半年
『お狐仲間のみなさん、こんばんは。みやびです』
配信が始まった。十一月中旬の土曜日、夜八時。白石 楓の自宅から、みやびの声がリスナーに届く。瀬川 湊は事務所のモニターでOBSの画面を見ていた。Discordの音声チャンネルで、楓の声とリスナーに届く配信音声の両方をモニタリングしている。
『今日は——ちょっと特別な日です。みやびがデビューしてから、半年が経ちました』
>半年おめでとう!
>もうそんなに経ったのか
>初配信から見てるよ
コメントが流れてきた。みやびが微笑む。和装の通常アバターに戻している。ハロウィン衣装は期間限定で、十一月からは元の姿だ。
『ありがとう。半年前——五月に初めて配信したとき、見に来てくれたのは五人でした』
>あのとき俺もいた
>初配信のアーカイブ何回も見た
>5人スタートだったの!?
『そう。五人。画面の向こうに、たった五人。でも、あの五人がいなかったら——今ここにいないかもしれません』
楓の声が少しだけ低くなった。みやびのキャラを保ちながら、素の感情が滲んでいる。湊はトラッキングのモニターを見た。パラメータは正常だ。今のところ、感情反映の兆候はない。
>みやびちゃん……
>泣かないで
>俺が泣く
『泣いてないわよ? みやびはそんなに弱くありません。ふふ。ただ——嬉しいなって。半年間、ずっと来てくれる人がいて。新しく来てくれる人もいて。今日は何人来てくれてるかしら』
湊がOBSの画面で同接数を確認した。三十八人。半年記念ということもあり、いつもより多い。
『今日は、半年間の振り返りをしながら、まったり雑談配信にしようと思います。あと——皆さんにちょっとしたお知らせがあります』
>お知らせ!?
>新衣装?
>引退じゃないよね???
『引退しませんよ! まだ半年ですよ? お知らせは後半で。楽しみにしててくださいね』
みやびがいたずらっぽく微笑んだ。桐谷 凛がDiscordのテキストチャットで「いい引っ張り方だね」とメッセージを送ってきた。
配信は順調に進んだ。五月のデビューから十一月までの半年間を、みやびの目線で振り返る。初配信の緊張、初めてのゲーム実況、歌枠で声が裏返った話、怪談配信、ハロウィン。楓はエピソードを選びながら、みやびのキャラを保ちつつ、ところどころで素が漏れる。その漏れ方が、もう配信のスタイルとして確立していた。
>みやびちゃんのキャラ崩壊が好き
>素が出る瞬間がいちばんかわいい
>和風なのにチキン南蛮好きなの最高
湊は配信のログを記録しながら、もう一つのモニターでXのタイムラインを確認していた。ハッシュタグ「#みやびの社」のポストがいくつか流れている。「半年おめでとう」「初配信から追いかけてる」。数は多くないが、温度が高い。
配信が一時間を過ぎた頃、みやびが声のトーンを変えた。
『さて——お知らせの時間です』
>きた
>ドキドキ
>何何何
『十二月に——みやび初のオリジナル曲を、公開します』
コメント欄が爆発した。
>!!!!!
>まじで!?
>歌枠最高だったもんな
>みやびちゃんの歌声で曲作るの!?
『歌枠で歌ってきて——自分の歌で、自分の曲が欲しくなったの。作曲はお友達に頼んで、今制作中です。十二月のどこかで公開予定。詳しくはまた告知しますね』
湊は凛のメッセージを確認した。「反応いいね。予定通り」。オリジナル曲の制作は、凛が一ヶ月前から計画していたものだ。作曲は凛がSNSで見つけたアマチュアのDTMer。費用は楽曲制作で二万円。MVは湊が作る。
自分だけの曲。カバーとは違う。みやびを表す音楽が生まれる。
『楽しみにしててね。みやびの全部を詰め込んだ曲にするつもりだから』
>楽しみすぎる
>絶対聴く
>みやびの全部……
コメントの温度が上がっている。リスナーの期待値が可視化される瞬間を、湊はモニター越しに見ていた。
そのとき、画面の右側に通知が出た。
黄色い背景に、金額が表示されている。
スーパーチャット。
二百円。
>「みやびちゃん半年おめでとう。これからも応援してます。」——みやび推し1号
湊の指が止まった。みやびの配信史上、初めてのスーパーチャットだ。
コメント欄が再び爆発した。
>1号さん!!!
>初スパチャ!
>おめでとうおめでとう
みやびが——楓が、一瞬黙った。
モニターの中のみやびの表情が、ほんの少しだけ揺れた。笑っているのに、目の奥に光が滲んでいる。泣いているのではない。もっと複雑な——嬉しさと驚きと、それから何かもう一つ、名前のつけられない感情が混ざったような表情。
湊はトラッキングのパラメータを確認した。口角は上がっている。でも、まぶたの開度がわずかに下がっている。先週スプレッドシートに記録した、あのパターンだ。表情筋の自然な連動から逸脱した組み合わせ。
——七回目。
『——ありがとう』
みやびの声が震えていた。いや、みやびの声ではない。楓の声だ。みやびのキャラを保てなくなっている。
『みやび推し1号さん。半年間——ずっと見てくれて。初めてのスーパーチャット、忘れません。忘れないから』
>みやびちゃん泣いてる?
>泣いてないって言ってたのに
>こっちが泣く
>1号さんGJ
楓が息を吸い直した。みやびのキャラに戻る。
『泣いてません。みやびは強いですから。——でも、ちょっとだけ、嬉しすぎて、声が変になっちゃっただけ』
コメント欄が温かい言葉で埋まっていく。湊はそれを見ながら、トラッキングのログを保存した。七回目のデータ。前の六回と同じファイルに追加する。
配信は二時間で終了した。
終了後、Discordの通話で三人が集まった。
「楓、お疲れ。いい配信だったよ」
凛の声が柔らかかった。
「ありがとうございます。……なんか、途中でちょっと崩れちゃって」
「崩れてないよ。あれが良かったの。お狐仲間、全員もらい泣きしてたじゃん」
「二百円って——金額としては、すごく小さいのに」
楓の声が静かだった。
「でも、あの人が二百円を出す気持ちって、すごく重いんだなって。毎回来てくれて、コメントしてくれて、その上でお金まで。……ただのデジタルの数字じゃないんですよね」
「そうだよ。それが配信ってものだよ」
凛が答えた。
湊は二人の会話を聞きながら、パラメータのログファイルを眺めていた。七回目のデータ。パターンは前の六回と一致している。仮説の確度がまた少し上がった。
「湊、配信の技術面はどうだった?」
「音声もトラッキングも問題なしです。アーカイブの処理、今夜中にやっておきます」
「ありがとう。……あと、Shorts にするなら、スパチャの瞬間は使わないでほしい」
「え?」
楓が少し間を置いた。
「あの瞬間は——切り取られたくないんです。あの場にいた人だけのものにしたい」
「わかった。使わない」
凛が即答した。湊も頷いた。
「じゃあ、お疲れさま。楓、ゆっくり休んで」
「はい。おやすみなさい」
通話が切れた。事務所に湊だけが残った。
アーカイブの整理を始める。配信の録画データを確認し、ハイライトをマークして、サムネイル用のキャプチャを撮る。スパチャの瞬間は——マークしない。楓が望んだ通りに。
二百円。たった二百円のスーパーチャットが、今日の配信で一番大きな出来事だった。
湊はアーカイブの処理を終えて、事務所の電気を消した。帰り支度をしながら、ふと思った。
楓の声が震えたとき——みやびの表情は、楓よりも先に泣きそうな顔をしていた。楓が気づく前に、みやびが気づいていた。楓の中にある感情を、みやびが先に映していた。
いつか、このことを楓に話す日が来るのだろうか。
湊は事務所の鍵を閉めて、十一月の夜の中に出た。冷たい空気が頬に触れた。




