2-10.なまくら刀
「よう、レイ。任務終わりか」
戦士になって二ヶ月ほど経った日だった。クリフは任務を終えた後詰所に寄り、そのとき酒場で一人寂しく茶を飲んでいるレイを見つけた。任務の報告を終えるとクリフはレイに近づき、言葉を掛けた。レイはいつも通りの小さな声で「うん」と返事をする。
「昨日終わって、朝に、帰ってきた」
「それからずっとここに居たのか」
「……うん」
「暇人だな」
「そう、だね」
レイがほんの少し口角を上げる。クリフはレイから視線を逸らしながら尋ねた。
「お前、女なのか?」
しばらく前から気になっていたことだった。町で歩いているとき、酒場で飲んでいるとき、一般人や戦士の会話からレイの話題が聞こえることがある。そのほとんどがレイの戦果を讃えるものや劣等感を感じた末の愚痴だったりするのだが、中にはレイの私的な事に関する話があった。それらの会話の中に、時折レイが女であることを前提とした話をしている者がいた。レイの容姿に可愛いや綺麗といった言葉を使ったり、男がレイへの熱い愛を語っていたりと。
普段のレイの服装は飾り気のない物が多い。しかし容姿は中性的で、髪は男には無い艶を持つ。初見では男に見えたが、よく観察すると女のように思えてくる特徴が目に入りやすくなった。
男でも女でも、クリフが目指すべき目標は変わらない。だが女だとすると、以前のように接するのは難しくなる。それでもクリフははっきりさせたかった。面倒なことは考えたくない。その身勝手な想いで、レイに問い質した。
クリフの質問に、レイは押し黙る。やはり本当だったのかと、クリフは察する。途端にクリフの体温が上がり始めた。
一歩引いてレイから離れる。その直後、レイが口を開く。
「違う」
短く小さい、だが強い言葉だった。レイの目が真っ直ぐとクリフを捉えている。その眼は、僅かばかり潤んでいるように見えた。
身体の熱が徐々に下がる。クリフは一つ息を吐いて答えた。
「そっか……。変な事聞いてすまん」
「ううん。別に、いい」
レイが顔を俯けて視線を外す。レイはその後何も言わずに、視線を下に落としていた。
その様子は、女と疑ったことに対する憤りを表しているものだと、クリフは思っていた。
扉をノックする音が聞こえた。クリフはベッドから身体を起こさずに返事をする。
「なんだ?」
返事は数秒待ってから返ってきた。
「ご飯、持って来た」
レイの声だ。疑問を抱きながら身を起こす。なぜ他の奴が持って来ない。客人にさせるなよ。
ベッドから立ち上がって扉を開ける。部屋の前にある光景を見て、クリフは目を大きく目を見開かせた。
大きなトレーの上には今日作った料理が乗っている。食事を断ったクリフのために取って置いてくれたものだろう。いくつかはクリフの好きな料理がある。だがそれよりも気になるのがレイだった。
地味な色の私服しか着ないレイが、真っ白のワンピース型の寝間着を身に着けている。普段の格好は男っぽさを感じられるのに対し、今は女性らしさしか感じない服である。実は浴場の出来事は夢なんかじゃないのかと淡い期待を抱いていたのだが、それすらも無惨に散っていった。今レイを見ても女だとしか思えない。いや、実際女なのだが。
クリフは心を静めながらトレーに手を伸ばす。取り損ねてしまいそうになったが、しっかりと両手で掴んだ。クリフが無事に掴めたことを確認すると、レイがそっとトレーから手を離す。そこでクリフは息を吐いた。
「わざわざ、すまんな。じゃあこれで」
「あ、待って」
扉を閉めようとするクリフをレイが止める。声も女のものとしか聞こえない。心臓が縮みそうになる。
「な、なんだ?」
毅然と聞き返そうとしたが、声が震えた。自分の口じゃないのかと疑った。
レイは開いた口を一度閉め、また開けて言葉を放つ。
「話が……したいの」
レイの声も震えているように思えた。いつもの無表情面ではなく、か弱い少女のような顔。クリフは顔を背けながら「入れ」と促した。
部屋の隅には机と椅子を置いている。勉強や机を使った点検で使うため、普段から綺麗にしていた。机の上にトレーを置き、椅子を持ち出してベッドの横に移動させる。クリフがベッドに座るとレイは椅子に座った。
「で、何の用だ?」
普段の調子を取り戻したい。そう思って先に発言するクリフ。だが身体の熱は上がりっぱなしだった。
気が逸り、レイの言葉を待ちわびる。レイの口に注目して、その口から言葉が出てくるのを待った。柔らかそうな唇を見て、また顔を背けてしまう。
「謝ろうと、思ったの」
いつも以上に弱々しい声だ。クリフはレイの顔を凝視する。だがレイは顔を俯けてしまい、表情が見えなかった。
「前に私が言った、男だ、ってこと」
レイは椅子に座ったまま頭を下げる。
「嘘ついて、ごめんな、さい」
悲痛な声だった。庇護すべき弱者の声と同じように聞こえた。家族を亡くした。友達を失った。最愛の恋人が死んだ。そんなときに聞く声と似ている。何度も聞いた声で、その度にクリフは心を痛める。聞くたびにクリフは己の無力を恨んだ。俺に力があれば、彼らが不幸にならずに済んだのに。
その声を聞かないようにするために、クリフは力をつけてきた。来る日も来る日も鍛錬を続けた。多くの任務をこなし、人々を救って来た。
時が経つにつれてその声を聞かなくなり、同時に自信がついてくる。俺は強い。多くの人を救える。もっと強くなればもっと多く救える。
しかし今、クリフの自信が揺らいだ。
レイはクリフよりも強く、多くの人を救った実績のある竜狩りだ。一見、線が細くて弱そうに見えるが、観察するとその印象は逆転する。姿勢、佇まい、纏う空気から、一本の刀を連想させる。鈍ではない。名匠が打った名刀だ。目の良い者にはそれが分かり、決してレイを侮れなくなる。クリフもその一人だった。
そんな人間が、クリフの嫌いな声を出していた。
強くて、有名で、人を魅了させるほどの刀が、弱々しい少女へと変貌する。力があるくせに、なんであいつらと同じ声を出すんだ。
いつの間にか緊張が解けていた。その代わり別の感情が生まれてくる。クリフはそれを必死に抑えた。
「いい。俺も悪かった。知らなかったとはいえお前の裸を見てしまった。すまん」
頭を下げながら、早口気味にクリフは謝罪する。早くこの場を終わらせたい。その一心だった。
レイはクリフの謝罪を聞いたのに、頭を下げ続けたままである。不思議に思ったクリフは「どうした?」と声を掛ける。しかし、レイからは何の反応も返って来ない。
「おいおい、どうしたっていうんだ。俺もお前も互いに謝った。それで終わりだ。いつまでも頭下げるなよ」
感情を抑えながら言葉を口にする。出来るだけ穏便にレイを帰したい。クリフは冷静になることに努めた。
だがレイは、未だに頭を下げ続ける。身体が僅かに震えていて、膝の上に置いた拳を強く握りしめている。まるで何かに耐えているようだった。
クリフは右手をレイに伸ばす。レイの様子が気になるが、いつまでも態度を変えないことに辛抱できない。せめて顔を上げさせようとした。
レイの身体に手が触れる、その寸前に身体の熱が上がる。分かっていてもこれには耐えられない。伸ばした手がレイの身体の手前で止まる。一度、落ち着いてからまた動こうと考えた。
その直後だった。
「……うっ」
レイの口から嗚咽が漏れる。すぐに右手で口を抑えて声を塞ぐが、レイの左手に雫が落ちた。左手で目元を拭うが、そんな姿を見て何も察しない訳が無かった。
クリフは右手を引っ込めて髪を掻きむしる。
「なんなんだよ、それ」
何も返答しないレイに、クリフは感情を露わにする。
「なんでお前が……あいつらと同じになってんだ!」
レイが顔を上げる。呆然とした表情をクリフに見せる。その眼には涙が溜まっていた。それを見て、クリフの感情がさらに高ぶる。
胸中にあったのは怒り。クリフはそれを吐き出した。
「強いんだろ! なぁ、強いんだろ! 俺よりも強いから竜狩りになってるんだろ! 誰よりも才能があって、努力してきたから、竜狩りになれたんだろ!」
体温が上がる。頭が痛くなる。だけどクリフは止まらなかった。
「お前みたいになれたらもっと人を救える、弱い奴らをたくさん救える強者になれると思ったんだ! なのに……なんでお前がそっちになってんだ! ふざけんな!」
人を救う竜狩りは、誰よりも強くなければならない。どんな時でも助けられる強靭な戦士である必要がある。
だが目の前の少女は、とても強者には見えなかった。
「俺はお前を目標にしていたんだ。追い越すべき相手だと思ってた。お前だって……少しくらいは俺をライバルとして思ってなかったのか? 俺にそんな顔を見せて……何がしたいんだ?」
レイが潤んだ目でクリフを見つめる。僅かに開いた唇が震え、怯えている様子が窺える。その様を見て、クリフの苛立ちは増した。
何も言わないのかと諦めかけていると、レイの口から声が出る。
「……ない」
小さな声を聞き逃す。聞き返そうとしたが、その前にレイが再度口にする。
「ライバルじゃ……ない」
何を言っているのかすぐには理解できなかった。だが何度もその言葉を脳内で反芻し、会話の流れを思い出すとようやく理解する。
「ははっ」
クリフは笑った。
「はっ、はははっ……はっはっはっはっは……」
愉快に、嘲るように、馬鹿みたいに笑った。そうでもしないと気を保てなかった。
最初はクリフがレイに突っかかって行った。その姿はいきっている新人に見えただろう。当の本人であるクリフも、それは自覚している。だがクリフは実績を上げることで、他の戦士とは違うということをレイに証明させた。レイもクリフを意識していると思っていた。
しかし、それはクリフのひとり相撲だった。今も昔も、レイのクリフに対する評価は変わらない。そう言われた。
「クリフ、くん?」
目の前にレイの顔があった。心配げな表情でクリフの顔を覗いている。
「来るな!」
クリフはレイの身体を払いのける。レイが後ろに退き、クリフと離れる。クリフは頭を手で抑える。頭痛がひどくなっていた。
「……部屋から出ろ」
レイは一度寂しげな顔を見せる。だがすぐに「うん」と返事をする。部屋から出る直前、レイは振り向いた。
「頑張ろうね」
そう言い残してレイは部屋から出た。クリフはベッドに倒れて目を瞑る。これでやっと休めると思った。
だがレイの言葉の真意を知り、また頭が痛くなった。
「認定、試験」
しばらくの間、この頭痛と付き合うことになることに辟易とした。




