告白と答え
「楓、話があるんだ」
火曜の配信が終わった後、桐谷 凛がDiscordの通話でそう切り出した。白石 楓が「はい」と答えた。瀬川 湊は事務所のモニターの前で、二人の声を聞いていた。
「事務所に来てくれる? 三人で話したいことがある」
「今からですか? もう九時過ぎですけど」
「うん。大事な話だから」
楓が少し間を置いた。「わかりました」と言った。声に緊張が混じっている。凛が「大事な話」と言うとき、楓は身構える。九月の資金の話を覚えているからだ。
三十分後、楓が事務所に来た。二月に入って最初の夜。コートを脱いで、いつもの椅子に座った。缶コーヒーはない。凛が「今日は飲み物いらない」と言った。
三人が向き合った。六畳の事務所に、三つの椅子。九月の話し合いと同じ配置だ。
「九月に、事務所のお金の話をしたでしょ。あのとき、正直に全部話すって約束した」
「はい」
「あのあと——十一月から、あたし、バイトを始めてた」
楓の目が大きくなった。
「バイト?」
「イベント会社の運営スタッフ。会場の設営とか、当日のスタッフとか。週に二回くらい」
楓は黙っていた。凛が続けた。
「事務所の収入だけだと、固定費に足りない月がある。外注の売上が伸びてきたけど、それでもまだ赤字。バイトの収入で——あたしの生活費と、事務所の不足分を補ってた」
「いつから——」
「十一月。年末年始は忙しくて、週三、四回入ってた」
楓が凛の顔を見た。凛の目の下の隈。最近の疲れた顔色。楓が「ちょっと疲れてませんか」と聞いたとき、凛は「確定申告の準備」と流した。嘘だった。
「なんで——」
楓の声が小さかった。
「なんで、言ってくれなかったんですか」
「楓に心配かけたくなかった。配信に集中してほしかったし——社長がバイトしてるって知ったら、楓は自分を責めるでしょ」
「責めないですよ。でも——」
楓が言葉を切った。
九月のとき、楓は「仲間はずれみたいで悔しい」と言った。湊はその言葉を覚えていた。今回も同じ言葉が出てくるだろうと予想していた。
でも、楓の口から出てきたのは、別の言葉だった。
「私に——何かできることはありますか」
凛が目を見開いた。湊も少し驚いた。
「九月のときは、悔しいって言いました。隠してたことが悔しかった。今も——隠してたのは嫌です。でも、それよりも」
楓が背筋を伸ばした。元舞台役者の姿勢だ。
「凛さんが一人で頑張ってるなら、私にもできることがあるはずです。配信の本数を増やすとか、Shorts の台本を自分で書くとか、バイトのシフトを減らせるくらいの収入を——私の配信で作れないですか」
凛が黙った。楓の目は真っ直ぐだった。
九月の楓は「悔しい」と泣きそうな顔をした。今の楓は、背筋を伸ばして凛の目を見ている。
「……ありがとう、楓」
凛の声が少し掠れた。
「でも、配信を増やすのは楓の負担も増えるから——」
「負担じゃないです。私がやりたいからやるんです。凛さんだけに事務所を背負わせたくない」
「楓……」
「私、もう守られるだけの立場じゃないです。九ヶ月、ここでやってきたんですから」
凛が笑った。泣きそうな笑顔だった。でも泣かなかった。
「湊は? 何か言うことある?」
凛が湊を見た。
「外注の月二件を三件に増やせるか、検討してみます。あと——配信の効率化で、楓さんの負担を増やさず本数を増やす方法がないか調べます」
「相変わらず技術の話だね」
「技術しか取り柄がないので」
「それ、前にも聞いた。嘘でしょ」
凛が笑った。今度は泣きそうじゃない笑顔だった。
「じゃあ——具体的に何ができるか、三人で考えよう」
凛がノートPCを開いた。
「まず、配信の本数。今は週三回。楓が無理なく増やせるのは?」
「週四回なら。火・木・土に水曜を追加。水曜は短め——三十分くらいの企画配信にすれば」
「いいね。短い企画配信なら準備も軽い。何をやる?」
「『みやびの社めぐり』を月二回に増やすか、歌枠のショートバージョンを入れるか」
「歌枠ショート、いいかも。三十分で三曲。リスナーの来やすい時間帯を探って」
三人でスプレッドシートを開いて、二月の配信カレンダーを更新していった。凛が色分けし、楓が企画を提案し、湊が技術面の実現性を確認する。いつもの役割分担。でも、今日はいつもより楓の提案が多かった。
「凛さんのバイト、今も週二回ですか」
「今は週二回に戻してる。年末年始ほどは忙しくない」
「三月からは週一回に減らしてください。私の配信が週四回になれば、収入が——すぐには変わらないかもしれないけど、登録者が増えるスピードは上がるから」
「約束はできないけど——努力する」
「約束してください」
楓の声は静かだったが、有無を言わせない強さがあった。凛が少し驚いた顔をして、それから頷いた。
「わかった。約束する」
「よし」
楓が小さく言った。静かで、強い「よし」だった。
話し合いが終わって、楓が帰る準備をした。バスの最終に間に合うギリギリの時間だ。
「楓、タクシー呼ぼうか。遅くなっちゃったし」
「大丈夫です。バス停まで走ります」
「走るの?」
「舞台の体力、なめないでください」
楓がコートを着て、ドアを開けた。振り返って、二人を見た。
「凛さん。バイト、お疲れさまでした。ずっと一人で頑張ってたんですね」
「……うん」
「もう一人じゃないですから」
楓が笑って、ドアを閉めた。バス停に向かって走っていく足音が、階段を降りていった。
事務所に凛と湊が残った。
「楓——変わったね」
凛が呟いた。
「はい」
「九月は泣きそうだったのに。今日は——泣かせそうになったのはあたしのほうだった」
「凛さんも泣いていいんですよ」
「泣かないよ。社長だから」
凛がノートPCを閉じた。コートを着て、鞄を肩にかけた。ドアの前で立ち止まった。
「ねえ湊。楓が『私にできることはありますか』って聞いたとき——あたし、ちょっとだけ嬉しかった」
「知ってます」
「顔に出てた?」
「出てました」
凛が笑って、手を振って、出ていった。
事務所に湊だけが残った。二月の夜。窓の外は暗い。
缶コーヒーはない夜だった。でも、三つの椅子が向き合ったまま残っている。
湊は椅子を元の位置に戻して、電気を消して、鍵を閉めた。
階段を降りると、二月の空気が冷たかった。でも、一月よりは少しだけ柔らかい。春が近づいている。




