コラボのあとで
「登録者、十五人増えたよ」
桐谷 凛がスマホを見ながら言った。コラボ配信の翌朝。事務所で三人が集まっている。
「十五人!」
白石 楓が声を上げた。一晩で十五人はみやびの記録だ。通常の配信後は一日に二、三人増えるのが精一杯。
「ゆきねさんのリスナーが流れてきたんだね。にゃんころのタグを見ると、『みやびちゃんフォローしてきた』ってポストが何件もある」
「ゆきねさん側はどうですか」
「ゆきねさんも十人くらい増えたみたい。Xで報告してたよ」
瀬川 湊はモニターでアナリティクスを確認していた。コラボ配信のアーカイブ再生数は、公開から十二時間で百八十回。通常のアーカイブより伸びが早い。
「登録者三百五人。ついに三百人超えたね」
凛がスマホを置いた。声は落ち着いていたが、口元が緩んでいる。
「コラボ効果は一時的なものかもしれないけど、登録者が増えた分は減らない。三百人の土台ができた。ここからが本番」
「次のコラボって——考えてますか」
「楓がやりたいならね。でも、すぐには入れない。月一回くらいの頻度でやるなら、三月に一回」
「やりたいです。ゆきねさんとまたやりたいし、他の人ともやってみたい」
「いいね。でも、闇雲にコラボを増やすのは逆効果だよ。相性のいい相手を選んで、お互いにメリットがある形で。量より質」
コラボは、凛にとって戦略だ。
「ゆきねさんとは引き続き関係を持っておこう。月一回のコラボとは別に、Xでの交流を続けると自然な宣伝になる」
「はい。ゆきねさんとは——友達になりたいです。配信だけの関係じゃなくて」
楓がそう言ったとき、凛と湊が同時に楓を見た。宮崎に来たとき、楓の人間関係は凛と湊だけだった。バイト先のおばちゃんとリスナーを除けば、楓には「同業者の友達」がいなかった。
ゆきねは、楓にとって初めてのVTuber仲間だ。
「じゃあ、コラボの振り返りはここまで。次——二月のまとめをやろう」
凛がスプレッドシートを開いた。
「二月の数字。登録者二百九十人→三百五人。Xフォロワー約千人。同接は通常三十五〜四十人、コラボで最大四十四人」
「Xフォロワー千人突破、すごくないですか」
「うん。千人は一つの壁だから。Xでの露出が増えると、検索で引っかかりやすくなる。オリジナル曲の歌詞をポストしたのも効いてるね」
「配信頻度は週四回に増やしたけど、楓の負担はどう?」
「大丈夫です。水曜のショート企画は準備が軽いし、むしろ楽しい。歌枠ショートは三十分で三曲だから——声の調子がいいときはもっとやりたいくらい」
「無理は禁物だけどね。凛さん——バイトのほうはどうですか」
楓の声が少しだけ真剣になった。凛が楓にバイトのことを話したのは二月の頭。あれから三週間が経っている。
「二月は週二回に戻した。年末年始の繁忙期が終わったからね。三月からは約束通り、週一回に減らすよ」
「体は大丈夫ですか」
「大丈夫。ちゃんと寝てるし、食べてる。事務所で寝るのはあれっきり」
「あれっきりって——事務所で寝たんですか!?」
「いや、その——」
凛が湊を見た。湊は視線を逸らした。
「湊が来たとき、ソファで寝てた。たまたま」
「凛さん……」
「もうしないよ。約束する」
楓が凛を見つめた。それから、小さく頷いた。追求しなかった。楓も凛の「約束する」を信じている。
「じゃあ、来月の話。三月は年度末。一年の締めくくりの月だね」
「みやびの活動一周年が——来月の五月ですよね。まだ先ですけど」
「そうだね。四月に事務所を始めて、五月にみやびがデビュー。十一ヶ月目。あと二ヶ月で一年」
「早いなあ」
楓がつぶやいた。窓の外では、二月末の日差しが公園の木々を照らしている。葉を落とした銀杏の枝先に、小さな芽がふくらみ始めている。開けた窓から、土と草の混じった湿った匂いが入ってくる。
「三月のスケジュール、組もうか。特産品配信は——黒木さんと相談中だけど、候補は宮崎の日向夏ジャム」
「日向夏! ようやく来ました!」
「楓がずっと言ってたもんね。社めぐり配信は?」
「高千穂をやりたいです。天岩戸神社とか、真名井の滝とか。宮崎の神話の中心地ですから——みやびのキャラと相性ぴったりです」
「いいね。スライドの素材は楓が調べる?」
「はい。もうリサーチ始めてます」
楓が笑った。八ヶ月前は「凛さん、何をすればいいですか」と聞いていた楓が、自分でリサーチを始めている。
湊は二人の会話を聞きながら、外注の作業ファイルを開いた。八件目の依頼が来ている。Live2Dのモデル調整。月三件のペースが見えてきた。
「湊、外注の状況は?」
「八件目が入ってます。今月は三件目。月三件のペースになりそうです」
「月三件! それは——収入としてはどのくらい?」
「一件平均三万円として、湊の取り分が七割で二万一千円。月三件なら六万三千円」
「事務所のマージンが九千円×三件で二万七千円。観光協会の三万と合わせて月五万七千円——固定費六万円にほぼ届くじゃん」
凛の目が光った。
「外注三件が安定すれば、あたしのバイトなしでも事務所が回る可能性がある」
「まだ可能性の段階ですけど」
「でも——見えてきた。春までに外注三件が安定したら、バイトを完全にやめられる」
凛の声が弾んでいた。四月に百二十万で始めた事務所が、十一ヶ月目で収支均衡を視界に捉えた。
「それと——収益化の条件。登録者千人と再生時間四千時間。登録者は三百五人で、月三十人ペースなら——」
「残り六百九十五人。月三十人だと二十三ヶ月。丸二年。でも、伸び方にはブーストがかかるタイミングがある。コラボや企画次第で加速する可能性はある」
「再生時間は?」
「累計千五百時間くらい。残り二千五百時間。月二百時間積めれば——十二、三ヶ月。来年の春くらいか」
「登録者が先に足りなくなるパターンだね。再生時間は配信を続ければ積み上がるけど、登録者は自然増だけだと厳しい」
「コラボと、みやびの社めぐりと、Shorts。認知を広げる施策を並行して回す。一つ一つの効果は小さくても、重ねていけば——」
「なんとかなりますよ」
湊が言った。凛が笑った。
「それ、湊の口癖だよね。なんとかなりますよって」
「なんとかしますよ、のほうが正確ですね」
「いいじゃん。湊がそう言うなら、なんとかなる」
凛がスプレッドシートを閉じた。
三月に入る。一年目の最後の月。春が来る。
事務所の窓から入る光が、いつの間にか冬の鋭さを失っていた。柔らかくて、温かい光。
楓がバス停に向かうために立ち上がった。ドアの前で振り返った。
「三月も——よろしくお願いします」
「よろしく」
「よろしくお願いします」
楓がドアを閉めた。バス停に歩いていく足音が、階段を降りていった。走ってはいない。落ち着いた足音だ。
凛が鞄を肩にかけた。
「ねえ湊」
「はい」
「一年目、乗り切れそうだね」
「そうですね」
「来年——いや、もう今年の話だけど。二年目は、もっと面白くなるよ」
凛が笑って、手を振って出ていった。
事務所に湊だけが残った。いつもの光景。椅子を戻して、モニターを閉じて、電気を消して、鍵を閉める。裏方が最後に片付ける。
二月が終わる。三月が来る。宮崎の春は——もうすぐだ。




