3-17.歴史の重み
歳を重ねることほど嫌なことは無い。どんなに鍛えた体も衰え、動くことが難しくなっていく。鍛えても伸びるどころか、現状を維持するのがやっとになる。思考が保守的になり、頭が固くなる。嫌なことばかりだ。
そうなるとさすがの竜狩りも引退する者が増えてくる。竜狩りを辞めて普通の戦士に戻るか、戦士団幹部として勤めるか、または戦士団を止めて全く関係の無い仕事に就くかのいずれかを選ぶことになる。多くの竜狩りは幹部になることを選ぶ。
戦士団に残れば、元竜狩りは重宝される。戦士として残れば竜と戦った経験を活かして、後輩の育成に役立てる。幹部として残れば、様々な地を訪れた経験を活かして運営に貢献できる。ストレイグと同年代の竜狩りのほとんどは、どちらかを選んでいた。
だがストレイグは、まだ前線から離れられなかった。
『動きが鈍くなってきてるぞ』
目の前にいるような黒竜と戦うために。
「考え事をしてただけだ」
ストレイグが黒竜に接近し一突きする。翼を狙ったが避けられ、逆に反撃を喰らいそうになる。なんとか避けて、黒竜から距離を取った。
『考える暇があるとは余裕なんだな』
ストレイグは無言を返す。むしろ逆だった。だんだんと余裕が無くなってきていることを実感していた。
ヒポグリフに乗って戦うことは少なかった。ヒポグリフが運用され始めたのは近年のため、ストレイグは騎乗戦闘の訓練を十分に受けていない。騎乗技術に限れば、若い竜狩りの方がストレイグよりも長けている。地上戦ならば今でも負ける気はしないのだが、空中戦に限っては後輩に後塵を拝んでいた。
それでもストレイグがヒポグリフに乗って黒竜を倒せたのは、ひとえに今までの積み重ねがあったからだ。幾多の経験のお蔭で不慣れな戦闘を強いられても、黒竜を討伐できていた。
だがこの黒竜を相手にしていると、空中戦の稚拙さを経験の優位性では補えそうにないことを感じ始めていた。
この黒竜は知能が高い。そのうえ身のこなしが得手であるため、ストレイグの攻撃が碌に当たらない。当たっても身体を掠める程度だ。ストレイグも攻撃を躱し続けてはいるが、それは黒竜がまだストレイグの動きに慣れていないだけだ。時間が経てばじきに当てられる。そうなれば戦闘続行は難しい。
歯痒い思いだった。もう少し若ければ攻撃を当てられるのに。もう少し若ければヒポグリフの動きを学べられたのに。上手く身体が動かないことがこれほど苦痛だったとは。
「ストレイグさん!」
そのとき、下からストレイグを呼ぶ声が聞こえた。見ると竜狩りの青年がヒポグリフに乗って向かって来ている。彼は手慣れた様子でヒポグリフを操り、ストレイグの横で停止した。
「お待たせしました!」
「君一人か?」
「はい。一人は負傷で復帰できません。もう一人はヒポグリフに乗れないので地上で待機しています」
「分かった。君はどうだ? ヒポグリフを使うのは得意か?」
「大得意です。そのためにここに配置されたようなものです」
ストレイグは不安が取り除かれて安堵した。
「そうか、助かるよ。では―――」
黒竜へと視線を戻したストレイグは息を呑んだ。いつの間にか、黒竜が居なくなっていたのだ。ほんの一瞬の隙を突かれて、姿を見失ってしまった。目前の敵を見失うなんて、なんたる失態だ!
ストレイグは辺りを見渡す。町の外へ逃げたか、それとも住民を襲いに下に降りたか。考えを巡らして黒竜を探す。だが何処にも黒竜の姿は無い。ストレイグは消去法で見る場所を狭めて上空を見上げる。
「面倒なことを……」
黒竜は太陽を背にして急降下してきていた。ストレイグと青年目掛けて真っ直ぐに。
「退避!」
ストレイグと青年は二手に分かれて黒竜の突進を回避する。黒竜はさっきまで二人がいた場所を高速で過ぎ去った後、身を翻して体勢を立て直す。そしてすぐさま戻ってくる。
ただ、黒竜が向かった先はストレイグではなく、青年の方だった。
「なんでこっちに……」
青年は黒竜を迎え撃った。ヒポグリフを操り、黒竜からあまり距離を取らずに大刀を振るう。意思の疎通が上手くいってるのか、黒竜の反撃は空を切るばかりだ。巧みにヒポグリフを乗りこなす様はたしかに空中戦が得意のようだ。青年は着実に黒竜に攻撃を与えていた。
「俺も人の子か」
自分より若い戦士が、最強と呼ばれるストレイグよりも黒竜を追い詰める。その変移にストレイグは寂しさを覚えた。
だが今は戦場だ。感傷にふけるのは後だ。今は黒竜を倒すことに専念せねば。
気を引き締めたストレイグが黒竜に向かう。ヒポグリフの扱いは青年に劣るが、ストレイグもある程度は扱える。ストレイグが援護に専念すれば、青年がより動きやすくなるだろう。そう考えていた。
だがストレイグが黒竜に近づた瞬間、青年が黒竜から離れた。
「なっ―――」
なぜ離れた? それを聞く前に、黒竜がストレイグに気付いた。
黒竜は身体を回し、その勢いで爪を振るう。間に合わないと感じたストレイグは槍で防御する。だがその勢いは抑えきれず、フラー諸共吹き飛ばされた。
「ストレイグさん!」
青年の呼びかけに反応する暇もなかった。ストレイグは歯を食いしばって痛みに耐える。フラーはなんとか体勢を立て直していたが、身体に爪痕が残っていた。
追撃に備えようと手綱を握る。だが黒竜はストレイグではなく青年の方を向いて、口元に炎を溜めている。ストレイグは追撃されなかったことを安堵したが、青年の慌てる様子を見て嫌な予感がした。
「何をしている! 早く―――」
黒竜が炎を放つ。その瞬間になって、青年は慌てて手綱を引っ張った。炎は青年には当たらなかったものの、ヒポグリフの片翼を襲った。
「グェエエエエエ!」
ヒポグリフが苦しそうな悲鳴を上げる。片翼に火を浴びたヒポグリフはみるみると高度を下げる。青年はヒポグリフに声を掛けるが、何の意味もなさずに地面に落ちて行った。
『こういう姿を見るたびに思うのだよ』
黒竜が喋る。その顔はどこか冷たかった。
『ヒトはなんてか弱いのだろう、とな』
見下すような視線を、黒竜がストレイグに向ける。
「……まだ君を倒す人間が残ってるぞ」
『そういう事ではない。私が言ってるのは肉体的な強さではなく精神的なものだ。あの彼が持っていた思考について言ったのだよ』
「思考だと?」
『先程お前が考えていたのは、主に彼に私と戦わせて自分はサポートにまわって戦おう、ではないのかね』
「俺がそんなことを答えると思うか?」
『ではそうだと仮定しよう。もしそれが実行されてたら、私は大層苦戦しただろう。空中戦が得意なヒトを相手にしながら強者のお前が隙を狙おうと飛び回っている状況は、私にとってとても不都合なものだからな』
ストレイグが狙っていたのは、まさにそれだった。青年が黒竜を相手取っている間、ストレイグは黒竜が青年だけに狙いを絞らないように邪魔をするつもりだった。一撃離脱を心がければ、騎乗技術が青年より劣るストレイグでも黒竜の反撃は喰らわない。
『だが彼はそれを読み取れなかった。それはお前の存在があったからだ。自分よりも遥かに強い者がいたから、彼はお前に譲ろうとしたのだよ』
黒竜の指摘に、ストレイグは反論できない。思い当たる節が多々あったからだ。
任務で他の戦士と同行するとき、彼らはいつもストレイグを気にする。ストレイグが補佐にまわるときでさえ、戦士たちは自分たちで方針を決めきれずにストレイグに答えを聞き、それを是とする。議論をしようとしても、彼らはストレイグが相手だとすぐに譲る。任務に限らず普段の生活でもだ。多くの人間がストレイグの言葉に反論をせずに聞き入れる。他に発言する者がいてもだ。
『積み重ねた結果が一人の強者を作った。人々はそれを続けたお前を敬い持ち上げた。長い歴史が多くのヒトの憧れになるのと同じように。そしてそれが絶対となり、歴史に縋るのだ』
竜狩りは多くの竜と戦う。相手が相手なだけに、竜狩りでも死ぬことはある。だから長く戦い続ける竜狩りは自然と尊敬され、戦士団でも重宝される。そして息の長い竜狩りに若い戦士が憧れるのは当然の帰結だった。
ストレイグは長期間、竜狩りとして戦っていた。だから羨望の目を向けられる事が多く、たくさんの戦士たちがストレイグを目指して竜狩りになろうとする。その事には、ストレイグも悪い気を抱かなかった。
だがストレイグは長過ぎた。
竜狩りを辞めるきっかけを失ったストレイグは、ただ黒竜を討つ日々を繰り返していた。ストレイグの想いを知らない者は、か弱い人々のために戦い続けるストレイグを尊敬した。ストレイグがただの独りよがりで戦い続けているとは知らずに。
友に引退を促されても、ストレイグは戦った。他の事は考えず、己の事だけを考えた。その結果、世代交代が進まず、皆がストレイグの賛同者となっている。
誰よりも長く竜狩りとして戦い続けるストレイグは正しい。ストレイグのやることに間違いはない。そんな空気が生まれ、ストレイグ自身もそれを壊そうとしなかった。竜を倒すには良い環境だったからだ。
だが、その環境が生み出す結果を、ストレイグは考慮し切れていなかった。
『私はそういうものを壊すのが好きなんだよ。縋り、依存し、頼る象徴を破壊したとき、言葉にならない程の悲壮感と幸福感を得るのだ。矛盾する二つの感情を同時に得られるのは、この瞬間だけだ』
黒竜の口から炎が漏れている。
『だからそれを感じさせてくれ』
黒い炎がストレイグに放たれた。ストレイグは避けようとしたが間に合わない。目の前に黒い炎が迫る。
だが炎を浴びる直前、黄金色の壁がそれを遮った。
「間に合ったか」
ストレイグの眼前に、黄金の竜とクリフが現れた。




