花山です。坂田さん、朝早くにすみませんが、今少しだけいいですか?」
……坂田さんっていうと、取材の時に一緒に来ていた担当編集者の方だっけ?
私は要さんがJP航空に取材に訪れた際に顔を合わせた男性のことを思い出す。
穏やかな雰囲気で人当たりのいい感じの人だったように記憶している。
でもなぜその坂田さんに電話をする必要があるのだろうか。
私のお見合いの件とどうにも繋がらず、私は脳裏に疑問符を盛大に浮かべた。
「ああ、もう読んでくれたんですか? 昨日送ったばかりなのに。あ、ちょっと待ってください。電話したのは別件で———……」
電話中に私の方へ近づいてきた要さんは、そのまま話を続けながら、スマホを持っていない方の手でなぜか私の髪を弄り始めた。
一房掬ってもて遊び、次第に髪に飽きてきたのか、今度はターゲットを耳に変える。
するりと私の耳に指を這わせ始め、触れるか触れないか程度のタッチで戯れるように優しく撫でてきた。
「…………ッ!」
ゾクリとする感覚に思わず声を漏らしそうになって、私は慌てて手で口を塞ぐ。
……ちょっと! 電話中に何するんですか!
恨めしげに要さんを見やるも、一向にやめてくれない。
その指の動きが昨夜の情事を思い起こさせ、私の頬が赤らむ。
朝から変な気分になってくるし、電話の向こう側に声が聞こえてしまわないよう耐えなきゃいけないし、頭がおかしくなりそうだ。
「——承知しました。ではこれで。失礼します」
ようやく電話が終わりホッとしたのも束の間。
スマホをテーブルの上に置いた要さんは、素早く腰を屈めると、私の頬に手を添えて口づけを落とした。
しかも息する暇もないような、舌で口内を蹂躙する濃厚なキスだ。
「んぅ、ん」
唾液が絡むような水音と、私のくぐもった声が辺りに響く。
頭の芯がぼーっとしてきたところで、ようやく要さんの顔が離れた。
「あーー可愛い! なにその顔。必死に声を抑えてる亜湖ちゃんの姿もめちゃくちゃ可愛いかったけど、今のその顔もたまらない。ごめん亜湖ちゃん、話は後にしていい?」
「後? 今話すんじゃ———……」
「そんな可愛い表情で俺を煽った亜湖ちゃんが悪いから責任とってね? ほら、あっち行こう。それともここでがいい?」
そんな理不尽とも言える理由で、要さんは私を椅子からひょいと抱き上げる。
「好きだよ、亜湖ちゃん」
極め付けに、チョコレートにも負けないとびきり甘い低音ボイスで囁かれたら、もうお手上げだ。
私は朝から極上イケメンに思う存分貪られたのだった。
◇◇◇
「……メッセージのやりとりの時も思いましたけど、要さんって恋人には激甘なんですね」
ルームサービスを注文した私達は、着替えを済ませてテーブルで遅めの昼食を食べていた。
朝から予定外に乱された私の声はやや掠れ気味である。
それを誤魔化すようにオレンジジュースを喉に流し込み、私は昨日今日で心底実感した事実を思わず吐露した。
……本当に、昨日から要さんには翻弄されっぱなし。ギャップありすぎだってば! 心臓に悪い!
恋愛コンサルをしていた時とは全然違う。
あの頃は、私がビシバシと指摘し、どちらかと言うと私のペースに要さんを巻き込んでいた。
なのに、本物の恋人になった途端、コロッと立ち位置が逆転した感が否めない。
恋人となった要さんは思いのほか積極的かつ甘々で。
私は昨日からひたすらタジタジしている。
「これだけ恋人に対して甘々なのに、なんで過去の彼女さん達に振られてたのか今になって不思議になってきました。たとえ普段は女心に疎くても、女性は喜ぶと思うんですけど……」
すると要さんは予想外のことを言われたとばかりに目を丸くする。
「俺が激甘? そんなこと初めて言われた」
「どう考えても、激甘以外のなにものでもないんですけど」
「もしそう感じるなら、それは相手が亜湖ちゃんだからだよ」
「? どういうことですか?」
「亜湖ちゃんに対しては言葉でハッキリ好意を伝えるようにしてるから」
「なんでですか?」
そう訊ねたのは単純に疑問だったからだ。
私としては普通の会話の延長で、深く考えずに問いかけた。
だが、これが完全に墓穴だった。
「知りたい?」
「えっ? まぁ、はい」
この時になって、私はなんとなく嫌な予感を覚え始めた。
今までの経験上、要さんはとんでもないことをいきなりサラッと告げる時があるのだ。
そしてその予感は案の定だった。
「亜湖ちゃんって“好き”とか“可愛い”とか俺が言うと、めちゃくちゃ可愛い顔するんだよね。言葉で好意をストレートに伝えられるの弱いでしょ? いつものビシバシ言う感じが鳴りを潜めて、ちょっと困った表情するのがたまらないなぁと思って。それでもっと言いたくなってくるから、どんどん言動がエスカレートしてるのかも」
「………!!」
要さんが楽しそうな表情で紡いだ言葉に私は絶句した。
……イヤーっ! なんか色々バレてる!
昨日の時点で私が恥ずかしくて“好き”と言えないことは露呈していたが、言われるのにもタジタジしている現状が完全に把握されている。
だからこんなにやたらめったら甘い言動なのかと納得がいった。
「……女心に鈍いくせに、こういう時だけ鋭いなんてズルイです」
「本気で好きな女性が相手なら、俺でも鋭くなれるんだね。これも初めて知ったよ。それに一般的な女心はもうどうでもいいかな。俺が理解したいのは亜湖ちゃんの心だけだから」
……もう、本当ダメ! 甘すぎる……!
とろりとした蜂蜜の如く甘い言葉に、心をズキュンと撃ち抜かれ、私は胸に手を当てて思わずテーブルの上に突っ伏してしまった。
今や要さんは最強の殺し屋に化している。
「亜湖ちゃん? どうしたの?」
「……………」
「もしかして照れてる?」
「……………」
「あ、耳が赤くなってる。うっわ、可愛い。ちょうど昼食も食べ終わることだし、もう1回ベッド行く?」
その瞬間、私はガバリと体を起こした。
このまま要さんのペースに翻弄されていたら、心も体ももたない。
私は急速に頭を冷やし、スンと真顔になって要さんを見つめた。
「ところで要さん、電話も入れ終わったことですし、そろそろ改めて話をしましょう。昨日聞きそびれた件、説明してくれますよね?」
空気を切り替えるように、殊更ビシッとした口調で私は告げる。
要さんは小さく笑いながら「残念」と零すと、真面目な顔になって私に向き合った。
「もちろん。どうやって俺がお見合いを知ったかだったよね」
お見合いの場から飛び出してから、すでに24時間以上が経っている。
ここにきて、ようやく事情を聞くための話し合いが始まった。
そして、話し出した要さんの口から飛び出したのは、思いもよらぬ数々の驚きの事実だった。




