表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/70

半年

『お狐仲間のみなさん、こんばんは。みやびです』


配信が始まった。十一月中旬の土曜日、夜八時。白石(しらいし) (かえで)の自宅から、みやびの声がリスナーに届く。瀬川(せがわ) (みなと)は事務所のモニターでOBSの画面を見ていた。Discordの音声チャンネルで、楓の声とリスナーに届く配信音声の両方をモニタリングしている。


『今日は——ちょっと特別な日です。みやびがデビューしてから、半年が経ちました』


>半年おめでとう!

>もうそんなに経ったのか

>初配信から見てるよ


コメントが流れてきた。みやびが微笑む。和装の通常アバターに戻している。ハロウィン衣装は期間限定で、十一月からは元の姿だ。


『ありがとう。半年前——五月に初めて配信したとき、見に来てくれたのは五人でした』


>あのとき俺もいた

>初配信のアーカイブ何回も見た

>5人スタートだったの!?


『そう。五人。画面の向こうに、たった五人。でも、あの五人がいなかったら——今ここにいないかもしれません』


楓の声が少しだけ低くなった。みやびのキャラを保ちながら、素の感情が滲んでいる。湊はトラッキングのモニターを見た。パラメータは正常だ。今のところ、感情反映の兆候はない。


>みやびちゃん……

>泣かないで

>俺が泣く


『泣いてないわよ? みやびはそんなに弱くありません。ふふ。ただ——嬉しいなって。半年間、ずっと来てくれる人がいて。新しく来てくれる人もいて。今日は何人来てくれてるかしら』


湊がOBSの画面で同接数を確認した。三十八人。半年記念ということもあり、いつもより多い。


『今日は、半年間の振り返りをしながら、まったり雑談配信にしようと思います。あと——皆さんにちょっとしたお知らせがあります』


>お知らせ!?

>新衣装?

>引退じゃないよね???


『引退しませんよ! まだ半年ですよ? お知らせは後半で。楽しみにしててくださいね』


みやびがいたずらっぽく微笑んだ。桐谷(きりたに) (りん)がDiscordのテキストチャットで「いい引っ張り方だね」とメッセージを送ってきた。


配信は順調に進んだ。五月のデビューから十一月までの半年間を、みやびの目線で振り返る。初配信の緊張、初めてのゲーム実況、歌枠で声が裏返った話、怪談配信、ハロウィン。楓はエピソードを選びながら、みやびのキャラを保ちつつ、ところどころで素が漏れる。その漏れ方が、もう配信のスタイルとして確立していた。


>みやびちゃんのキャラ崩壊が好き

>素が出る瞬間がいちばんかわいい

>和風なのにチキン南蛮好きなの最高


湊は配信のログを記録しながら、もう一つのモニターでXのタイムラインを確認していた。ハッシュタグ「#みやびの社」のポストがいくつか流れている。「半年おめでとう」「初配信から追いかけてる」。数は多くないが、温度が高い。


配信が一時間を過ぎた頃、みやびが声のトーンを変えた。


『さて——お知らせの時間です』


>きた

>ドキドキ

>何何何


『十二月に——みやび初のオリジナル曲を、公開します』


コメント欄が爆発した。


>!!!!!

>まじで!?

>歌枠最高だったもんな

>みやびちゃんの歌声で曲作るの!?


『歌枠で歌ってきて——自分の歌で、自分の曲が欲しくなったの。作曲はお友達に頼んで、今制作中です。十二月のどこかで公開予定。詳しくはまた告知しますね』


湊は凛のメッセージを確認した。「反応いいね。予定通り」。オリジナル曲の制作は、凛が一ヶ月前から計画していたものだ。作曲は凛がSNSで見つけたアマチュアのDTMer。費用は楽曲制作で二万円。MVリリックビデオは湊が作る。


自分だけの曲。カバーとは違う。みやびを表す音楽が生まれる。


『楽しみにしててね。みやびの全部を詰め込んだ曲にするつもりだから』


>楽しみすぎる

>絶対聴く

>みやびの全部……


コメントの温度が上がっている。リスナーの期待値が可視化される瞬間を、湊はモニター越しに見ていた。


そのとき、画面の右側に通知が出た。


黄色い背景に、金額が表示されている。


スーパーチャット。


二百円。


>「みやびちゃん半年おめでとう。これからも応援してます。」——みやび推し1号


湊の指が止まった。みやびの配信史上、初めてのスーパーチャットだ。


コメント欄が再び爆発した。


>1号さん!!!

>初スパチャ!

>おめでとうおめでとう


みやびが——楓が、一瞬黙った。


モニターの中のみやびの表情が、ほんの少しだけ揺れた。笑っているのに、目の奥に光が滲んでいる。泣いているのではない。もっと複雑な——嬉しさと驚きと、それから何かもう一つ、名前のつけられない感情が混ざったような表情。


湊はトラッキングのパラメータを確認した。口角は上がっている。でも、まぶたの開度がわずかに下がっている。先週スプレッドシートに記録した、あのパターンだ。表情筋の自然な連動から逸脱した組み合わせ。


——七回目。


『——ありがとう』


みやびの声が震えていた。いや、みやびの声ではない。楓の声だ。みやびのキャラを保てなくなっている。


『みやび推し1号さん。半年間——ずっと見てくれて。初めてのスーパーチャット、忘れません。忘れないから』


>みやびちゃん泣いてる?

>泣いてないって言ってたのに

>こっちが泣く

>1号さんGJ


楓が息を吸い直した。みやびのキャラに戻る。


『泣いてません。みやびは強いですから。——でも、ちょっとだけ、嬉しすぎて、声が変になっちゃっただけ』


コメント欄が温かい言葉で埋まっていく。湊はそれを見ながら、トラッキングのログを保存した。七回目のデータ。前の六回と同じファイルに追加する。


配信は二時間で終了した。


終了後、Discordの通話で三人が集まった。


「楓、お疲れ。いい配信だったよ」


凛の声が柔らかかった。


「ありがとうございます。……なんか、途中でちょっと崩れちゃって」


「崩れてないよ。あれが良かったの。お狐仲間、全員もらい泣きしてたじゃん」


「二百円って——金額としては、すごく小さいのに」


楓の声が静かだった。


「でも、あの人が二百円を出す気持ちって、すごく重いんだなって。毎回来てくれて、コメントしてくれて、その上でお金まで。……ただのデジタルの数字じゃないんですよね」


「そうだよ。それが配信ってものだよ」


凛が答えた。


湊は二人の会話を聞きながら、パラメータのログファイルを眺めていた。七回目のデータ。パターンは前の六回と一致している。仮説の確度がまた少し上がった。


「湊、配信の技術面はどうだった?」


「音声もトラッキングも問題なしです。アーカイブの処理、今夜中にやっておきます」


「ありがとう。……あと、Shorts にするなら、スパチャの瞬間は使わないでほしい」


「え?」


楓が少し間を置いた。


「あの瞬間は——切り取られたくないんです。あの場にいた人だけのものにしたい」


「わかった。使わない」


凛が即答した。湊も頷いた。


「じゃあ、お疲れさま。楓、ゆっくり休んで」


「はい。おやすみなさい」


通話が切れた。事務所に湊だけが残った。


アーカイブの整理を始める。配信の録画データを確認し、ハイライトをマークして、サムネイル用のキャプチャを撮る。スパチャの瞬間は——マークしない。楓が望んだ通りに。


二百円。たった二百円のスーパーチャットが、今日の配信で一番大きな出来事だった。


湊はアーカイブの処理を終えて、事務所の電気を消した。帰り支度をしながら、ふと思った。


楓の声が震えたとき——みやびの表情は、楓よりも先に泣きそうな顔をしていた。楓が気づく前に、みやびが気づいていた。楓の中にある感情を、みやびが先に映していた。


いつか、このことを楓に話す日が来るのだろうか。


湊は事務所の鍵を閉めて、十一月の夜の中に出た。冷たい空気が頬に触れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ