春の企画
桐谷 凛が観光協会から帰ってきたとき、顔つきがいつもと違った。
三月の第一週。瀬川 湊は事務所で外注の九件目に取りかかっていた。ドアが開いて、凛が入ってきた。コートを脱ぐ手つきが速い。鞄をテーブルに置くのも雑だ。凛が雑になるのは、頭の中で何かが回っているときだ。
「湊、ちょっと聞いて」
「はい」
「観光協会の黒木さんから相談があった。春の観光シーズンに合わせて——今までの月一回の特産品紹介じゃなくて、もう少し大きい企画をやりたいって」
「大きい企画って、具体的には」
「三ヶ月間の連続企画。四月から六月にかけて、宮崎の春の観光スポットを毎月紹介する配信シリーズ。特産品紹介とは別枠で。報酬も——今までの月三万じゃなくて、シリーズ全体で十五万」
湊の手が止まった。十五万。今までの五ヶ月分の観光協会の報酬が、三ヶ月で入る。
「黒木さん、みやびの配信を気に入ってくれてるんだよね。特産品紹介の再生数が地味に伸びてて、観光協会のSNSでシェアしたときの反応も良かったらしい」
「十五万は——うちにとって大きいですね」
「大きい。でも、それだけ内容の質を求められる。黒木さんが言うには、配信だけじゃなくて、アーカイブを観光協会のサイトに埋め込みたいって。だから画質と音質にもこだわってほしいと」
「画質と音質——今の配信環境で対応できますか」
「そこを湊に相談したい」
凛が椅子に座って、ノートPCを開いた。黒木さんとの打ち合わせメモをメモ帳に書き出している。凛の字は丸くて読みやすい。
「具体的に、何が必要ですか」
「まず、配信のアーカイブをそのまま使うんじゃなくて、編集した動画を納品する形にしたい。テロップ入り、カット編集あり。配信のライブ感は残しつつ、観光協会のサイトに載せても恥ずかしくない品質」
「動画編集なら俺がやれます。テロップとカット編集は外注の作業でもやってるので。ただ、一本あたりの工数が配信の三倍くらいになります」
「三倍——時間的に回る?」
「外注と並行するとギリギリですけど、配信日を固定してスケジュールを組めば」
「楓の負担はどう? 配信自体は通常と同じだけど、内容の準備が——」
「楓さんの社めぐり配信のスライド作成能力が使えます。観光スポットのスライドを楓さんが作って、配信で紹介して、俺がそのアーカイブを編集して納品する」
「つまり——社めぐり配信の延長線上にあるってこと?」
「はい。楓さんがやってきたことの、スケールアップです」
凛の目が光った。
「いいね。楓の社めぐりが、観光協会の公式企画に昇格する。楓にとっても大きなステップだよ」
「ただし——」
湊が付け足した。
「アーカイブをサイトに埋め込むなら、音質は気になります。楓さんの自宅マイクは配信用には十分ですけど、サイト掲載用の動画として考えると——ポップノイズの処理とか、部屋の反響とか」
「追加投資が必要?」
「吸音材をもう少し追加すれば改善できます。費用は——五千円から一万円くらい」
「それくらいなら出せる。十五万の企画報酬から前借りする形で」
凛がノートPCにメモを打ち込んでいく。キーボードの音がリズミカルだ。
「白石 楓に伝えよう。楓がどう思うか聞かないと」
凛がDiscordで楓に連絡した。三者通話が始まる。
「楓、観光協会から新しい話が来てるの」
凛が概要を説明した。春の三ヶ月連続企画。配信+動画編集。報酬十五万。
「十五万……!」
楓の声が裏返った。
「でも、それって——私の社めぐり配信がきっかけですよね。青島裸まいりの配信を見てくれたんですか?」
「それもあるけど、特産品紹介配信の安定した品質を評価してくれたんだよ。みやびの語りがわかりやすい、リスナーの反応がいいって」
「嬉しい……。やります。絶対やります」
「楓、もう少し聞いて。今までの月一回の配信とは違って、アーカイブを編集して観光協会のサイトに載せるの。だから——」
「いつもより、ちゃんと準備しなきゃいけないってことですね」
「そう。スライドも、今までより丁寧に作る必要がある。観光協会の名前が付くから」
「わかりました。——四月から六月って、宮崎の春ってどんなところがいいですかね。桜は……」
「宮崎は桜が早いから、三月末には咲くよ。四月はフラワーフェスタ、五月は日南海岸、六月は高千穂峡とか」
「フラワーフェスタ! 花の祭典ですよね。みやびの和風キャラで——お花を紹介する配信」
「それ、絵面が綺麗だよね。みやびと花。画面映えする」
三人で企画の骨格を詰めていった。四月はフラワーフェスタ(こどもの国で開催)、五月は日南海岸ドライブスポット、六月は高千穂峡と天岩戸神社。楓の社めぐりの延長で、各回のスライドは楓が作成。配信後のアーカイブ編集は湊が担当。凛が観光協会との連絡・契約・スケジュール管理を担う。
「黒木さんに企画案を出すのは来週。それまでに三人で詰めよう」
「はい!」
「了解です」
通話を切った。事務所に凛と湊が残った。
「湊」
「はい」
「この企画が成功したら——来年以降も継続案件になる可能性がある。年間契約に持っていければ、あたしのバイトは完全にいらなくなる」
「そうですね」
「十五万は大きい。でも、それ以上に——みやびの名前に『宮崎市観光協会との提携企画』っていう肩書きがつくのが大きい。信頼の証だよ」
凛の声はいつもの飄々とした調子に戻っていたが、指先がテーブルの上で小さく踊っていた。嬉しいのを隠しきれていない。
「凛さん」
「なに」
「黒木さんと最初に会ったのは、去年の五月でしたっけ。凛さんが営業に行って、『VTuberって何?』って聞かれて」
「うん。あの日、湊がデモを見せてくれたんだよね。ノートPCでみやびを動かして」
「あれから十ヶ月ですか」
「十ヶ月。月三万の小さな契約が、十五万の企画に育った。営業って——地道に続けると、こういうことが起きるんだね」
凛が窓の外を見た。三月の宮崎。事務所の裏の公園では、梅が満開を過ぎて花びらが散り始めている。桜の蕾が枝先に膨らんでいる。冬が終わって、春が来る。
甘い花の匂いが、開けた窓から流れ込んできた。
「さて——企画書、書くか」
凛がノートPCに向き直った。湊は外注の作業に戻った。
十五万の企画。三人の仕事が、一つの企画に集まっている。
湊はモニターに向かいながら、動画編集のワークフローを頭の中で組み立て始めた。テロップのフォント。カット編集のタイミング。BGMの選定。やることは多い。でも——手が動くのは、誰かのために作る仕事だからだ。
外注とは違う。みやびのための仕事は——手の動かし方が変わる。




