15. 好意の自覚(Side要)
……彼女に触れるな。
それが、目に飛び込んできた光景を前に真っ先に俺が思ったことである。
イルミネーションを眺めながら並木道を歩いている最中に、唐突にお手洗いに行くと宣言して消えてしまった亜湖ちゃん。
あまりに突然であり、しかも俺をその場に残していなくなったことに驚いたが、この寒さだし生理現象なら仕方ないかと納得した。
そしてしばらくしてから電話をすると、亜湖ちゃんはなぜかカフェにいるとのことだった。
その行動に不可解さを感じながらも、まぁカフェのお手洗いを借りたのかなと再び一応納得し、俺は元来た道を引き返した。
先程2人で歩いた道を1人で歩くと、不思議なことに同じ景色のはずなのになんだか違って見えた。
違いは景色だけではない。
俺を取り巻く環境にも変化が生じる。
「あの、お一人ですか? もし良かったら私と——……」
「彼女を待たせているので失礼します」
1人で歩いていると、自分に自信のありそうな華やかに着飾った女性に声を掛けられるのだ。
それを最後まで聞かずにすげなく断り、俺は目的地に向かって脇目も振らずにまっすぐ足を進める。
そうして到着したカフェの中に入ると早々、俺の視線は知らない男に腕を掴まれている亜湖ちゃんの姿に釘付けになった。
微笑みを浮かべる亜湖ちゃんを見て、一瞬だけ知り合いかとも思ったが、すぐにそうではないことは分かった。
亜湖ちゃんの表情はいわゆる“作った外面”であったし、男に向ける眼差しは酷く冷めていたからだ。
その様子から亜湖ちゃんにとって望ましい状況でないことは見て取れた。
すると、腕を振り払おうとする亜湖ちゃんに対して男がなにやら必死の形相で言い募った。
「————そんなあなただから僕は惹かれているんです! 僕は諦めません! 本気なんです!」
聞こえてきたのは最後の方の言葉だけだ。
でもそれだけでこの男が亜湖ちゃんを口説いているらしいことはハッキリ分かった。
その途端、俺は自分でも驚くほど無意識に体が動いていた。
亜湖ちゃんのことを恋人と呼び、男の腕を掴んで否応なく彼女から引き剥がす。
俺の登場が予想外だったのか呆気に取られた顔をする男を尻目に、俺は亜湖ちゃんの手を取った。
そしてそのままの勢いで彼女の手を引き、カフェから外へ飛び出した。
「要さん……! ちょっと歩くの早いです……!」
しばらくすると亜湖ちゃんが困ったように小さな抗議の声を上げ、繋いだ手を軽く引っ張った。
どうやら俺は無言のまま、歩くスピードにも配慮せずにズンズン進んでしまっていたらしい。
「……ああ、ごめん」
思わず立ち止まり、亜湖ちゃんの方を振り返る。
少し息を切らした様子の亜湖ちゃんは、失敗を見つかってしまった子供のように、バツの悪そうな顔をして上目遣いに俺を見た。
「その、助けて頂いてありがとうございました。この前もそうだったんですけど、あの人ちょっとしつこくて」
「この前? 知り合いだったの?」
「いえ、全然知り合いではないです。前にも道端で声を掛けられただけというか。今回は偶然の2度目です。しかもクリスマスってことで、なんか運命的な巡り合わせをあの人が勝手に感じちゃったみたいで。ほとほと参りました……」
亜湖ちゃんは、はぁぁと深いため息を零す。
その表情からあの男に対する好意の片鱗は一切窺えない。
そのことに俺は妙にホッとした。
「ああいう、突然男性から声を掛けられるのってよくあるの?」
「そうですね。そこそこあります。まぁ皆んな私の作り込んだ外面に引っかかってるだけですけど。でも今日はウンザリしすぎて思わず素が出ちゃいそうになりました」
……あんな男に素を公開する事態にならなくて本当に良かった。亜湖ちゃんの素を見ることができるのは俺だけがいい。
安堵に続き、今度はそんな想いが胸の中で渦巻いた。
あまりにも自然に沸き起こってきた自身の感情に俺は瞠目する。
今までに感じたことのない、仄暗さを秘めた感情だ。
それが“独占欲”と呼ばれるものであることには不思議とすぐに気がついた。
初めての経験だが、理屈じゃなく、俺の感覚がそう訴えかける。
……前から亜湖ちゃんは素でいる時の方が魅力的だとは思っていたけど、いつから俺だけに見せて欲しいなんて思うようになったんだ……?
たぶん気づかぬ間に、だろう。
きっと魅力的だと思っていた頃から無自覚に惹かれていた。
いや、もしかするとノートを拾った頃からかもしれない。
そしてそんな無意識の感情を強烈に自覚させられたのがまさに今だ。
亜湖ちゃんが俺以外の男といるのを見て焦燥感を感じ、男が彼女の腕に触れているのが堪らなく不快で、彼女の素の姿は俺だけが独り占めしたいと強く思った。
……自覚するのが遅すぎだ。女心に疎いだけでなく、自分の感情にも鈍すぎるな俺。
なんとも不甲斐ない。
「そろそろお腹も空いてきましたし、夜ゴハン食べに行きましょう。どこだったら予約なしで入れるかなぁ。クリスマスは和食が穴場って聞くし、クリスマスっぽくはないですけど、それでいいですか?」
息を整え、すっかり先程の出来事を終わったこととして処理したらしい亜湖ちゃんが話を切り替える。
俺はその問いかけに頷きつつも、さっきの男に1ミリも心を動かされていない様子の亜湖ちゃんに再び胸をなでおろした。
でも同時に思った。
今回はたまたま彼女の心に響かなかったようだが、次も同じだとは限らない、と。
……もしも亜湖ちゃんの心を掴むような相手が現れたとしたら……?
間違いなく今の俺とのこの関係には終止符が打たれるだろう。
彼氏もしくは想う相手ができた時に、亜湖ちゃんが他の男と恋人ごっこをする不義理を働くような女性とは思えない。
もう恋愛コンサルは引き受けられないと終了を通告されるはずだ。
その現実を今、俺は唐突に実感した。
……それは嫌だ。終わりが来るなんて考えたくもない。亜湖ちゃんを絶対に手放したくない。
その内なる想いが行動に現れたのだろう。
絶対に離さないと言わんばかりに、指を絡めて手を繋ぎ直す。
そして亜湖ちゃんの小さな手をギュッと握りしめた。
「ついにスキンシップ解禁ということですね? クリスマスに初めてってのはいいと思いますよ! 女心的にはキュンとくると思います」
そんな俺の衝動的な行動は、亜湖ちゃんに練習の一環だと解釈されたようだった。
恋愛コンサルモードに入った亜湖ちゃんは、俺の気持ちに気づくことなく、出来の良い生徒を褒めるが如く笑顔を浮かべる。
「あと、冬ならこういうのもおすすめですよ」
さらにそんな一言を告げて、亜湖ちゃんは繋いだ手を俺のコートのポケットに差し入れた。
その上、俺の方へ身を寄せて、ぴったりとくっつくように体を密着させてくる。
「どうですか? 寒くてもあったかくなるし、距離もぐっと縮まるから冬のデートで女心を掴めるはずです!」
いつも通りのテンションであくまで俺に女心を解説する亜湖ちゃんだが、一方の俺は平常心ではいられない。
気持ちを自覚して以降、今までなぜ気づかなかったのかと呆れ返るほどに亜湖ちゃんへの想いがとめどなく溢れ出す。
可愛くて、愛しくて、大事にしたくて。
……ヤバイ。思いっきり抱きしめてキスしたい。
身を焦がすような激しい衝動に、俺はその後亜湖ちゃんと解散するまで必死に耐え続けた。
◇◇◇
「——という感じで、とにかく亜湖ちゃんが可愛すぎてたまらないんだ」
「要の台詞とは思えねぇな。お前、某アニメ映画みたいに中身誰かと入れ替わったとか言わねぇよな?」
「もう、信吾ったらデリカシーないんだから! 要くんに奇跡的に好きな女の子ができたなんて喜ばしいことじゃない!」
クリスマスから数日。
新年を迎え、世の中はすっかり様変わりして今では正月のお祝いムード一色だ。
街には年末年始特有のゆるやかな空気が流れている。
実家に帰省したり、旅行に出掛けたり、初詣に行ったりする人々が多い中、俺は親友夫婦の自宅にて個人的な新年会を催していた。
親友夫婦とは長い付き合いになる。
夫である高遠信吾とは中学からの親友であるし、妻の楓は高校の同級生だ。
2人は高校の時に出会って交際に発展し、そのまま23歳でゴールイン。
結婚生活7年になる今も非常に仲の良い、俺にとって憧れの夫婦である。
この2人を見ていると、お互いを大切に想い合う関係性が心底羨ましく、いくら上手くいかなかろうと、俺もいつかはと願って恋愛を諦めようとは思えなかった。
そんな学生時代からの友人である2人は、もちろん俺のあれこれをすべて知っている。
長年女性と親しくするのを避けてきたことも、彼女ができても長続きせずに振られることも。
俺の苦悩を近くで見てきて、自分事のようにずっと心配してくれている2人だ。
だから気兼ねなく、俺はここ最近の出来事を打ち明けていた。
具体的には亜湖ちゃんのことを。
それに対する2人の反応が先の発言の通りだ。
「要くんが今まで付き合った子って、全員向こうから告白してきたんでしょ? しかも明らかに要くんの見た目に惹かれて。でも今回は全然違うよね! 話を聞く限りだと、むしろその亜湖ちゃんは要くんを異性としてはなんとも思ってなさそうだし!」
「要を前にして簡単に惚れない女もいるんだな。その子、相当変わり者なんじゃないか?」
「ていうか、恋愛コンサルとか、なに面白そうなことしてるわけ!? これってあれじゃない? 最近漫画でよく見る、偽装夫婦や偽装恋人をしてるうちに好きになっちゃって……的な!」
「確かに最近それ系の話多いよな。俺の美容院に来る若い女性客もなんかそれっぽいこと言ってたわ」
いつものことだが、2人は思い思いのことをそれぞれ話し出し、俺が言葉を挟む暇もない。
ひと通り話し尽くしたところで、信吾と楓はようやく視線を俺に向ける。
「それで要くんは、恋愛コンサルをお願いして恋人ごっこしていたら、亜湖ちゃんに惹かれちゃったってことだよね!?」
「漫画かよ。でも面白ぇことになったな」
「ね! 漫画みたい! それならセオリー通りに進めれば万事オッケーだよね! これでついに要くんにもホントの春がっ……!」
「セオリー? どういう意味?」
信吾が短めの顎髭を触りながらニヤリと、そして楓が興奮気味にはしゃぐ。
そんな2人のテンションに若干置いてけぼりにされていた俺は、理解が追いつかずに疑問を投げかけた。
すると楓が目をキランと輝かせて自信満々に言い放つ。
「このまま恋人ごっこを続けて、亜湖ちゃんを落としちゃえばいいのよ!」
つまり、今の関係を維持しつつ、異性として俺を意識させ好きになってもらえということらしい。
……言うは易く行うは難し、なんだけどな。
つい苦い笑いが顔に滲む。
「そうは言うけど、この約2ヶ月半ですら亜湖ちゃんは俺を恋愛対象としては意識してないからなぁ。前途多難そう」
「ま、要の言うことももっともだな。楓、なんかいい作戦でもあんのか?」
「あるわよ! ズバリ、相手に好意を匂わせるのよ! ひょっとして要くんって私のこと好きなのかも⁉︎ ってドキドキさせるの!」
楓曰く、脈がない女の子にいきなり好意を告白しても困らせる可能性が高いため、まずはそれとなく気持ちを伝えることが大事らしい。
それで手応えを感じた時にこそ、ちゃんと正式に直球で告白するのがベストだという。
俺はもし今亜湖ちゃんに好きだと言った場合どうなるかを想像してみた。
……確かに困らせるかもな。この前も男に迫られて「ほとほと参った」って嘆いていたし。
あんな表情を万が一俺に向けられたらと思うと背筋が冷たくなる。
俺は楓の意見を採用することにし、亜湖ちゃんとは焦らずゆっくり距離を詰めようと心に誓って、その日親友夫婦宅を後にした。
そしてその帰り道、俺は偶然にも“ある人”と出くわした。
その出来事が後に波乱を巻き起こすことになるとは、この時全く思ってもみなかった——。




