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17. 最悪なタイミング

読書タイムを再開してどれくらい時間が経っただろうか。


いつの間にかリビングは窓から差し込むオレンジ色の夕日に染められていた。


日中に比べて室内が薄暗く、このまま本に綴られた文字を追っていれば目が悪くなりそうだ。


要さんも同じように感じたのかスッと立ち上がると、おもむろにリビングの電気を付けた。


「もうすっかり夕方だね。集中して俺の小説を読んでくれてたみたいだけど、2冊目は読み終わった?」


「まだ途中です。ちょうど半分くらいですね」


「1冊目より読むペース遅い感じがするけど、もしかしてそっちはあんまりだった?」


「そんなことないですよ。ただ……たぶんちょっと集中力が切れちゃったんだと思います。ほら、私もともと読書習慣ないですし!」


本当は“集中力が切れた”というより、“集中できなかった”という方が正しい。


でもそれをなんとなく口にできなくて私は誤魔化すように微笑んだ。


「集中力といえば、そろそろお腹空いたよね?」


「確かにそうですね。お昼から何も食べてないし空いてきました」


「夜はうちで一緒に食べない? デリバリー頼もうかと思うんだけど。今日ほとんど話せてないから、亜湖ちゃんともう少し一緒にいられたら嬉しいなと思って」


正直、なんだか胸がずっとザワザワしていて変な感じがするため、今日はもうお暇しようかと考えていた。


 ……なのに、そんな風に言われると嫌とは言えないってば。


もう少し一緒にいたいだなんて、要さんの口から飛び出したとは思えない女心をくすぐる言葉だ。


結局私は要さんからの提案を了承し、もうしばらくここに滞在することになった。




「こうしてテーブルの上に並べるとなんだか豪華に見えるなぁ」


「これはどれから食べるか迷っちゃいますね」


デリバリーを注文してから数分後。


届いたフードとドリンクを私達はダイニングテーブルに並べた。


テーブルの上には、ピザ、お寿司、ハンバーガー、スイーツ、お酒と色々なものが乗っている。


これはデリバリーを注文するにあたり、「ちょっと贅沢に色々頼んで色々食べよう!」という話になったからである。


それぞれ別の店に好きなものをオーダーしたため、現在デリバリーパーティーのような有り様となっていた。


「じゃあさっそく食べようか」


「そうですね。いただきます」


私はまずコーラで喉を潤すと、次に熱々のピザを手に取った。


とろりと蕩けるチーズと塩味の効いた生ハムのコンビネーションが絶妙に美味しい。


 ……コーラとピザって悪魔の組み合わせだわぁ。たまに無性に体が欲するんだよね。


一方の要さんはハンバーガーから食べ始めているようだった。


「1人でデリバリー頼む時にはできない楽しみ方だね。色々食べられてお得な感じがする」


「たぶん全部は食べ切れないんで、余ったら要さんの明日の朝食か昼食にしてください」


「そうさせてもらうよ。そういえば俺、スイーツがデリバリーできるなんて初めて知ったよ。サイドメニューとしてなら見たことあったけど、専門店は知らなかった」


「確かに男性でスイーツ専門店にデリバリー注文する人は少ないかもしれませんね」


食事中は他愛のない会話が弾んだ。


ほぼ1日中黙って本を読んでいたからか、要さんと話すのが楽しかった。


その頃にはすっかり胸の違和感も消えて無くなり、いつも通りの私だった。



スイーツまで食べ終えて大満足すると、私達はリビングのソファーに再び移動して食後のお茶を楽しむ。


昼間に何杯もコーヒーを飲んだから、食後はハーブティーにすることになった。


要さんの家は飲み物の品揃えは豊富なようだ。


執筆中に飲み物は欠かせないそうで、息抜きや気分転換用として様々な種類をストックしてあるらしい。


私はマグカップに注がれた温かなハーブティーの香りを堪能し、ほっこりしながら一息つく。


ふと隣に座る要さんを見ると、マグカップから立ち昇る湯気で眼鏡を曇らせていた。


クリスマスマーケットでホットワインを飲んでいる時も同じようになっていたなと思い出し、小さく笑みが漏れる。


「ふふっ、要さん。また眼鏡が曇ってますよ」


「あ、やっぱり? ブルーライトカット加工はしてあるんだけど、曇り止め加工もしてもらった方がいいかな」


「そういえば今更ですけど、要さんって視力悪いんですか? それとも眼鏡は伊達ですか?」


「伊達じゃないよ。視力は0.6くらいかな。まぁ眼鏡がなくても一応見えるし日常生活に大きな支障はないんだけどね。これ試しに掛けてみる?」


「あ、試してみたいです! 私は両目とも視力1.0あるんで、なかなか眼鏡ってかける機会ないんですよね」


私がそう言うと要さんはマグカップをテーブルの上に置いた後、ダークカラーフレームの眼鏡を片手で外した。


眼鏡がなくなって現れたのは、各パーツが驚くほど精巧に整った顔面だ。


眼鏡がない分よりダイレクトに目に飛び込んでくる。


 ……ううっ、まぶしすぎる……!


以前はただただ感心するだけで、それほど要さんのイケメンぶりに動じなかった私なのだが、なんだか最近は心を乱されがちだ。


いちいち動揺している自分が情けなくなる。


そんなことを内心で自省しつつ、要さんから眼鏡を受け取ろうとした次の瞬間。


私の鼓動は大きく飛び跳ねた。


 ……えっ……!?


なんと要さんがテンプルを両手で支えながら、私の耳にそっと眼鏡を掛けてきたのだ。


思わぬことに驚いて、私は目を瞬き、眼鏡越しに要さんを見つめる。


テンプルに手を添えたままの要さんと、しばしお互いに見つめ合った。


「要さん……?」


沈黙に耐えかねて私がそう問いかけると、要さんはハッとしたように眼鏡から手を離した。


そして正面から私をじっと見つめて、ささやくようにつぶやく。


「……うん、亜湖ちゃんは眼鏡も似合うね」


向けられる視線がやけに熱っぽいのは気のせいだろうか。


それに顔が近い。


どうにも落ち着かず、ムズムズしてくる。


さらには、ふいにこちらへ向かって片手が伸びてきたかと思うと、要さんは私の顔にかかっていた髪を持ち上げてするりと私の耳にかけた。


「!?」


声にならない声が漏れる。


同時にものすごい速さで心臓が早鐘を打ち始めた。


 ……ちょっと要さん、どうしちゃったの!? 家デート設定で壊れちゃった!?


今日は度々ドキドキさせられる。


前回でスキンシップが解禁になったから、2人っきりというシチュエーションの家デートでさらなるステップアップを試みたのだろうか。


 ……落ち着け、私。私に求められているのはビシバシ指摘しつつ女心を解説すること。つまり、今すべきは……。


「すごいです、要さん。髪を耳にかけられたのはドキッとしました! 女性は不意打ちに弱いんです。今のは間違いなく女心をガッチリ掴めると思います!」


そう、褒めることだ。


私はうんうんと頷きながら、心の動揺を誤魔化すかのようにやや大袈裟に褒め言葉を口にした。


だが、せっかく褒めたのに要さんはなぜかあまり嬉しそうではない。


そこで私はさらに言葉を重ねる。


「それにしてもここ最近の成長ぶりはすごいですね。確実に女心を理解してきていると思います。思ったのと違ったなんてもう二度と女性から言われないはずです!」


「そうかな。……でも俺が想いを寄せる人には通じていなさそうなんだけど」


「えっ……」


要さんの口から飛び出した予想外の台詞に、私は思わず言葉に詰まってしまった。


今、要さんはなんと言っただろうか。


 ……想いを寄せる人、って言ったよね……?


そんな相手がいるなんて初耳だ。


今まで一度だってそんなことを要さんが口にしていた記憶はない。


ということは、ごく最近にできたのだろう。


だとすると、それは……


 ……もしかして、円香さん……?


たぶん間違いない。


さっき要さんは、年始に円香さんと偶然街中で会ったと言っていた。


最近好きになったのだから時系列的にもぴったり条件に合う。


それに今日の家デートでやたらとドキドキさせてきたのは、本命の円香さんを相手にする前に私で試したいと思ったからだろう。


きっと好きな人が出来たから、より一層恋愛コンサルに身が入り、できる限り多くの指摘をもらいたいと思ったゆえの行動に違いない。


 ……なるほど。なんか色々腑に落ちたかも。それにしても、円香さんかぁ。


円香さんは要さんのことを絶賛していたから、まず外見的にはなんの障害もない。


むしろ円香さん的には諸手を上げてウェルカムだろう。


問題は中身だが、きっと女心をマスターしつつある今の要さんなら問題ないと思う。


 ……となると、2人が結ばれる日は近いのかもなぁ。


それは非常に喜ばしいことだ。


要さんはそういう日のために私に恋愛コンサルを依頼してきたのだから。


なのに、なぜだろう。


ありえないほど胸が苦しくて、今にも張り裂けそうだ。


私の心が叫んでいる。


要さんと円香さんが恋人になるのは嫌だ、と。


 ……なにそれ。何考えてるのよ、私! それじゃまるで——……


『私が要さんに恋をしてるみたいだ』


浮かんできた事実に私は愕然とした。


いくら否定しようとも、それが紛れもない真実だと他でもない私自身が知っている。


最近無性にドキドキするのは、要さんに恋をしているから。


要さんの顔に思わず見惚れてしまうようになったのは、好きな人の顔だからこそより一層カッコよく見えるから。


円香さんの話を聞いて胸が騒めいたのは、好きな人の口から他の女性の話を聞きたくなかったから。


要さんへの恋心を認めれば、すべての辻褄が合う。


 ……ウソでしょ。今更自分の気持ちに気づくなんて……!


好きな人に好きな人ができたことが発覚したばかりなのだ。


最悪のタイミングと言っていい。


自分の気持ちを自覚した瞬間、失恋が決まったのだから。


 ……ダメだ。自覚した以上、これまでと同じように恋人ごっこなんてできない。


そんなことをすれば、どんどん気持ちが溢れていくに違いない。


要さんと会うこと自体控えた方がいい。


私はおもむろに掛けていた眼鏡を外すと、それを要さんに返す。


そして恋心を抱いていると自覚した相手に向かって、平然を装いながら口を開いた。


「要さん、この恋愛コンサルを引き受けるにあたって私が提示した条件を覚えていますか?」


「もちろん覚えてるよ。見返りとして亜湖ちゃんの望みを一つ叶える、だったよね? 突然どうしたの?」


「それを要さんにはそろそろ実行してもらいたいと思って。もともと女心を理解するための訓練の一環であり、卒業試験的な課題とお伝えしていましたよね?」


「……亜湖ちゃんの、言う通りだね」


「あれから約3ヶ月半が経ちますし、今の要さんなら問題ないはずです。とはいえ、すぐには難しいでしょうから、考える時間を取ってくださって大丈夫です。一旦恋愛コンサルはストップしますのでその間にじっくり検討して、答えが出た時にご連絡ください。……望みを一つ叶えてもらえるのを楽しみにしていますね!」


私は一方的に今後の予定を告げて、最後に笑顔で締め括った。


ちなみに恋愛コンサルは一旦ストップと言ったが、私はこのまま終わらせるつもりである。


望みを叶えてもらうために最低でもあと1回は顔を合わせる必要があるだろうけど、徐々に距離を置こうと考えていた。


たぶん要さんは遅かれ早かれ円香さんと結ばれるはずなので、要さんもそれを希望するはずだ。



こうして、恋心の自覚と同時に失恋という惨事に見舞われたお家デートは、私が要さんと距離を置くことを最後に決意して幕を閉じたのだった。


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