2-18.慢心のツケ
「なるほどな……」
飛行するロロの背中に乗りながら、クリフは言った。
空を飛ぶという感覚は、初めてだった。風を切りながら、木々よりも高い何もない場所を優雅に進む。その快適さに身を委ねたい欲望に駆られつつも、クリフは空からレイたちを探す。その最中に、ロロの話を聞いていた。
「要するに、懐かしの友達が黒竜になっていることに気づかず、お前は俺たちの事をベラベラと話してしまったってことか」
『……はい』
ロロが力ない声で返事をした。
クリフたちがアレンの家から出た後、ロロは当初の目的であるユーレスの捜索のために山に行こうとした。しかしそこをアレンに止められ、クリフたちの事を聞かれた。最初こそロロは目的を果たそうとしていたが、ユーレスの話術に乗せられて、クリフたちの事を喋ってしまったらしい。そのとき、クリフたちがユーレスたちを倒しに来たと言ったことで、ユーレスが竜に変身してロロを襲ったということだ。
ロロの話を聞き終えたクリフは溜め息を吐いた。
「馬鹿じゃねぇの」
『だってぇ……』
ロロが情けない声を漏らす。
『ユーレスがアレンを食べるなんて思わなかったんだもん……。今でも……信じられない』
ロロとユーレス、そしてアレンは友達だった。しかし何らかの事情でユーレスが黒竜になり、アレンがユーレスに食べられた。異種族とはいえ友達を食べるなんてことは、確かに想像し辛い。だが、現実は無情だった。
「俺が昨日言ったこと、覚えてるよな」
ロロは返事をしない。否定もしない。クリフは続ける。
「黒竜になった以上、俺はユーレスも斬る。お前はその邪魔をするな。分かってるよな」
「……うん」
「だが」
クリフはロロの首に触れる。
「黒竜を二頭同時に相手するのは難しい。だから俺が片方の黒竜を相手取る。その間、お前はユーレスを止めろ」
『……ロロが?』
「あぁ。どんな手段でもいい。戦っても、引きつけても良い。なんなら話をするだけでも良い。お前に任せる」
ロロの言うとおりユーレスが心優しい竜なら、自ら黒竜になることはあり得ない。黒竜にならざるを得なかった、特別な事情があるのだろう。
黒竜になり、アレンを食った事実は許せない。だがやむを得ない事情があったのなら、情けだけはかけてやろう。
「お前の友人だったんだろ。だったら最期に、別れの言葉でもかけてやれ」
『……分かった』
ロロの声から覚悟が伝わる。これならもう大丈夫そうだ。
「じゃあ―――」
クリフは下を見て、レイたちを見つけた。レイたちは黒竜たちと対面し、しかも不利な状況のようだった。
「行け、ロロ」
『うん』
ロロは頭を下に向けて降下する。勢いに乗って地面に近づき、クリフの身体に強い風圧が襲う。ロロの身体をしっかりとつかみ、振り落とされないように踏ん張る。ロロが地に下りる直前まで、その圧力を受け続けた。
地面に近づくと、ロロは体勢を変える。頭を上に、足を下に向けて、翼を羽ばたかせながらゆっくりと地に下りる。無事着地すると、クリフはロロの背中から降りた。
「何とか間に合ったな」
二頭の黒竜は健在で、たいした怪我もして無さそうだ。一方、ルイスは地面に倒れていて、ケイトは怪我をしている。レイは何とか立っているが、疲労困憊なのが明らかだった。
「そう、です、ね」
レイは息を切らしながら、武器を構え続ける。助けが来ても気を緩めずに戦おうとする姿勢は見習うべきだと、クリフは感心した。
「クリフ! お前―――」
「後で話す」
ケイトの言葉を、クリフは遮る。ケイトはロロの事を知らない。すぐにでも事情を話したいが、悠長に話す暇は無い。
未だに、黒竜の戦意は高い。しかも最初に相手した時に比べ、クリフたちの戦況は悪い。そのためにも戦闘に集中したかった。
「レイ。あの胴長竜、ユーレスはロロが抑える。残りは俺が受け持つ」
「そう、ですか……。大丈夫、ですか?」
レイが心配そうにクリフを見つめている。さっきはケイトと二人で相手にした敵を、クリフ一人で戦おうというのだ。不安になるのも当たり前かもしれない。
だがクリフは、引くつもりは無かった。
「当然だ。人を守るために戦士になったんだ。このくらいの逆境、どうってことない。……それに」
クリフは大剣を抜き、黒竜に向ける。
「認定試験はまだ終わってないだろ?」
レイが目を大きく見開いていた。
「ここで逃げたら俺は竜狩りになる資格なんてない。だから俺は逃げない」
クリフの使命のためにも、願いのためにも、戦わない選択肢はない。
だからクリフは、戦う。
「ちゃーんと見ててくれよな。俺の戦いっぷりを」
「……分かった」
レイはふっと笑った。
「しっかりと、見定めさせてもらうね」
「おう」
クリフは黒竜に向かって前進する。すると、クリフの前にユーレスが立ち塞がる。
『バッテルのとこには行かせないよ』
直後、ロロがクリフの前に出る。
『クリフの邪魔をしちゃだめ』
ロロがユーレスと対峙した。その行為に『なんで?』とユーレスが声を上げる。
『僕を倒しに来た奴等だよ。何でロロは、そいつを助けるの?』
『……なんでユーレスはアレンを食べたの?』
二者の会話が始まり、その隙にクリフはユーレスを避けて進む。バッテルと呼ばれた黒竜は、逃げることなくクリフが来るのを待っていた。
「今度は逃げないんだな」
『ふん。当然だ』
バッテルの声が、見下しているように聞こえた。
『さっき俺が逃げたのは、お前らを罠にはめるためだ。まだ俺は本気で戦っていない。しかも今度は一対一だ。お前に負ける要素は微塵もない』
バッテルは自信満々に答える。言っていることが真実ならば、たしかにクリフの不利は否めない。苦戦はもちろん、クリフが負けることは十分あり得る。
だが、クリフには自信があった。
「だったら、さっきは真剣に手加減するべきだったな」
『なに?』
「手を抜くってことは、案外難しいんだ」
実力を晒さないように手を抜くということはある。相手を油断させ、その隙を狙って攻撃するのは戦術の一つだ。竜に限らず、モンスターも人も使う手段だ。
故に、相手をちゃんと油断させるには難しい。自分が本気で戦っているように見せるには、技術力だけではなく演技力も必要になる。そのどちらかを欠ければ、逆に自分の首を絞めることになる。このバッテルには、その両方が欠けていた。
「お前はただ単に手を緩めた。その怠慢は命とりだぜ」
『……ほざけ』
バッテルがクリフに向かって、頭から突進してくる。クリフはそれをギリギリまで引きつけてから右に避ける。反撃で剣を振ろうとしたが、バッテルはすぐに停止してクリフの方に振り向き、牙を向けた。クリフは後ろに下がり、それを避ける。
想像以上の動きの速さに、クリフは感心した。手を抜いていたというのは本当だったようだ。
『なんだ。調子に乗ってた割には及び腰だな』
「調子に乗ってるのはどっちだか」
クリフは再び大剣を構える。
「今追撃を止めたことを後悔するなよ」
『はっ、何を言って―――』
バッテルが話す最中、クリフは距離を詰めた。バッテルの真下に潜り込み、一瞬後に大剣を振り上げる。その一撃は、容赦なくバッテルの腹を斬り裂いた。
『ぐっ……』
呻き声が聞こえても、クリフは手を止めない。バッテルが手で攻撃してきても、手が届かない位置に移動してから再度攻撃をする。それを繰り返した。
「手加減するのは良いが、弱点を晒すのはやり過ぎだ」
バッテルの身体は大きくて縦に長い。体高も高く、頭が前方に出ている。それ故に、足元を視界に入れにくいという弱点があった。これはバッテルに限らず、同種の竜ならばどの個体でも持つ弱点である。これらの弱点を経験豊かな竜は動き回って足元に入られないようにしたり、しゃがみ込んで押しつぶそうとしたりと様々な対抗策を取る。
だが、このバッテルにはそれが無い。戦闘経験が無いことが、その原因だ。
身体の半分以上が黒竜化しているのに対応策が無い。それは戦士以外の人間や弱い竜ばかりを食べていたということが容易に推測できる。碌に戦わずに楽をして力をつけてきた故に、この弱点が生まれていた。ケイトの攻撃への対処があまりにも拙いことで、クリフはこの弱点を知った。
クリフは力を込めて大剣を振り続ける。か弱き命をむさぼってきた対価を、今払わせてやる。
何度も何度も、クリフはバッテルの下から身体を傷つける。バッテルや有効な攻撃が出来ないまま、とうとう後方に跳んでクリフから離れる。そうしてバッテルが体勢を整えようとするが、それよりも先にクリフがバッテルの下へと近づいていた。状況が悪化すると距離を取るのがバッテルの癖だと、クリフは最初の戦闘で見当をつけていた。
『なっ―――』
驚くバッテルの顔に、クリフは大剣を振り下ろす。眉間を斬り裂き、バッテルの顔が赤く染まる。バッテルの悲鳴が響き、その間にまたクリフは攻撃した。目を狙って横に振った刃は、バッテルが動いたせいで狙いが逸れ、眼の下へと傷を残す結果となった。
『きさま、貴様ぁあああああ!』
クリフに向かって、バッテルが頭から突っ込んで来る。大剣で防ぐも、威力に押されて下がってしまい距離が空く。すぐに距離を詰めようとしたが、バッテルの異常に気づき足を止める。
バッテルは、口から黒い息を吐いている。見てるだけでも寒気を感じる空気に、クリフは危機感を覚える。あれをくらってはまずい。
直後、バッテルの口から黒い閃光が放出した。閃光が真っ直ぐとクリフに向かう。クリフはそれを大きく横に跳んで避ける。避けた後、クリフは閃光の行き先を見た。閃光はそのまま真っ直ぐと進んで木に当たる。閃光の威力により木が折れ、ゆっくりと当たった箇所から傾き、大きな音を立てて倒れた。
「これが噂の《黒竜砲》か」
黒竜化の進んだ黒竜が使う攻撃、黒竜砲。木を軽くへし折るほどの威力があり、そのうえ命中した対象の耐久力を弱めるという効果を持つ。当たれば致命傷に繋がる一撃だ。
クリフは息を整えて大剣を構える。少々驚いたが問題無い。動作は分かりやすいし軌道を読むことも容易だ。念頭に置いておけば、被弾することは無い。
「で、もう武器は無いのか」
『グググ……』
黒竜砲を放ったバッテルが、眉間に大きな皺を作っていた。見ただけで感情が読み取れる。おおかた、切り札のようなものだったのだろう。それを軽々と避けられたのだ。動揺してしまうのも無理はない。ただ、やはり戦歴の浅い黒竜だと、クリフは再認識した。
クリフは再びバッテルに向かう。バッテルは黒い息を口から漏らしている。また黒竜砲を撃つのかと予想し、クリフは足を止める。
しかしバッテルはクリフの方にではなく、明後日の方向に黒竜砲を放った。驚きつつ、クリフは閃光の先を確認する。
その先には、バッテルの仲間であるユーレスが居た。




