三十、まどかに弟子入り志願者が現れます
三十
「たのもう!」
その声が聞こえたのは、康仁が夕餉を食べ終わるかといった頃合いである。
「あっ、勝手にあがられては」
「そなた、何奴!」
家臣たちの制止などまるで無意味に、ずかずかと康仁の部屋まで歩いてきたのは、とある男である。
職人気質という言葉がぴったりな、きびきびした男だった。
康仁が警戒するも、康仁を目の前にして、男は恭しくこうべを垂れた。
「皇子さま。俺は正盛というもの」
「正盛……?」
「はい。天皇陛下の料理番をしておりました」
まどかは康仁をそっと見やる。案の定、顔を歪ませ男――正盛を忌々しそうに見ている。
しかし、正盛は康仁そっちのけで、康仁の許可なくたちあがると、おもむろにまどかの前まで歩く。そしてまどかの手を握ると、
「まどか、弟子にしてくれ!」
「……は? 私?」
「おい待て。コイツは俺の料理番だ。勝手は許さん」
まどかの手を握る正盛の手を振りほどいて、康仁は不機嫌を露に言う。
しかし正盛はなんら臆することなく、にぱっと笑った。
「皇子さまに話しているのではありません。俺はまどかに願い出たのです」
「だから、コイツは俺の料理番……」
「天皇陛下のご下命です。まどかの料理の腕を盗め」
正盛は食えない男だとまどかは思った。天皇陛下の命令ならば、勅命の文書なり、あるいはそれなりの手はずを踏んでここに来ればいいものを。
「はっ。そんなはったり、俺にきくとでも?」
「信じないなら構いませんが。まどか、それで返事は?」
「え、私?」
ちらりと康仁を見やるも、ふるふると顔を横に振られてしまう。
正盛の正体は確かに不明瞭だ。天皇陛下の命だと嘘をつき、康仁のくりに入り込んで暗殺を目論んでいるやもしれない。
「信じられないか?」
「あ、えーと。そうですね。一応私は皇子さまのお命をお守りしなければなりませんし」
「ふぅん」
正盛がまどかを見てうなる。どこか納得したようにうなずくと、懐から紙を一枚、取り出した。
「皇子さま宛です」
渡された紙をくるくると開き、康仁は中身を読む。
まどかも康仁とともにそれを読むが、達筆すぎてよく読めない。読めないのだが、その文字だけはわかった。
「天皇陛下からの勅命書だな。なぜ先に出さなかった」
「いやあ。まどかの覚悟を見たかった」
「は?」
怒りを露にしたのは康仁のほうである。
「コイツが俺を裏切るか確かめたかったのか?」
「裏切るだなんて。料理番として皇子さまを守れないようだったら、そもそも弟子入りなんかする気もないし」
正盛がまどかを見る。先程までのへらりとした雰囲気はなく、どこか恐怖すら感じ取れる。
「皇子さまを守れないようなら、俺が自ずから手を下してますよ」
ガッと康仁が正盛の胸ぐらを掴んだ。 怒気を含んだ康仁に、気圧されたのはまどかである。
なにがなんだかわからない。正盛もそうだが、なぜ康仁が怒りに飲まれているのか、まどかにはわからない。
「お、皇子さま、天皇陛下の使いのかたに手をあげるのは……」
「オマエはあんな言いかたをされて頭にこないのか!?」
「や……それは……」
本当なら、まどかだって頭に来ていないわけではない。ではなぜ、まどかが冷静のかといえば、
「皇子さまが代わりに怒ってしまわれたので、私は冷静にならざるを得ないといいますか」
正直なところを話せば、ぱちりと康仁は目を丸くした。
そして我に返ったのか、正盛の胸ぐらから手を離して、こほん、咳払いをした。
「弟子はならん」
「ですが、天皇陛下のご下命で」
「そなたが罰を受けるだけだ。俺には関係ない」
「ひどいですね。そうか、そうかぁ。俺は罰を受けるのか」
ちら、ちら、と正盛はまどかのほうに視線を寄越す。
それがあまりにもあからさまで、康仁はますます機嫌が悪くなる。
「お、皇子さま、私は弟子が出来ても構いませんし」
「は? オマエ、なに言って……」
「だ、だって。天皇陛下の命に背いたら、皇子さまにも罰が及ぶかもしれないでしょう?」
「……オマエは本当に……」
康仁ははぁっと頭を抱えてため息をつく。
おろおろするまどかに、へらりとした正盛。
しかして、折れたのは康仁である。
「俺の料理を作るのはあくまでオマエだ。その条件で、正盛とやら。そなたを弟子として迎えよう」
「そうこなくちゃ。皇子さま、まどか。これからよろしく頼むな?」
かくして、新たな料理人がひとり、加わった。
つかみどころのない、天皇陛下直々の使いである正盛が、まどかの弟子として康仁の御殿に居座ることとなる。




