夢-10
私が嫌がっても時間は進んでしまう。
一番迎えたくなかった卒業の日。
私は胸に花を付けて皆と一緒に体育館でボーっと前方を眺めていた。
来賓の挨拶やら校長先生の話がダラダラとお経のように聞こえる。
静まり返った体育館には微かに鼻を啜る音も聞こえた。
私はまだ泣かない。
泣かないためにも横は向けない。
ハッチが居るから。
ハッチに会えるのも今日で最後だと思うと泣けてくるから。
だから、今日は朝からハッチを避けた。
式の前から泣きたくなかったから。
昨日の晩もたくさん泣いた。
ママに呆れられるほどに。
でも、仕方ないじゃん。
本当に好きなんだから。
会えなくなるのが悲しくないわけがない。
ハッチは英語の先生というだけ。
望は友達だからこれからだっていくらでも会える。
だけど、私とハッチを繋ぐものなんか何もない。
本当に終わっちゃうんだよ。
卒業と共に……。
「三年二組、クラス代表……永田 夢さん」
「はい」
石ちゃんの声が私の名前を読み上げる。
今朝、石ちゃんにクラス代表で卒業証書を受け取ってくれと言われた。
学級委員の望は卒業生代表挨拶があるし、何よりも校長先生からの御指名でもあったそうだ。
私は返事をして立ち上がり、横に並ぶ先生方の前で立ち止まり深々と頭を下げた。
そして、校長先生の立つ舞台に向かい、二組全員分の卒業証書を受け取る。
三十人分の卒業証書はトレーに乗せられていて想像以上に重かった。
十クラスもある生徒全員の名を呼んでいたら何時間掛かるか分からない。
クラスごとに代表者がいて卒業証書を受け取るのがこの学校の決まりだ。
もう、終わりなんだ……。
「貴女のお蔭で楽しい三年間でした。これからもその明るさと素直さを失わないで大人になって下さい」
校長先生が笑顔で私の頭を撫でる。
「校長先生、ズルイよ、反則だよ……泣くの我慢してるんだからそういう事言わないでよ……」
目頭が熱くなる。
私は俯きながら校長先生に深々とお辞儀をして正面の階段を下りた。
まっすぐ前を向いて、笑顔で下りようと思ったのに……できなかった。
席に戻る際、石ちゃんにトレーを預ける。
「偉い偉い、卒業証書に涙も鼻水も付いてないな」
「付けるわけないじゃん」
石ちゃんも校長先生みたいに私の頭を撫でて席に戻れとばかりに背中を押した。
「はい、ハンカチ」
席に戻ると望が苦笑しながら私にハンカチを差し出した。
「ありがと」
「何だかんだ言って、皆あんたの事気に入ってんのよ。先生方は」
「問題児だからでしょ」
「それもあるけど、この進学校ではありえない崩壊キャラみたいだし」
何それ?
「あとで写真撮るんだからあんまり泣かないでよ。不細工顔を記念に残したい?」
「嫌」
「だったら楽しい事考えなさい」
「無理」
「じゃ、不細工顔を残せ、馬鹿夢」
顔を上げると、望の鼻の頭は少し赤くて、目も充血していた。
「望も泣いてんじゃん」
「目薬よ」
私は望の顔を覗き込んで少しだけ笑った。
卒業式が終わって、皆で写真を撮って、パパとママは帰って行った。
っていうか、先に帰らせた。
私は賑わう校庭を背にして屋上へと向かう。
最後に思いっきり振られて帰るためだ。
校舎内はあまり人がいないせいで静かだった。
校庭からの声が聞こえてくるだけ。
そして私が階段を上る足音が大きく響く。
今日でこの学校とも、ハッチともお別れだ。
私は卒業証書の入った筒をギュッと握って屋上の重たい鉄のドアを開けた。
そこには誰もいない。
フェンスに歩み寄って校庭を見下ろすと、たくさんの人の姿が見えた。
卒業式って何でみんな地味な格好してるんだろう?
制服に紛れている保護者も同系色で見分けもつかない。
時々淡い色のスーツを着た人がいるけど、ほとんどが黒や紺。
「変なの……」
校庭を眺めながら独り言のように呟く。
ってか、独り言だけど。
「何が変なんですか、永田 夢さん?」
背後から聞こえてきた声に振り返ると、ハッチが立っていた。
いつもと違ってぴしっとしたスーツを着ている。
ワイシャツもネクタイもちゃんとアイロンが掛かっている。
「何か変。ハッチが凄く整った格好してる」
髪も少し切ったみたいで目元が露になっている。
「僕だってこういう時はちゃんとした格好をしますよ」
「だよね。保護者の人たくさんいるし、変な格好出来ないよね」
自分の上履きまで目線を下げて小さく笑う。
これで最後。
「ハッチ」
「はい」
「卒業したよ?」
「おめでとうございます」
ハッチの声は相変わらずだ。
「ハッチ」
「はい」
「この間も言ったけど、入試の日に一目惚れだったんだ」
「入学式の翌日にそう仰ったような気がしますが?」
「あの時は二度目惚れ」
「そんな日本語ありませんよ」
ハッチがクスッと笑う。
「本当に好きなの。ずっと三年間ハッチしか見えなかった」
「そうですか」
「うん、ハッチが好きなの、ハッチだけが好きなの」
「永田 夢さん」
私の視界にハッチの愛用しているサンダルが入って来る。
「最後にしましょう」
ハッチの言葉に私は肩を震わせた。
「最後……?」
「いつまでもこのままじゃ辛いでしょう?」
ハッチなりの優しさなのかもしれない。
「そう、だね……」
「告白は最後にして新たな一歩を踏み出して下さい」
私は大きく深呼吸をして顔を上げた。
すぐ傍にハッチがいる。
「林田 俊哉さん。三年前の入試の日、兎と遊んでいた貴方に一目惚れしました。あの時の兎に向ける言葉も眼差しも、私だけに向けて欲しいって思いました。兎のお墓の前で泣いていた貴方を見て心が綺麗な人なんだって思いました。入学式の次の日、飛んできたボールから庇ってくれた時に好きだって気持ちが溢れちゃいました。毎日告白しても好きって気持ちが大きくなって、溢れて……まだまだ伝え足りないけど、本当に好きなんです。卒業したから生徒ではなくなりました。中退もしなかったし、最低条件はクリアできたと思います。私と付き合って下さい」
最後の方は声が震えた。
もう告白も出来ないと思ったら涙が溢れた。
ハッチから溜め息が漏れる。
「It's my defeat.」
「え?」
涙で濡れた顔を上げると、ハッチは苦笑した。
「意味分かりますか?」
「分かりません」
「では質問を変えましょう。今の告白、何回目だかお分かりですか?」
「五千九百六十三回」
「御苦労様でした」
五九六三、ごくろうさん……。
ハッチ、年齢詐称してない?
オヤジだよ、その語呂合わせ。
でも、ハッチはニッコリと微笑んで。
その意味が分からなくて首を傾げると、その顔が近付いてきて。
え? と思った時には唇が重なって……。
「僕の負けです、本当に貴女には敵いませんね」
「え? 今、キスした? どういう……」
「そこまでお馬鹿だとは思いませんでしたよ」
溜め息混じりにハッチが呟いて、私はギュッと抱き締められた。
これって……そういう事、だよね?
今日、この瞬間から……私達は教師と生徒じゃなくて、普通の男女として新たな一歩を踏み出した。
「ハッチ、大好き♪」
「はいはい」
でも、私の告白はまだまだ続く。
きっとこれからも……一生、ね。
― Fin ―
ご覧頂きありがとうございます。
そして最後までお付き合い下さってありがとうございました。
たくさんの方々の応援のお蔭で最後まで突っ走れました。
また、他の作品でお会いしましょう。
ありがとうございました♪