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四十九、嘘、真

四十九


 反して、まどかの右腕は一向に動かなかった。一日、二日……一週間も動かないとなれば、流石にまどかにも焦りが浮かんだ。


「皇子さま、申し訳ありません……」

「べつに。俺は普段となんら変わらん」


 とは言いながらも、まどかはもう一週間もくりにたてずにいる。その間の食事は正盛が作っているが、これがなかなか美味いときたから、まどかは立場がなかった。


「まどか。気にするな。あの騒ぎで命があっただけましだ」

「正盛さん……」


 よもや、あの騒ぎで式神を使い、それが原因で腕が動かないとは言えなかった。正盛には、まどかの素性は明かしていない。もちろんまどかの右腕の真相も。


「馴れ馴れしくするな」

「皇子さまはヤキモチですか?」

「正盛、そなたはもうさがれ」


 万事こんな調子であるから、康仁も気が休まらない。正盛の真意が分からないのだ。

 正盛はまどかを嫁にしたいと言ってみたり、康仁の気持ちをおちょくってみたり。まるで掴みどころがない。


「それはそうと、今日は晴明がある場所に連れていくと言っていたな」

「あ。皇子さまも御一緒ですか?」

「晴明がいない間に九十九神が現れるかもしれんしな」


 そうは言うものの、本心は違う。ただただまどかが心配で、だから康仁はまどかたちについて行くことにしたのだ。






 連れられたのはとある滝だ。


「まどかどの。滝行をして、右腕の感覚を取り戻しましょう」

「滝行……?」

「はい。滝に打たれることで、体と精神の結び付きを感じ取るのです」


 なるほど、まどかの右腕が動かないのは確かに精神的なものが強い。あの時、強く式神とシンクロした精神は、まどかの右腕までをも奪った。

 心と体が一致していない状態の今、晴明の手立ては的をいている。


「寒いかもしれませんが。まどかさん、頑張ってください」


 黒雲が後押しする。

 かくして、まどかは恐る恐る滝のしたへと歩いていく。

 冷たい水が足に触れると、自然と心は静まった。

 滝の真下に来ると、余計に心は凪いだ。

 ザーザーとまどかを打ち付ける水の音。まどかはそっと目を閉じる。


「……」


 瞑想に近い。周りの音も景色も遮断して、まどかは目を瞑る。

 最初に浮かんだのは家族の顔だ。次は思い出。苦しかったことと楽しかったことが交互に押し寄せ、やがて消えた。

 最後に浮かんだのは晴明や黒雲、そして康仁の姿である。


「……っ!?」


 煩悩を払わなければ瞑想は意味をなさない。

 ハッと目を開けたまどかの右腕は、康仁の手に掴まれている。


「もしオマエの手がこのまま動かなかったら」


 康仁の衣が濡れている。髪も体も。


「皇子さま……濡れてしまいます」


 あと一歩でなにかを掴めそうだった。いや、そうではない。煩悩はきっと、最後まで振り払えなかったに違いない。

 もしも全てを薙ぎ払えたのならば、康仁に掴まれても気づくことなく、瞑想に耽っていたに違いない。


「もしこのままだったら、俺がオマエの面倒を見てやる」

「皇子さま……?」


 なにを言いたいのかいまいち分からない。


「鈍いやつだ。オマエを娶ると言っている」


 それが本心か嘘かはさておいても、まどかは腹立たしくて仕方がなかった。

 平安において側室や正室が珍しくない制度だとはいえ、そんな風に扱われることが心底悔しく、


「馬鹿にしないでくださいっ!」


 康仁にとっての自分という存在が、その程度だと思うと、腸が煮えくり返る思いだった。

 掴まれた右腕を思い切り振り払う。その勢いに、康仁はよろめく。しかし、顔は笑っていた。


「なんだ、動くじゃないか」

「……え?」


 振り払われた手を擦りながら、康仁はまどかを笑った。

 まどかは右腕を動かす。先程まで全く感じなかった感覚が、しっかりと戻ってきていた。


「皇子さま……今のはわざとですか……?」

「さあな。さて、時間を無駄にしたくない。帰るぞ、晴明」


 果たしてそれが、康仁の本音だったのか、あるいはまどかを奮起させるための戯言だったのか。まどかはその真意を聞くことが出来なかった。

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