14.ローレライ
【夢メモ】
ローレライ
流れの速いライン川の難所にある岩、転じて船を転覆させるもの。反響による│やまびこ《エコー》が有名。転じて神話のエーコーから、不実な男への失恋で声だけになった乙女へ。「ニーベルンゲンの歌」のラインの乙女より転じ、水の精の嘆きの声へ。
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土曜日にメリーを尾行したレイは、メリーの変身のことについては触れず、主である伯爵家の嫡男についての質問を繰り返した。
「メリー、あなたはロア様の言う乙女ですか?」
この質問はメリーにとって、色々な意味で返答が難しかった。
「恋人、いいえ! 乙女、分からない。……あっち、湖、ジョフロア様、私抱きしめる、無理やり、キス、何度も、ずっと。私押す、水、逃げる。」
メリーの語彙が増えたのは、使用人仲間との井戸端でのお喋りの成果もあった。
「そう、ですか。恋人ではないけれど、ロア様が探している乙女ではあるということですね。はぁ~、なんと報告したものか……」
メリーの言わんとすることを理解したレイは、伯爵への報告に頭を悩ませた。
「レイ……私、髪、黒、ない。」
メリーは自分の金髪を掴みながら、窺うようにレイに言った。
「あぁ、なるほど。ロア様が探しているのは、金の髪になったメリーなのですね。つまりそれがメリーだとは気が付いていないと。……その色は自分で変えられるのですか?」
「いいえ。土曜、太陽、ある、髪、金、目、翠。」
「では土曜だけロア様を森から遠ざければ問題解決ですか。分かりました、ご協力ありがとうございました。……ところであなたは人魚なのに川で溺れたのですか?」
「!?」
レイが何も言わないので気付かれていないのかと思っていたメリーは虚を突かれた。
「足のヒレはそういうことでは? ……あぁ、なるほど。あの川での時は、髪は黒かったのでヒレはなかったのですね。しかし人魚だったのなら、歌を歌わせないためにした猿轡には意味がありませんでしたね。申し訳ありませんでした。」
「歌……」
「歌で川の船頭を魅了して、船を沈没させるローレライというお伽話があるんですよ。ただそちらは身投げして声だけになった乙女であって、人魚ではありませんしね。重ね重ねすいません。」
「身投げ……」
「えぇ。魅力的で男を誑かすということで裁判に掛けられたんです。本人は死を望めども、その美貌からまた死刑には処せられず、修道院への連行途中に川べりの岩から飛び降りて溺死したというお話ですよ。人魚ならば入水で溺れはしないでしょうね。」
(やたら私の入水説が出てたのはそのせいか! ……でも人魚なのに溺れた私。確かにあの時はヒレもエラもなかったけれども。その人だって、その岩が東尋坊みたいに高かったら、溺死じゃなくて落下死の可能性もでてくるよ。ん? 東尋坊って何だっけ? ……それにしてもその裁判酷くない? こういうの断罪っていうんじゃなかった? 誰が言ってたか忘れたけど……)
考え込むメリーにレイが宥めるように声を掛ける。
「メリーの記憶が戻らないのは幸いかもしれませんね。その乙女のような目にあっていたとしても、ここにいればもう辛いことは起きませんよ。」
メリーは記憶喪失を装っている罪悪感を感じながら、できるだけ儚く微笑んで見せた。
(それにしても初対面で猿轡かまされるほど警戒されてたのに、伯爵はよく私を城に連れてきてくれたよな~。……あとレイは人魚に対してリアクション薄過ぎだよね。)
「レイ、人魚、知る? 多い、いる? みんな、人魚、知る?」
あまりにもレイがメリーに動じないので、もしかしたら貴族の髪がカラフルなのと同じくらいに、人魚がいるのも普通のことなのかと考えたのだ。
「私は見たことがありませんし、本当にいるかどうかは分かりませんが、妖精や獣人と会ったという伝承は沢山あります。もちろん人魚も。それどころか時折、神が人にまぎれて現れることすらあるそうですよ。」
(あー、うちの駄女神な母親とかもそうだよね。)
「レイ……私、怖い、ない?」
伝承レベルの未知との遭遇をしたら普通は驚きや怯えを見せるものだ。
「メリーのことが怖いわけありません。慈しむべき存在ですよ。私が怖いのは……」
レイはいつもの微笑を消して、森の奥を窺うような目をした。
「そうですね……。いつか誰かに聞いてもらいたいとは思っていたんです。メリーのそれは秘密なんですよね? では私の秘密もメリーに話し、互いに他言しないことを誓い合いましょう。」
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私は昔、フォレ伯の三男でした。実家は裕福ではなく、父の従兄弟であるポワティエ伯エムリ様の温情で、彼の侍従に取り立ててもらいました。お仕えした年月、エムリ様は私を大切に扱ってくださいましたが、私は恩を仇で返してしまったのです。
それは狩りの際の出来事でした。伯の乗馬は卓越しており、臣下は次第に引き離されました。私はなんとか必死で追いすがりましたが、気が付くと月が昇り、私たちは二人きりでした。
占星術に長けたエムリ様は空を見上げて天啓を得ます。とある男の主君殺しとその後の繁栄の運命を私に告げました。
それは、私たちが火にあたるために馬を降りた時に始まりました。何かが木を踏み倒しながら急速に接近してきたのです。二人とも槍を手にしました。現れたのは泡を吹きながら突進する牝猪でした。私はエムリ様に木に登るよう促しましたが拒否されました。
エムリ様は向かってくる猪の肩を打ちましたが突き刺さらず、うつ伏せに倒れます。私は走り寄り、猪を打とうとしましたが槍が背の上を滑ってしまいました。そして私の槍の向かった先は、エムリ様の腹部でした。
槍を抜き、猪を倒してすぐにエムリ様に駆け寄りましたが、すでに魂はそこにありませんでした。私は錯乱し、死を願い、出奔しました。邪悪な運命を呪い、神の無慈悲を嘆き、延々とさまよい続けました。
どれほど時がたったのか分からない昼下り。湖で溺れる子供を目にした時、ろくに泳げなかったにも関わらず、私は水に飛び込んでいました。その時のご縁で私は、アンジェ家で雇っていただけることになったのです。
私は人殺しです。目の前で恩人の死を目の当たりにしました。ですから私は、目の前に人の死があることが怖いのです。逃げ出したいくらいに、死を消し去りたくなるくらいに。
ですからこの手ですくい上げた命は、メリー、あなたは掛け替えのない宝物なのです。
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(うわぁ、予想以上にハードな秘密が来た~。ぶっちゃけそれって人殺しというより事故というか過失致死というか。それでいえば真だってそうだけど、不可抗力だけど。……でも錯乱してても放置はいかんよね。すでに手遅れだったとしてもさ。それともお墓とか作らない文化なのかな?)
静かに水面を見つめるレイを横目で見ながら、恐らくメリーのリアクションを待っているであろうレイになんと声を掛けるかメリーは思案する。
(そういば天啓とか言った? てことはそのご主人様は自分がそこで死ぬって分かってて木に登らなかった? そうなると、それはもう不可抗力っていえるのかも……。裁判もいい加減ぽいし、手前で情状酌量しても構わない?)
メリーはレイの顔を下から覗き込むようにして声を掛ける。
「レイ、少し、悪い。沢山、悪くない。レイ、人、助ける、偉い。死、怖い、みんな。……怖い、時、ぎゅー、する。」
メリーは隣に座り込んでいるレイを抱きしめて背中をさすってやった。それはまるで母親が子供にするような仕草であった。見た目の年齢はレイがメリーの倍であっても。
「メリー……」
レイは涙声でメリーの名を呼んだ。
「エムリ様、ΝεΡΦζΗ(お墓)、うー、土、埋める、場所。行く、ごめんなさい、する。」
続けたメリーの言葉に、レイはビクリとする。
「埋める……墓か。おそらくあの後……夜が明けてからはぐれていた臣下が亡骸を見つけて……墓所に埋葬したことと思いますが……。今更どの面下げてエムリ様のご子息の前に出られるのか……」
メリーはレイの背中をトンと一つ手のひらで叩く。
「ごめんなさい、ありがとう、言う、すぐ。言う、ない、明日、すぐ、言う。早く、言う。……レイ、言う、怖い、メリー、一緒、行く。」
レイは長いため息をついて顔を上げ、メリーの翠の瞳をジッと見つめた。
「メリーのおっしゃる通りですね。……その時には付いてきてくれますか?」
「はい! メリー、横、いる、見る。メリー、頑張る、ない。レイ、頑張る!」
メリーがそう言うと、レイは噴き出した。
「そう、ですね。頑張るのは私です。……ですが、記憶もなく言葉も通じないのに、いつも元気なメリーが横にいて笑っていてくれれば、私も勇気が出せそうな気がします。」
レイがいつもよりも明るい笑顔でメリーを見つめた。
「以前より決まっていた来客の予定が済んだら、休みをいただけないかフルク様に頼んでみましょう。……では、今日の話は二人だけの秘密ですよ。」
そう言って城に戻ろうと立ち上がり、数歩歩いたレイが後ろを振り返って見たものは、ちょうどメリーがするりと水の中に消える瞬間だった。
「……本当に人魚なんですね。」
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【夢メモ】
「Lore Lay」
ブレンターノ(~1842)の小説(Godwi oder Das steinerne Bild der Mutter)内の詩。ライン川のほとりに住む美しい娘の話。
超意訳「私は呪われている。私の魅了の瞳を見つめた男は皆破滅するから。恋人は裏切り、背を向け去った。私はもう誰も愛していない。死なせて、あの人はもういないのだから。」
2022.10.12 初稿
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