とある将軍夫妻の帰還 9(完)
「セラフィナ、そちらはどうだ」
よく通る声に遠くから呼びかけられて、セラフィナは花を飾る手を止めた。
見れば珍しく箒を手にした将軍閣下が青空の下に佇んでいて、なんだか似合わないその取り合わせに笑みが零れてしまう。
「もう少しですから、待っていてください!」
花を抱えたまま声を張り上げると、遠くでも大きく見える姿が手を上げたのが判った。急がなくていいという合図に対して、それでもセラフィナはペースを上げる事にする。
今日のアイゼンフート夫妻は揃って黒い衣装を身に纏っていた。アルーディアからの旅路では墓参り用のドレスなど持っているはずもなく、この屋敷に保管されていた先代公爵夫妻のものを借りたのだ。
恐縮しつつ腕を通した黒いドレスは、まるでセラフィナに合わせて設えたようにぴったりだった。ランドルフもまた寸分の余りもなく、黒のフロックを堂々と着こなしている。
二人が合流したとき、花の入ったバケツはちょうど空になったところだった。
ランドルフは既に箒を片付けてきたようで、細い手にぶら下げた鉄製のバケツを引き取ってくれる。
「ありがとうございます」
「こちらこそ。この数だからな、大変だったろう」
後ろを振り返って見渡してみると、それはなかなかに壮観な光景であった。きっちりと等間隔で並んだ墓の一つ一つに、今しがた手向けたばかりの花が揺れている。
このアイゼンフート家の墓地は、丘の上にそびえ立つ屋敷の少し下に存在する。見晴らしが良く清々しい場所だ。
先祖代々の家人が眠るこの地には相当数の墓標が存在するのだが、今回はその全てに花を手向け、綺麗に掃除をする事になった。
「いいえ。私がやらせて欲しいとお願いしたのですから」
何せランドルフが生死の狭間で見た夢によれば、彼が一命を取り留めたのはハイルング人の血を受け継いだご先祖様のお陰だったのだという。
セラフィナは花を手向けていく中で、相当に古い墓石を発見した。もう名前すら読み取れなくなっていたそれらの内に、かつて悲しい別れを経験したという当時の当主のものがあったのだろうか。
「有難いことだが、もう少し寝ていてくれても良かったんだがな。本当に体は大丈夫なのか?」
からかいの色が一切ない真剣な瞳を向けられて、セラフィナは頬を真っ赤に染め上げた。途端に昨夜の記憶が蘇りそうになったので、ほとんど反射的に返事をすることで誤魔化そうとする。
「大丈夫です! ぜんぜん、まったく大丈夫です!」
「本当だろうな。何だか顔が赤いんじゃないのか? やっぱり木陰で休むか」
ランドルフの口ぶりはやはりどこまでも真摯だった。今日は昼になってようやく目が覚めるなり平謝りをされたのだが、どうやら未だに気にしているようだ。
「へ、平気ですっ! もし顔が赤いのであれば、それはこの話題のせいです!」
セラフィナ自身知らなかった事なのだが、どうやら自分は心を許した人相手ならちょっとだけ嫌味を言うことができるらしい。
とは言っても、その剣幕は頭すら撫でさせてくれそうな程に可愛らしいものだったのだけれど。
「さあ、早く参りましょう!」
「ああ、わかったわかった、私が悪かった。ならば行こうか」
苦笑を浮かべたランドルフは、先立って目的の場所へと歩き出した。セラフィナもその後に続いたのだが、それは思ったよりもすぐ近くにあった。
ランドルフが足を止めた先に、同じ色の石で設えられた二つの墓標がある。先代の候爵夫妻の眠る場所である事は一目見て理解できた。
「略式だが、代表で先代に祈りを捧げよう」
「はい」
ランドルフは片膝を、セラフィナは両膝をついて、二人同時に目を閉じる。
それはとても静かな時間だった。鳥の囀りだけが聞こえる闇の中で長い沈黙を過ごす。目を開けるとやはりランドルフは先に祈りを終えていて、優しい瞳でじっと待ってくれていた。
「お前のことを紹介したんだ。きっとさぞ喜んでいるだろう」
「はい。だとしたら、嬉しいです」
それ以上の言葉は必要なかった。お互いにここに眠る人に伝えるべき事は解っていて、口に出して確認したいとも思わなかった。
ランドルフが先に立って手を差し伸べてくる。
その大きな手の平に白く細い手が重ねられたのはすぐのことだった。以前のような躊躇いはいつのまにか随分と小さくなっていて、そんな自分に少しばかり驚く。
瞬きをしている間に優しく腕を引かれて、セラフィナはふわりと立ち上がっていた。
「行こう。皆が待っている」
「はい、帰りましょう」
二人は微笑みあって歩き出した。繋いだ手は離さないまま、ゆっくりとした歩調で帰宅への旅路を辿ってゆく。
その後ろ姿を見守るのは鳥だけか、それとも。
この時、セラフィナが知らない祈りが一つだけあった。
ーーこの大切な女性を、一生をかけて守り抜きます。ですからどうか見守っていて下さい。
心の内での誓いは、文字通り一生をかけて果たされることになるのだが。
それは長い長い、未来のお話。
これにて妖精と黒獅子の物語は本当におしまいです。
長い間お付き合いくださいました皆様に心より御礼申し上げます。
他に番外編を思いついた場合は別タイトルでの投稿となりますのでご承知おきくださいませ。
それでは、また拙作にてお会いできますように。