第十二階層:ご注意!暗殺者の気配に五里霧中
ドワーフの親方に弟子入りを申し込んで断られたシーフタカシ、食材を手に入れてウハウハのジフ、村人に女の子に間違われまくってプンプン魔法使いセイン、ヒーラーと聞きつけて人々が集まってきたが、たいした魔法が使えなくてガッカリされて傷ついたヒーラーのフィン。彼らは仲良し4人組チーム「ぐだふわ」。
村の救世主メイア姫と共に、最後の旅に出る。
リュディアの奇跡から数日が経過した。
激戦の傷跡もすっかり癒え、ガタがきていた牛車もドワーフの親方の手によって完璧に修理された。
リュディアの村人たちに盛大に見送られ、ぐだふわ一行は再び道を進み始める。目指すは目的地、ナウリカ王家。
「なぁ、エルマ。本当に……本当に一緒に行かないのか?」
タカシが名残惜しそうに、隣を歩くハーフエルフの美女へ視線を送った。
「ええ。あんたたちとの珍道中は退屈しなかったけれど、私には私の目的があるから。用事が終わって、もしあんたたちがまだ野垂れ死なずに冒険を続けていたら……その時はまた仲間に入れてもらおうかしら。もっとも、エルフの時間感覚だと何年後になるか分からないけれどね」
「ふむ、エルフの単位は『年』単位じゃからのう。首を長くして待つとしようぞ」村では案の定、女の子と間違われまくってへそを曲げていたが、今はどこか達観した表情を見せているセイン。
「そうそう、そうやって落ち込むなよタカシ。お前、年上のお姉さん大好きだもんな」
フィンがニヤニヤしながらからかうと、タカシは顔を真っ赤にして飛び上がった。
「べ、別にお姉さんだから引き止めてるわけじゃないぞ! 俺はメイア姫への忠誠一筋なんだからな!」
「あら、まあ……左様でしたの? 存じ上げず申し訳ありませんわ。でもタカシ様、恋は自由ですのよ?」
メイア姫の天然な返しに、一行の間にドッと笑いが起きた。
「これ、道中のお弁当。昼になったら食べて」
ジフが、特製の具材を詰め込んだ包みをエルマに手渡す。
「わざわざありがとう。……またね、ぐだふわさんたち。達者でやりなさいよ」
エルマは軽やかに馬に跨ると、颯爽と草原の向こうへ去っていった。
「さて……これでまた、いつもの顔ぶれに戻ったね」
「ええ、行きましょう。ナウリカへ」
すっかり住み慣れたリュディアの景色が遠ざかっていく。一行は決意も新たに、次なる目的地、ナウリカ王国への旅路に就いた。
ナウリカへと続く街道は、リュディア周辺の明るい雰囲気とは一変し、深い霧に包まれ始めていた。
「……なぁ、なんか変じゃないか?」
タカシが短剣の柄に手をかけ、周囲を警戒する。
「霧のせいだけじゃない。誰かに見られてるような……嫌な視線を感じるぞ」
平和な復興の余韻を切り裂くように、新たな影が彼らに忍び寄ろうとしていた。
道中、セインがメイア姫に自慢げにある特技を披露していた。
「いいですか、よく見ていてくださいよ」
セインが白く細い手を姫の前にかざす。すると、五本の指先にそれぞれ異なる色の魔力が収束し、火・水・風・土・光の五元素が小さな光の球となって現れた。
「まあ! 五つの元素を同時に操られるなんて!」
姫が驚きに目を見開いた直後、セインの顔からスッと血の気が引いた。案の定、一瞬で魔力が底をついたのだ。
「ゼェ、ゼェ……。ど、どうですかな。これがワシの秘技『ファイブ・エレメント・フィンガー』ですじゃ……はぁ、はぁ……」
「おいじいさん、無駄に魔力を使うなって! 敵に襲われたらどうするんだよ」
フィンが呆れながらマジックポーションを差し出そうとする。
「はぁ、はぁ……い、いや、ポーションはいらん。これくらい……すぐに回復してみせるわい」
強がるセインだったが、その姿はどこからどう見ても疲れ果てていた。
「それにしても、素晴らしい技術ですわ。ナウリカの大魔導師様でさえ、二つ以上の元素を同時に御するのは見たことがありませんもの」
「へへ、こいつ知識だけは一丁前なんですよ。中身はただの魔法オタクですから」
牛車の外を歩くタカシが、ニヤニヤしながら揶揄った。
「『宝の持ち腐れ』ならぬ『知識の持ち腐れ』……。新しい格言になりそう」
単角牛のメイを引くジフも、淡々と追い打ちをかける。
「お前ら……覚えておれよ……」
そんな賑やかなやり取りを続けているうちに、一行はとうとうナウリカ王国領、その最初の村へと辿り着いた。
最終目的地である王都までは、もう目と鼻の先だった。
村に入った瞬間、それまでの和やかな空気が一変した。
立ち込める深い霧の向こう側から、誰かが自分たちを品定めするような、冷たく鋭い視線が突き刺さる。
「……ん?今のは気のせいか?」
タカシがなんとなく、視線を感じた。
その視線もすぐに消え、探知できなくなった。
「うーん、なんだろ。まぁ、この牛車は目立つしなぁ」
ナウリカ王国への入り口で、彼らを待ち受けているのは歓迎か、それとも――。
道中、メイア姫には深いスカーフを被ってもらい、その素顔を隠してもらっていた。
ナウリカ王国の現状では、いまだに暗殺犯の正体も目的も不明なままだ。姫が無事であることが敵に知られれば、再び命を狙われるのは目に見えていた。
しかし、慎ましくスカーフを纏った姫の姿もまた、ぐだふわ一行をメロメロにさせるには十分すぎた。
「……なんか、いいよなぁ。これはこれで」
「うむ、ヘッドスカーフ姿も実にお洒落じゃのう」
「隠しきれない清麗さが溢れ出している……」
タカシとセイン、そしてジフまでもが、うっとりと姫を見つめて溜息をつく。
「いや、逆に見惚れるやつが出て目立っちゃってないか? 対策を考えないとなぁ」
フィンだけが現実的な懸念を口にし、一同は改めて頭を悩ませた。
「とりあえず、まずは今夜の宿を探さなくっちゃ」
「そうじゃな。手っ取り早くヒーラー教会にでも行くか?」
セインの提案に、タカシは村の地図を広げながら首を振った。
「いや、今はとにかく人目のつかない場所がいい。……よし、ここだ! ここをキャンプ地とする!」
タカシが指差したのは、村の中心部から大きく外れた境界付近にある森林公園だった。
可能な限り人との接触を避け、隠密を保ったままナウリカ王国の王城を目指す。
ぐだふわ一行の、慎重かつ奇妙な潜伏行が幕を開けた。
そこは、季節外れの静寂に包まれた森林公園だった。キャンプサイトには人影がなく、ぐだふわ一行の貸し切り状態となっていた。
「ビンゴ! これなら誰にも怪しまれずに済むぜ」
タカシが周囲をぐるりと見渡して満足げに言ったが、フィンは少し不安そうに首を振った。
「でも、逆に言えば何かあっても助けを呼びに行けないってことだよ」
「大丈夫だって。街の方から敵が来たら森へ逃げればいいし、逆なら街の方へ駆け込めばいい。そこはほら、俺たちでなんとかしようぜ。今までだって、なんだかんだ死線を切り抜けてきただろ?」
タカシが楽観的に笑うと、セインが小さな胸を張って追随した。
「そうじゃ、そうじゃ。この旅ももうすぐ終わり。最後くらい派手にぶちかましてやるわい」
「ま、何も起きないのが一番なんだけどね」
ジフが穏やかに、しかし手際よく焚き火の準備をしながら付け加えた。
「皆様、頼りにしておりますわ」
メイア姫が優しく微笑み、チーム最後となる賑やかな野営が始まった。
今夜は旅の締めくくりということで、ジフが腕によりをかけて特製のシチューを作った。焚き火の爆ぜる音と共に、肉と野菜の旨味が溶け出した芳醇な香りが辺りに漂う。
見上げれば、雲ひとつない空に月が凛と輝いていた。これも月の女神の思し召しだろうか。タカシが手際よく組んだキャンプファイヤーが、夜の冷気を心地よく溶かしていく。
「……なんかさ、これで最後と思うと、ちょっとしょんぼりしちゃうな」
シチューを口に運びながら、タカシがぽつりと零した。いつもの軽薄な調子はなく、その声には隠しきれない寂しさが混じっている。
「始まりがあれば、終わりはあるからね。でも、最後まで気を引き締めていこうよ」
フィンが珍しくリーダーらしい真剣な面持ちで皆を見渡した。
「そうじゃな。リーダーの言う通り、最後まで気を張っていくとしよう」
セインが頷くと、ジフが静かに立ち上がり、あの「音叉の剣」を掲げた。
「よし! みんなで結束しよう!」
「おいおい、ジフ。お前、その剣まだ持ってたのかよ」
タカシが呆れ顔で突っ込むが、ジフは真面目な顔で剣を見つめた。
「これは、俺たちの勇気の象徴だから」
「ふむ……武器ではなく『音叉』というところが、いかにもワシららしくて良いではないか」
セインの言葉に、一同の顔に自然と笑みがこぼれた。
「よし、えいえいおー!」
フィンの掛け声に合わせ、姫様を含めた全員が音叉の剣の前に手を重ねた。
「「えいえいおー!!」」
夜の森に、彼らの決意の声が響く。気持ちを新たに結束した一行だったが、その背後の深い霧の中から、彼らをじっと見つめる「音なき殺意」が忍び寄っていることに、まだ誰も気づいていなかった。
最後の晩餐を終え、焚き火を囲んで談笑していたその時だった。
フェリスが突如、後ろの方を見て唸りを上げる。
音もなく、三つの不気味な影がゆらりと近づいてきた。
その場を支配した異様な殺気に、チームの面々は即座に跳ね起きた。
「――お命、頂戴」
冷徹な声と共に現れたのは、三人のアサシン。だが次の瞬間、彼らの姿は形を失い、どろりとした紫色の霧へと変じて襲いかかってきた。
瞬く間に視界は毒々しい霧に覆われ、一寸先も見えない。
「なんだこの霧、おかしいぞ! どっちを向いても真っ白で、方向感覚が狂わされる……っ!」
最良だと思ったはずの解放的なキャンプ地が、皮肉にも彼らを閉じ込める天然の牢獄と化していた。
「やばい、はぐれるな! 姫様を守れ!」
タカシが叫ぶ。
「殺気が全方向から反響してやがる……どこに敵がいるのかさっぱり分からん! とにかく牛車に逃げ込むんだ!」
ジフがメイア姫を力強く抱え込み、その巨体を盾にして全方位からの殺気を遮る。フィンは震える手で杖を掲げ、全員に「じんわり」とした、しかし必死の防御バフをかけ続けた。
だが、数歩先も見えない濃霧の中では、目指すべき牛車の位置すらおぼつかない。
感覚を頼りに必死に足を動かすが、まるで出口のない迷路に迷い込んだかのように、同じ場所をグルグルと回っている不気味な感覚が一行を支配していった。
霧の深淵から、死神の囁きのような鋭い風切り音が響く。音もなく、無数の投げナイフと毒の吹き矢が四方八方から降り注いだ。
「危ない、姫様……っ!」
その瞬間、身を挺して飛び込んだフェリスがナイフの餌食となり、光の粒子となって霧の中に消えた。
「フェリス!」「嘘だろ、フェリスが……!」
仲間たちの悲鳴が上がる中、タカシが必死の形相で道具袋を漁った。
「スライム・バルーン!」
展開された特殊な魔道具が、粘着質の膜となって周囲に大きく膨らむ。飛来する凶器を次々と絡め取るが、止まない攻撃にバルーンはみるみる萎んでいく。
「フェリスは契約魔獣だ、後で召喚し直せる! 悲しむのは後だ! それよりこれじゃ長く持たない、何か手を考えなきゃ!!」
「霧相手にどうやって戦えばいいんだよ! 姿すら見えないのに!」
フィンの悲鳴に近い声が、閉ざされた霧の中に空虚に響く。
焦燥と死の予感がチームを包み込もうとしたその時、タカシの瞳に、ジフが握りしめる「音叉の剣」の鈍い輝きが飛び込んできた。
「……音叉だ! 音響振動だよ! 強く振動させれば、霧を水滴に変えて消せるはずだ!」
「なるほど、道理じゃな! ジフ、頼んだぞ!」
セインの檄に応え、ジフが渾身の力で音叉の剣を振るった。
「おおおおおっ!!」
キィィィィン――! と鋭い共鳴音が響き渡る。確かに剣が通った箇所の霧は水滴となって地面に落ち、一瞬だけ視界が開けた。だが、広大な霧の軍勢に対しては、それはあまりに無力だった。すぐにまた、紫の帳が彼らを飲み込んでいく。
「全然ダメだ……っ! ゴホッ、ゴホゴホ!」
「霧を吸うな! この霧自体が奴らの武器……毒霧だ!」フィンの言うように、霧にも毒性が混じっていた。
視界を奪われ、肺を焼かれ、逃げ場を失ったぐだふわ一行。
最強の暗殺者を前に、彼らはかつてない絶望の淵へと立たされていた。
絶体絶命の窮地、紫の毒霧がじわじわと一行の命を削っていく。激しい咳き込みの中、セインの脳裏には、かつて師から「実現不可能」と一蹴された禁忌の魔術式が浮かんでいた。
それは、光すら届かぬ深淵を呼び出し、あらゆる存在を飲み込む究極の闇。魔術師たちが一生をかけて追い求める、魔法の終着点。
「手はある……! だが、この術式はわしの魔力では到底……」
「マジックポーションをありったけ飲めば、なんとかならないか!?」
タカシが必死に松明を振り回し、視界を遮る霧を追い払いながら叫んだ。
「それだけでは足りぬ! わしの魔力回路そのものが焼き切れるほどの膨大な出力が必要なのじゃ……!」
「僕の魔力も全部使ってくれ!」
フィンがセインの肩に手を置き、自らの乏しい魔力を必死に注ぎ込もうとする。
「お前……気持ちは嬉しいが、それでは焼け石に水じゃ!」
「……これをお使いください」
絶望が支配しようとしたその時、メイア姫が胸元から一つ、王家の紋章のペンダントを差し出した。その中には、星の欠片のように輝く一滴の液体が封じ込められていた。
「このネックレスには、神の一滴とされる『エリクサー』が入っています。これで、なんとかなりませんか?」
「エ、エリクサーだと……!? 神の血とも謳われる、伝説の……」
セインとフィンの目が、驚愕で大きく見開かれた。
「ナウリカの王族には、一生に一度、自らの命を救うためのエリクサーが授けられます。これならば、今の状況を打破できるはずですわ」
「伝説だろうが神の血だろうが、今はどうでもいい! 早く、早くなんとかしてくれ!!」
タカシの悲鳴が響く。松明の火は毒霧に押されて小さくなり、ジフの音叉の剣も、霧の圧力に共鳴を弱めていた。
無情にも二人の肌を投げナイフが掠め、毒の吹き矢が次々と深々と突き刺さる。
「解毒! 中和!」
フィンが必死に魔法を重ねがけするが、毒の回りは早く、二人の体力は目に見えて削られていった。フィンの魔力も、もはや底を突こうとしている。
覚悟を決めたセインは、震える手でペンダントの栓を抜いた。
「……やむを得ん。このワシの体に神の血は耐えられるかどうか……今はこれしかあるまい!」
セインはエリクサーを一気に煽った。
その瞬間、華奢な体から、凄まじいまでの魔力の奔流が噴き出した。
エリクサーの神滴がセインの喉を焼きながら通り抜けた瞬間、彼の華奢な体から噴出した魔力は、夜の森を白銀に染め上げるほどの奔流となった。
「『ファイブ・エレメント・フィンガー』……!」
セインの声が、幾重にも重なる残響を伴って響く。指先に灯った五大元素は、エリクサーの底知れぬ魔力を得て、かつてない密度で輝き出した。五つの光球はゆっくりと、しかし確実に回転を始める。回転速度はみるみるうちに増していき、やがて視認不可能なほどの光の輪へと変貌した。
「な、なんだ……あのガキは……!」
異変を察知したアサシンたちの攻撃が止まる。霧の向こう側で、彼らが恐怖に身を竦ませる気配が伝わってきた。
中心に集束していく元素たちは、眩い光を放ちながら一点へと凝縮されていく。だが、その光はやがて飽和点を迎え、一転して周囲の光をすべて喰らい尽くす「虚無」へと塗り潰されていった。一ミリほどの極小サイズまで圧縮されたその一点には、もはや光はなく、ただ漆黒の深淵――「天」が生まれていた。
「ぐ、ううぅ……ッ!」
制御しきれない強大な魔力の負荷に、セインの肌が裂け、血管が浮き上がる。ボロボロになりながらも、彼はその深淵を指先に留め置いていた。
「究極魔法……『冥府神の深淵』!!」
「行けぇぇ、セイン!!」
「打ち出せぇぇーー!!!」
タカシとジフ、そしてフィンが、崩れ落ちそうなセインの背中を全力で支え、その一撃に全ての想いを乗せて押し出す。
放たれた漆黒の粒は、紫の霧が最も濃い中心部へと吸い込まれるように飛んでいった。
次の瞬間、世界が音を失った。
凄まじい吸引力が発生し、毒霧が、木々が、そして実体を暴かれたアサシンたちの恐怖に歪んだ絶叫までもが、無慈悲に黒い粒の中へと飲み込まれていく。抵抗する術など、この世のどこにも存在しなかった。
やがて、すべての霧を喰らい尽くした暗黒の粒は、空間そのものを一気に歪ませ――そして、静かに爆ぜた。
爆風が収まった後、そこには毒々しい紫の帳など欠片も残っていなかった。
ただ、静まり返った森と、彼らを祝福するように降り注ぐ澄んだ月明かりだけが、再びそこに戻っていた。
アサシンたちの消失と共に、張り詰めていた糸が切れたように、メンバー全員がその場に崩れ落ちた。格上のプロを相手に、文字通り命を削りきって掴み取った勝利だった。
しかし、その勝利の代償はあまりに過酷なものだった。タカシとジフの体内にはアサシンの毒が回り、刻一刻と生気を蝕んでいる。深い切り傷からは鮮血が止めどなく溢れ、地面を赤く染めていた。
究極魔法の依代となったセインもまた、エリクサーの凄まじい奔流に身の内側から焼き切られ、指一本動かせぬままボロ雑巾のように力なく横たわっている。
「……死なせない……絶対、死なせない……っ!」
フィンは自らの限界をとうに超え、枯れ果てた魔力を振り絞って治癒魔法を唱え続けた。震える手で仲間の命を繋ぎ止めようとするが、視界は白く霞み、意識の糸が今にもぷつりと断ち切られそうなほどに追い詰められていた。
静寂が戻った森に、彼らの微かな呼吸音だけが響く。彼らの命の灯火は、今にも消え入りそうなほどに細くなっていた。
「皆様……本当に、ありがとうございました。今度は、私の番ですわ」
満身創痍の仲間たちを見つめ、メイア姫が震える手で銀細工の箱を開いた。中から取り出されたのは、神秘的な光を湛えた「月の宝珠」だった。
姫がそれを掲げると、宝珠は重力から解き放たれたようにふわりと宙に浮き上がる。
「月女神ルナリス……。月を護る勇者たちに、母なる抱擁を。『月華久遠の聖域』!!」
姫の祈りに応えるように、巨大な銀色の魔法陣が夜の森に出現した。草原を、森林を、そして傷ついた仲間たちの存在すべてを包み込む。
宝珠から溢れ出した慈愛に満ちた光が、雨のようにメンバーの体に注がれていく。毒は浄化され、深い傷口はみるみるうちに塞がり、失われた生命力が急速に補填されていった。
その神々しいまでの銀の光柱は、夜の帳を切り裂き、はるか遠くナウリカ王国の王都からもはっきりと観測できた。
「……見よ、あの天を衝く光を! まさしく月の魔力、姫様の祈りの輝きだ!」
「急げ! あの場所へ向かうぞ! 一兵たりとも遅れるな!」
王宮の物見櫓から事態を察知した王国騎士団が、主を求めて一斉に動き出す。その数は数百。重厚な鎧の擦れる音と、大地を揺らす馬蹄の響きが、静まり返った夜の街道に広がっていく。
一方で、森の影に潜んでいた暗殺者たちの残党は、その光の奔流に完全に気圧されていた。
「……バカな、あのアサシンたちが全滅したというのか」
「クソッ、騎士団が来る! この光の中では隠れることもできん!」
月の魔法陣が放つ絶対的な浄化の光は、闇に生きる彼らにとっては何よりも恐ろしい拒絶の証。増援として動こうとしていた影たちは、迫りくる騎士団の圧倒的な軍勢と、視界を焼き尽くす銀の輝きを前に、もはや一歩も動くことができず、蜘蛛の子を散らすように闇の奥へと逃げ去っていった。
やがて、戦場の静寂を破り、無数の馬蹄の音がすぐ近くまで迫る。
「こちらだ! 誰か倒れているぞ!」
「松明を掲げろ! ……これは、もしや、メイア姫様か!?」
駆けつけた騎士たちが目にしたのは、神聖な月の光に守られるようにして深い眠りについた、ボロボロになりながらもどこか穏やかな表情を浮かべた「ぐだふわ」一行の姿だった。そして、その中心で、力尽きゆく仲間たちを慈しむように、静かに、しかし誇り高く見守る姫の姿を。
彼らの意識が完全に途切れる寸前、耳に届いたのは、自分たちを呼ぶ力強い騎士たちの喚声。
それは、長い戦いの終わりと、ようやく訪れた本物の安息を告げる福音だった。
それから三日間。
彼らは泥のように眠り続けた。正確には「泥のように眠り、野獣のように食い、そして再び綿毛のように眠る」の繰り返しである。
命懸けの激闘、張り詰め続けていた緊張、そして何より「姫を無事に送り届けた」という巨大な安堵感。それらが一気に押し寄せ、彼らの気力はいい塩梅に抜けきっていた。
ふかふかのベッドの上で、四人は文字通り腑抜けた時間を満喫する。
「……これこそ、真の『ぐだふわ』流ってやつだよ」
タカシが高級な羽毛枕に深く顔を埋めたまま、幸せそうにもごもごと言った。
「そうそう。こうやってグダグダして、心をふわふわさせて……。魂の洗濯が終わるまでは、次の冒険なんてとても行けないよ……」
隣のベッドに横たわるフィンも、力なく、しかし至福の表情で同意する。
「……でもさ、姫様、大丈夫かな。ここ数日、顔を合わせてないけど」
タカシがふと思い出したように呟くと、セインが天井を仰ぎながら鼻を鳴らした。
「ふむ、向こうには向こうの立場というものがあるからの。こうしてワシらが心置きなくグダグダしていられることこそが、姫様が無事に守られた何よりの証拠じゃろうて」
「そうだね。今は甘えさせてもらおうよ。こんなふかふかのベッド、いつ以来だろう」
フィンの言葉に、ジフが「ああ」と深く頷いた。
「俺の大きな体でも、足がはみ出さないベッドなんて生まれて初めてだ……」
いつもは宿屋の狭い寝床で窮屈そうに縮こまって寝ているジフが、今夜は王族仕様の巨大なベッドで悠々と大の字になっている。
その、あまりに「らしくない」贅沢な寝相に、仲間たちの間から自然と温かな笑い声が漏れた。
メイア姫の命を狙っていた黒幕は、あろうことかナウリカ王国の左大臣だった。
彼はアウリウスの邪悪な魔力に当てられ、金銭と権力への欲望を増幅させられていたのだ。それが今回の連続暗殺未遂の真相だった。
余談だが、セインが放った究極魔法の衝撃は、アサシンが持っていた通信魔道具を通じて術者へと逆流。王宮にいた左大臣の懐で受信機が派手に爆発したことで、言い逃れのできない証拠となり御用となったらしい。命に別条はないものの、彼を待っているのは極刑に近い厳しい裁きだろう。
騒動が丸く収まり、いよいよ「月影の儀式」が執り行われることになった。
王国側が用意してくれた最高級の正装に、四人は着替える。
「うわ……正装なんて、卒業式以来だよ。肩が凝るなぁ」
タカシが慣れないタイをいじりながらぼやく。
「僕だって、ローブ以外でこんなカッチリした服は初めてだよ。どう着るのが正解かわからないし……」
フィンも鏡の前で格闘している。
「俺……サイズが合わない。人間用の最大サイズでも、胸のあたりがピッチピチだ」
ジフに至っては、少し深呼吸をしただけでボタンが弾け飛ばんばかりの勢いだ。
「ところで、セインは?」
タカシが周囲を見渡すと、隣の部屋のドアから、今にも泣き出しそうな顔をしたセインがひょっこりと顔を覗かせていた。
「おい、どうしたんだよ。さっさと出てこいよ」
「……いや、その……ワシの服、明らかにおかしいのじゃが……」
しぶしぶ姿を現したセインを見て、三人は一瞬絶句し、直後に爆笑の渦に包まれた。
そこにいたのは、最高級のブルーのシルクとレースに彩られた、非の打ち所がない「深窓の令嬢」姿のセインだった。
「ブハハハハ!! 完全に女物じゃないか! 完璧すぎて違和感がねぇ!」
「似合う似合う! 似合いすぎてて腹が痛い! ワハハハ!」
タカシとフィンが腹を抱えて転げ回る。
「笑い事ではないわい! 全身スースーして落ち着かんし、何よりこの裾! 踏んで転びそうじゃ!」
顔を真っ赤にして憤慨するセインだったが、ジフだけは首を傾げて不思議そうに呟いた。
「……でもセイン、文句言いながらも髪飾りまでちゃんと付けてるんだな。案外、気に入ってるのか?」
「違うわい!! 侍女たちが『動くな』と囲んできて、無理やり付けられたんじゃ!!」
ドレスの裾を振り乱して怒る美少年(見た目は美少女)と、それを囲んで笑い転げる仲間たち。
ナウリカ王国の豪華な客室に、ようやく、いつもの「ぐだふわ」な空気が戻ってきた。
ついに、「月影の儀式」が幕を開けた。
ナウリカ城の広大な中央ホールは、厳かな静寂と無数のキャンドルの光に包まれ、重厚な歴史の重みを漂わせていた。
「ぐだふわ」の四人は、救世主として用意された最前列の特等席に座り、メイア姫の姿をじっと見つめていた。あの絶望的なアサシンとの戦い以来、ようやく叶った再会。
公の場に相応しい、目も眩むほど豪華なドレスを纏った姫は、言葉を失うほどに美しく、気高く、そしてどこまでも特別だった。
やがて、姫の清らかな歌声がホール全体に響き渡る。
その完璧な旋律に参列者たちがうっとりと聴き入る中、なぜか四人の脳裏には、あのボロボロだった「月の神殿」での光景が鮮明に浮かび上がっていた。
「……なぁ。姫様、めちゃくちゃ素敵なんだけどさ。正直、あっちの方が良かったよな」
タカシが、隣のセインにだけ聞こえるような小さな声でボソリと零した。
「……む。奇遇じゃな、ワシも同じことを考えておった。あの時は、我々だけの特別なステージじゃったからな」
セインもまた、窮屈なドレスの裾をいじりながら、遠い目をして頷いた。
「……また見たいな。あの神殿での、手作りの演奏会」
ジフがポツリと、心の底から惜しむように呟く。
「無茶なこと言うなよ。ここは王城なんだからさ……。まぁ、僕も全く同じ意見だけどね」
リーダーのフィンも苦笑いしながら、そっと目元を拭った。
埃っぽくて、柱は崩れかけていて、楽器の調律だって最初はめちゃくちゃだった。それでも、あの場所には間違いなく「自分たちだけの奇跡」があった。
今、目の前で歌うメイア姫は、一国の象徴としての輝きに満ちている。その神々しさに比例するように、彼女の存在が少しずつ、自分たちの手の届かない遠い場所へ行ってしまうような……そんな切なさが胸を締め付ける。
人生で二度とは起こらないであろう、あの泥臭くて輝かしい日々。
四人はそれぞれの胸の内に、姫様と共に駆け抜けた「特別すぎる時間」を、静かに、そして深く噛み締めていた。
厳かな玉座の間。重厚な扉が開かれ、ぐだふわ一行はナウリカ国王との謁見に臨んでいた。
彼らの前には、山と積まれた金貨の袋、魔力を帯びた業物の武具、そして眩い輝きを放つ希少な魔石が並べられている。
「面を上げよ、異邦の勇士たちよ。貴公らが起こした数々の奇跡、この耳に届いておる。暗黒の呪いに沈んだ村を救い、我が愛娘メイアを窮地から救い出したその武勇……真に天晴れである。これなるは、王家が示し得る最大限の謝礼なり。遠慮なく受け取るが良い」
王の威厳に満ちた声が響き渡る。タカシは場違いな豪華さに圧倒され、借りてきた猫のようにモジモジと頭を下げた。
「いやぁ、その……。あ、ありがとうございます」
普段の軽薄さはどこへやら、タカシの返事はお世辞にも騎士らしいとは言えない。しかし、リーダーであるフィンだけは、聖職者としての矜持を持って王の視線を真っ直ぐに受け止めた。
「陛下、過分なるお言葉、恐悦至極に存じます。……しかし、これほどまでの褒美は、我らには過ぎたるもの。我らはただ、女神の導きに従い、この地へ辿り着いたに過ぎません。すべての奇跡は、メイア姫様の清き祈りがあってこそ成し遂げられたもの。我らが頂いた思い出こそが、何よりの報酬にございます」
フィンが静かに告げると、一行は揃ってメイア姫へと視線を向けた。
そこには、込み上げる涙を必死に堪え、彼らとの別れを予感して唇を噛みしめる姫の姿があった。
王は深く頷き、一段と声を張り上げた。
「左様か。無欲にして高潔な魂、ますます気に入った。……ならば、余から一つ提案がある。貴公ら、我が娘メイアの『王家公認・近衛騎士』となってはくれぬか?」
唐突な申し出に、ホールが静まり返る。
「姫は貴公らを深く信頼し、心より慕っておる。これも月の女神が結びし奇跡の縁であろう。これからも変わらず、姫の傍らでその剣となり、盾となってはくれぬか?」
王の言葉に、四人は顔を見合わせた。一瞬の沈黙。そして、示し合わせたわけでもないのに、四人の声は重なった。
「「「「お断りさせていただきます」」」」
迷いのない、即答だった。
「陛下、我らはたまたま運が良かっただけの、しがない冒険者に過ぎません」
「そうじゃ。姫様の奇跡の余波でなんとか生き残れただけで、日常的に王宮を守るなど、荷が重すぎますじゃ」
「俺たちは、ギルドでも最低ランクの有象無象。こんな高潔な場所に居座るべき器じゃない」
最後に、フィンが優しく、しかし確かな意志を込めて締めくくった。
「我らのような『ぐだふわ』な者たちでは、いつか姫様を危険に晒してしまうでしょう。姫様には、国を代表する最高の近衛をお付けください。それが、彼女の未来のためでもあると信じております」
きっぱりとした、清々しいほどの拒絶。普段はグダグダな彼らが、この時ばかりは一点の曇りもない覚悟を見せていた。それが、自分たちの愛した「姫様」のためだと知っていたから。
彼らは深く一礼し、山積みの褒美には目もくれず、重い石造りの王宮を後にした。
ナウリカの王都を背に、慣れ親しんだ牛車がガタゴトと街道を揺られていく。
「いやぁ……今更だけどさ、あの魔法武具はちょっと惜しかったよなぁ。一振りだけでも貰っておけば、冒険者としてもっと箔がついたかもしれないのに……」
タカシが未練がましく空を仰ぐと、フィンが呆れたように肩をすくめた。
「それじゃ僕たちの格好がつかないだろ? 冒険者ってのは、土壇場で格好つけてなんぼだよ。通常の報酬だって、僕たちには勿体ないくらい貰ったんだからさ」
「それに、俺たちにはこれがあるじゃないか」
ジフが、あの「音叉の剣」をそっと差し出した。
「……そんなイミテーション、と思ってたけど。いや、こいつには何度も助けられたな。今じゃ俺たちにとって、本物の『勇者の剣』だよ」
タカシの言葉に、セインが深く頷く。
「そうじゃな。そもそも『勇者の剣』などというものは、勇者が手にした剣に後から名付けられたものに過ぎん。我ら『月の勇者(自称)』にとって、こいつは立派な聖剣じゃ」
「百年後には、月の姫を守り抜いた伝説の勇者の遺産として語り継がれたりして!?」
フィンが冗談めかして笑うと、セインが鼻で笑った。
「それはないじゃろ。多分、家に帰ったら洗濯物干しの支えになるのが関の山じゃわい」
「勇者の剣なのに!? 扱いがひどすぎるだろ!」
王都の喧騒が遠ざかるにつれ、そこにはいつもの、どうしようもなく「ぐだふわ」な空気が戻っていた。
「うんうん、それにナウリカの市場で珍しい調理道具もたくさん買えた。俺はもう大満足」
ジフは牛車の荷台に積み込まれた新しい鍋や包丁を眺めて、幸せそうに目を細めた。
「……ん? でも、こんな大きな箱、積み込んだっけな?」
ジフが荷物の隙間にある見慣れない箱に首を傾げた。
「買い込みすぎて、どれが何だか分からなくなってるんじゃろ。相変わらず詰め込みすぎじゃわい」
セインが鼻を鳴らしながら、杖を枕に横になる。
「さて、我らの家へ帰るとするかのう。また少し長い旅路になるが、それもまた一興じゃ」
「そうですわね。行きは良い良い、帰りは辛い……なんて申しますものね」
「そうそう、姫様もそういう言葉をご存知なんです……」
「「「「…………ん?」」」」
時が止まった。
全員の視線が、荷台の隅に置かれた「大きな箱」へと吸い寄せられる。そこからひょっこりと顔を出したのは、フェリスとスカーフを被った懐かしい笑顔だった。
「ひ、ひ、ひ、姫様ぁぁぁーーー!?」
街道に四人の絶叫が響き渡る。
「な、何でこんなところに!? せっかく感動のお別れをして、王宮に送り届けたのに!!」
タカシが頭を抱えて叫び、セインも服の裾をバタつかせて狼狽える。
「そうですじゃ! 今頃、王宮は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっておりますぞ!」
「それが……実は、少し事情がありまして」
申し訳なさそうに微笑みながら、メイア姫が懐から「月の宝珠」を取り出した。あんなに神々しく輝いていた宝珠は、今はすっかり光を失い、ただの曇った石のようになっていた。
「皆様を救った時と、先日の儀式で、すっかり力を使い果たしてしまいましたの。このままでは次の儀式まで持ちませんし、ナウリカを包む加護も、いずれは霧散してしまいますわ。これに再び光を宿すには、遥か遠き『月の宮殿』を訪ねるより他ありません。
……皆様、勝手なお願いとは存じますが、もう一度だけ、私を連れて行ってはくださいませんか?
それに、先日の月の神殿のように、今も各地には修復を待つ遺跡が数多く眠っているはず。それらを本来あるべき正しい姿へ戻すことこそが、月女神ルナリス様の力を強め、ひいてはアウリウス様を元の正しき神へと還す唯一の術となるかもしれません。
……あ、もちろんこれは王国からの『正式なご依頼』ですわよ?」
「「「「ええええええ!!??」」」」
夕暮れ時の街道に、絶望と、困惑と、そしてどこか嬉しそうな四人の叫びがいつまでも響き渡っていた。
「ぐだふわ」一行の旅は、どうやらまだ終わらせてもらえないらしい。
「ったく、おてんばにも程があるぜ、お姫様!」
タカシが天を仰ぎ、涙を見せないように絶望したふりをして笑う。
「……まあ、こうなるとは薄々思ってたけどね」
フィンは諦めたように肩をすくめ、涙を拭って手綱を握り直した。
「月の宮殿、か……。旨いもんが食えそうな場所だ」
ジフは新しい鍋を愛おしそうに撫で、牛車の速度を少しだけ上げた。
「やれやれ、隠居生活はまだ先になりそうじゃわい。……行くぞ、皆の衆!」
セインの杖が地面を叩き、旅の再開を告げる。
夕陽に照らされた街道を、一台の牛車がガタゴトと進んでいく。
かつては「最低ランク」と自嘲していた四人の背中は、いつの間にか、数々の奇跡を共にした「本物の冒険者」のそれへと変わっていた。
彼らの行く手には、きっとまだまだ、想像もつかない試練や、手に汗握る死闘が待ち構えているだろう。
けれど、もう心配はいらない。
どんな闇が立ち塞がろうとも、彼らはいつものようにグダグダと悩み、ふわふわと笑い飛ばし、最後には手を取り合って乗り越えていく。
新しく仲間に加わった、月の光を抱く姫様と共に。
「さあ、行こう! 次の冒険へ!」
黄金色の地平線へ向かって、ぐだふわ一行の賑やかな笑い声が、どこまでも遠く響き渡っていった。




