三十五、まどかの動揺と梅肉和え
三十五
別室に移動して、まどかはふっとため息をついた。
傍らで、黒雲が申し訳なさそうにまどかを見ている。
「黒雲さんは、知っていたんですか」
「知っていた、とは?」
「皇子さまがイザナギの生まれ変わりだということです」
わずかばかり、黒雲の表情が強ばる。普段ならば、あるいは付き合い始めた最初の頃ならば見落としていたであろうそれも、まどかにはすぐに気づかれてしまう。
黒雲は慌てて表情を取り繕うも、言葉はそうしなかった。
「はい。知っていました」
「ならなんで、黙っていたんですか」
「まだ時期尚早だと……晴明さまが口止めされました」
やはり、あの様子だと晴明も知っていたようだ。それが、騙し討ちのようでまどかは少しだけ腹が立った。立ったのだが。
「皇子さまは、大丈夫でしょうか」
「大丈夫です。あのかたはお強いかたなので」
まるで分かっているような黒雲の言いかたに、まどかは胸のつかえを感じた。しかしそれは一瞬で、まどかは黒雲に向き直り、笑った。
「皇子さまが私を嫌うのは、前世からの因縁なのでしょうね」
「それは……」
黒雲が表情を曇らせた。今はなにを言っても無駄だと思った。
前世からの因縁は確かに存在する。しかし、まどかと康仁のそれは、嫌悪や侮蔑といった類のものではない。
もっと深く、根本的な部分――魂で繋がった、えにしだ。
「そのうちまどかさんにもわかります」
「黒雲さん……?」
黒雲の心のうちなど、まどかには分からない。分からないのだが、この話はここで終わりにした。でければ、胸がちぎれてしまいそうだった。
せっかく晴明と黒雲を呼んだのだからと、康仁はまどかにとびきりのご馳走を作らせた。
まどかは、大豆ミートで唐揚げを作り、だし巻き玉子には枝豆とひじきを入れた。鶏肉は酒蒸しにして、梅干しを叩いて甘酒を加えて梅肉和えにした。
梅雨のジメジメした季節には、梅はもってこいだ。あるいは、今日のように沈む心の日には、梅の酸っぱさでシャキッとしたいところである。
平安では梅干しは薬の役割もある。医者要らずと言われるほど、その効能は高い。
「梅をこんな風に使うなんて……」
「オマエにはいつも驚かされる」
黒雲はただただ感心し、康仁は嫌味混じりにも聞こえる感嘆の声をあげた。
「梅に含まれるクエン酸には、疲労回復効果があります。クエン酸は、クエン酸回路を回すのに必要な栄養素で、クエン酸回路が回らないと糖質が代謝されません。糖質が代謝されなければエネルギーは生まれず――」
「やめろやめろ。飯が不味くなる」
気持ちの整理がつかない時は、料理のことを考えるに限る。無意識にまどかは口数を増やして、康仁との気まずさに対応しようとしたようだ。
「オマエの言うことは半分以上分からん。だが」
意識しているのはまどかだけだ。康仁はもうすっかり元通りになっていて、まどかはそれが少しだけ悔しかった。
「オマエの話は分からんが、飯がうまいことだけは確かだな」
否。
いつも通りなんかじゃない。
穏やかな表情も声音も、まどかが知っている康仁とは程遠い。
康仁の心の変化がなにゆえなのか、まどかには皆目検討がつかなかった。




